🐴 (馬)

Takaaki Umada / 馬田隆明

起業家「予備軍」を増やす

起業家の不足がスタートアップエコシステムの課題である、という記事 を以前書きました。

この「起業家の数」に関連してしばしば指摘される点として、

「日本は起業予備軍の起業活動の水準は高いが、そもそもの起業予備軍が少ない」

というものがあります。

たとえば『日本は起業が難しい国なのか?』では、このように指摘されています。

では、なぜ、日本の起業活動の水準は低いのか。ここまで来れば、答えは明白であり、それは起業家予備軍が少ない、起業態度を有する者が少ないからである。成人人口100人あたりの起業家予備軍、もしくは起業態度を有する者の割合を見ると、米国が54.9%、中国が35.3%に対して、日本は12.5%にすぎない【図表6】。12.5%がいくら頑張っても、起業家予備軍が54.9%、35.3%もいる国に勝ち目がないのは当然である。

日本は起業が難しい国なのか? https://www.yhmf.jp/as/.assets/vol_66_p8-14.pdf

その前にはこのような指摘もあります。

【図表5】は、日本、米国、そして中国の3カ国の起業家予備軍の起業活動の水準を見たものである。これによると、日本の水準は中国には及ばないものの、米国を上回っている。日本における起業家予備軍の起業実現率は、決して低くなく、日本は起業が難しい国ではないことがわかる。

日本は起業が難しい国なのか? https://www.yhmf.jp/as/.assets/vol_66_p8-14.pdf

より詳細に見ていくと、「起業家であることが望ましいキャリアである」と答える人は日本ではかなり少ないパーセンテージとなっています。

https://www.gemconsortium.org/data

こうしたデータを見る限り、日本では起業家予備軍になりさえすれば起業活動をする人はそれなりに多いものの、そうなる前のそもそもの「起業家予備軍」が少ないようです。

他のデータを見てみても、起業志望者は徐々に少なくなっているようで、就業構造基本調査を見てみると、転職希望者のうち自分で事業を起こしたい人の数は減少傾向にあります。

起業家予備軍向け研修を増やすだけではなく、前段階の予備軍を増やす活動を

一方、これまでの多くの起業家支援の取り組みは「起業家予備軍向け」の研修などが中心でした。その効果もあってからなのか、「起業家予備軍の起業率」は他国に比べても既に十分に高い 20.1% という数値になっています。ただ、ここからさらに数値を上げるのはかなり難しいでしょう。

もし起業家の数を増やしたいのであれば、今後力をより傾けるべきなのは、「起業したい人を支援する」のではなく、「起業家予備軍を増やす」ほうではないかと思います。

それに対して、学校教育は多少貢献できるはずです。たとえば、1990年代中盤からスウェーデンで始められた高校生向けのアントレプレナーシップ教育は、参加者の起業率を伸ばしたと考えられています。

ただ、果たして現在日本で行われている「アントレプレナーシップ教育」を拡大していくべきかどうかには疑問があります。

なぜなら現在多くの「アントレプレナーシップ教育」の授業で行われているのは、ファイナンスや資金調達、組織設計、ビジネスモデルなどを、教員や実務家が教える「ビジネス教育の起業版」であり、すでに「起業家予備軍」になっている人向けの内容を、まだ「起業家予備軍」になっていない学生向けにアレンジした入門版だからです。ただ、それでは、そもそもの起業家予備軍は増えづらいのではないでしょうか。

もし予備軍を増やすことを狙うのであれば、その内容はむしろキャリア教育に近いはずです。

起業家のキャリア教育というと、起業家を学校に呼んでゲスト講演などをしてもらうことを思い浮かべる人も多いのではないかと思います。ただ、教育研究の結果などを見ると、ゲスト講演に起業家予備軍を増やす効果(起業意思を高める効果)があるかどうかは不明であり、ゲスト講演「だけ」では適切なロールモデルの提示にはならないのではと思っています。

こうしたいくつかの背景を鑑みると、今後政策としてアントレプレナーシップ教育が広く展開されるとき、今のままのアントレプレナーシップ教育を拡大してしまうと、

  • 「起業家予備軍」向けの「知識伝達型の研修」を増やす(→ 起業家予備軍自体はそれほど増えない可能性がある)
  • ゲスト講演を増やす(→ 起業家予備軍を増やす効果は不明)

ということになってしまい、その結果、かけた費用に対してスタートアップエコシステムにとってはさほど効果のない施策になってしまう可能性が高いのでは、と危惧しています。

こうした状況を避けるために必要なのは、これまでのアントレプレナーシップ教育研究を参照することです。もちろん、海外の研究やこれまでの研究から示唆される洞察が、そのまま日本の現時点の状況に当てはまるのかというと、必ずしもそうではありません。しかし、それらは有用なヒントになってくれるはずです。

スタートアップに注目が集まり、制度などの再設計が行われようとしている今、起業家輩出の基盤ともなるアントレプレナーシップ教育についても、これまでの研究を活かして再設計していく必要があるのではないでしょうか。

アントレプレナーシップに関する実践的なコミュニティの重要性

「ロールモデルとしての起業家が学校に行けば、起業を目指す人が劇的に増える」

というと正しいようにも聞こえますが、

「ロールモデルとしての伝統芸能の人が学校に行けば、伝統芸能を目指す人が劇的に増える」

というと、正しいようには聞こえません。

しかし、伝統芸能ではなく、

「ロールモデルとしてのプロ野球選手の人が学校に行けば、プロ野球選手を目指す人が劇的に増える」

という、多少なりとも正しいようにも聞こえてきます。

では伝統芸能と野球とでは何が違うのでしょうか。それは誰かと一緒に実践するコミュニティが近くにあるかどうかのように思います。

コミュニティの重要さ

たとえば野球の場合、「プロ野球選手の講演のあと、授業の中でやってみたり、放課後に草野球をやってみて楽しくて、学校の野球部やリトルリーグに入って、高校では甲子園を目指して……」といういくつかの段階を通しながら、その中で実践を行い、成功や失敗を重ねることで「プロ野球選手になりたい」「プロ野球選手になれるかもしれない」「自分には向いていない」と徐々にキャリアが見えてくるように思います。

しかし多くの伝統芸能にはそうしたステップがなく、ゲスト講演を聞いて終わりになってしまう点が大きく異なります。

野球だけではなく、プログラマになった人のことも考えてみましょう。もともとゲームをしていて、プログラミングを学校で知って興味を持ち、パソコン部に入ってプログラミングを学び、何かを作って褒めてもらって自信を得て、そして次第にITエンジニアとしての道を歩むことを選んでいった……という人はそれなりにいるのではないかと思います。

そして能力が主に開発されたのは、授業よりもパソコン部で過ごした時間ではないでしょうか。

実践を伴うコミュニティであること

これらは単なるコミュニティではありません。実践を伴うコミュニティです。野球ファンのコミュニティに属したとしても、野球がうまくなるわけではありません。

野球やプログラミングには、実践を伴うコミュニティが授業のすぐそばにあります。そうしたコミュニティへの参加が能力の涵養と自己効力感を培い、最終的にプロへのキャリアに至った、あるいは自分の向き不向きを知るきっかけになった、というのは多くの職種で起こっていることではないかと思います。

人を変えたり、能力を開発し、キャリアを選ぶための時間を過ごす主な原動力は、そうした実践を伴うコミュニティであるように思います。

様々なレベルの実践のコミュニティ

アントレプレナーシップ教育も同様に、授業の周辺にある実践を伴うコミュニティがあるかどうかが大事なように思います。

今ではインターネットもあるため、本当にやる気のある人であれば、一気にコミュニティに入ることもできるでしょう。しかし多くの人は、徐々にやる気を出したり、向き不向きを見出したりするものです。そのため、学校の近くに、参加しやすいコミュニティがあることが大事です。

ただそれは、学生たちに起業をさせて、その人たちのコミュニティを作れば良い、というわけではありません。教育をうたうからには、足場架けを行う必要があり、学習効果の最大化を狙うべきです。それに逆効果を生むようなことは避けたほうが良いでしょう。

たとえば、少し野球に興味を持った学生に、突然プロ野球選手との試合にチャレンジさせてみたら、ぼろぼろに負けてやる気を失ってしまう可能性が高いです。「歯を食いしばって立ち上がるべき」「そこで諦めるようなら見込みナシ」と言う人もいるかもしれませんが、教師としては良い役割を果たしているとは思えません。

学生に実際に起業をさせてビジネスをさせてコミュニティを作る、というのは、そうした逆効果の可能性を大いにはらむものだと思います。

すでにある程度の準備ができていて、実際に起業させることが学習効果の最大化に繋がる人もいれば、そうではない人もいます。様々なレベルの実践があり、それぞれの学生の状況に応じられるコミュニティを複数作っておく方が望ましいように思います。特に、起業志望者が少ない日本においてはなおさらです。

東京大学の例

たとえば東京大学では、本郷テックガレージや Todai to Texas、100 Program、アントレプレナーシップチャレンジや FoundX といった様々な実践的なプログラム兼コミュニティをオフィシャルに運営しています。それぞれ色や目的が違い、それぞれに合った人に来てくれれば、と思っています。

また大学内のインキュベーション施設には多数のスタートアップが在籍しているほか、キャンパスの周りには小規模なスタートアップも多数おり、学生の皆さんがインターンの機会などを得ることも比較的容易になっています(大学として特定企業へのインターンは斡旋はしていませんが)。

そうしたスタートアップでインターンをすることは、まだ起業にはそこまで興味がないけれど、お金をもらえるのなら働いてみたい、という人が参加できるコミュニティです。そうした機会を経て、起業家のそばで働くことで、ロールモデルも見つかるでしょう。

授業の限界とコミュニティ

授業も重要ではあるのですが、授業でできることには限界があります。時間にも制限があり、能力を伸ばしきることはなかなかできません。だからこそ、あくまで授業はきっかけである、という位置づけのほうが良いのではないかと思います。

だからこそ、授業の次に接続できるコミュニティをいかに作っておくかが、実は授業を増やすことよりも重要ではないでしょうか。

そしてそれぞれの学生の発達段階に合わせて、ビジネスだけに留まらない、アントレプレナーシップ的な実践ができるコミュニティや活動を、いかに学校教育の周りに準備できるかが、今後より重要になってくるのではないかと考えています。

そうしたコミュニティがスポーツの部活と同程度にできてきたとき、社会は大きく変わっていくのではないかと思います。

 

※ 本記事では Community of Practice の概念を使っているのではなく、一般的な実践を伴うコミュニティを指しているため、実践コミュニティという言葉は使っていません。

起業家教育とロールモデル

起業家のロールモデルを提示することで、起業家が増える

そう考えている人はそれなりの数いるようです。その結果、

起業家を増やすために、起業家を学校で講演させる

という政策が提案されるようです。

 

しかし実際には、単にロールモデルを提示すれば良い、というシンプルな話ではどうやらなさそうです。

メンタリングしても起業する人は増えない

アメリカの研究で、大学生の一部に対してランダムに起業家を割り当て、学生にメンタリングを受けてもらい、その後のキャリアを経時的に調査したものがあります。その結果、学生が早期のスタートアップに参加する率は増えても、起業する率に有意な変化は見られなかったようです。

大学生ぐらいの年齢になってしまったり、メンタリング程度の浅い関与では、ロールモデルの提示として十分に機能しないのかもしれません。

ロールモデルにゲスト講演をしてもらっても起業意思は高まらない

現在の日本では、「憧れの起業家」と認識してもらおうと、全国の学校で起業家のゲスト講演などを推進しようとする向きもあります。確かに話を聞いて一瞬はやる気は上がるかもしれません。しかし、講演はメンタリングよりもさらに浅い関与になるので、長期的な効果はさほど期待できないように思います。

実際、起業家によるゲスト講義を中心とした起業家教育プログラムの効果を調べた研究では、ゲスト講演ののち、起業意思が高い群は逆に起業意思が下がるという結果になっていました。

海外の他の研究でも、アントレプレナーシップ教育を実施した後に起業意思が下がる結果が出ていることがあります(ただし起業意思が下がるのは悪いことではなく、授業を受けることで自分の起業への向き不向きが分かったという面が大きいものでもあります)。

「ロールモデル」という言葉の抽象度が高すぎることが問題

もちろん、ロールモデルの存在と起業に関しては正の相関がありそうだ、という研究も多く見つかるのは確かです。

しかし、よくよく見てみれば、回答者にロールモデルがいるかどうかを判断する際、使われる設問は「家族や友達に起業家がいるか」というのが主であり、その次に「新しい小さな企業で働いたことがあるか」や「多くの起業家を知っているか」といったものが入ってきます。

つまり、調査の結論だけを見れば「ロールモデルは効果的」というのはあるものの、そのときに言われる「ロールモデル」は私たちが普段日常的に使っているロールモデルという言葉と同一なのかと言えば、少し違うように思います。

たとえば「家族や友達」という距離の近いロールモデルは確かに効果的でしょうが、ゲスト講演で一度だけ提示されるロールモデルは、距離の近いロールモデルとは質的に異なるロールモデルのように思います。

「憧れ」ではなく「師匠」タイプのロールモデル

そこでロールモデルをタイプ分けした日本の調査を見てみます。ここでは憧れタイプのロールモデルや師匠タイプのロールモデルといったタイプ分けが提示され、それぞれの効果が見られています。

たとえば「憧れタイプ」のロールモデルはそこまでキャリア発達の得点が高くなく、むしろ手本とする向きの強い「師匠タイプ」などのほうが有効という結果になっています。

もしゲスト講演で起業家に短時間触れたとしても、それは「憧れ」であり、「師匠」になる可能性は低いでしょう。また「新しい小さな企業で働いたことがある」というのは「師匠タイプ」に近くなるように思います。

ロールモデルの近さも重要?

これまで効果が確認されているロールモデルについては、その近さが私たちが想定するよりも「かなり近い」もののようです。それこそ10名にも満たない小規模なスタートアップでインターンをして、近くで起業家を見るような近さであれば、効果はあるのかもしれません。

日本では「近くに起業家がいない」というのが問題として挙げられることがありますが、もしロールモデルによる効果を狙うなら、ゲスト講演などで憧れの起業家を作るよりも、そうした出来立てのスタートアップで起業家のすぐ傍で働く機会を提供したりするコミュニティへの参入を促す)ほうが、効果は出やすいのではないでしょうか。

 

いずれにせよ今後キャリア教育としてのアントレプレナーシップ教育を、ロールモデル中心に展開していくのであれば、こうした研究を踏まえて、より効果的な施策や授業を考えていく必要がありそうです。

個人的な授業の役割についての考えは、以下の記事でまとめています。

blog.takaumada.com