🐴 (馬)

Takaaki Umada / 馬田隆明

「未来にとっての過去」を今から作り始める

起業に興味がある若手の方と話していると、「自分には原体験がない」「文系(理系)だから」「スキルがない」といって、行動を始めることを躊躇してしまう人がそれなりの数いることに気づきます。

実際、起業を始める前に「あなたの原体験は何か」といったことを問うようなワークショップなどもあると聞くため、「過去に特別な何かがないと、何かを始める資格がない」という認識を強めてしまうのかもしれません。

 

私たちは過去に理由を求めてしまいがちです。確かに過去に培ってきたものは大事ですし、過去を振り返れば気づけるものもあるでしょう。

だからといって、過剰に過去を気にしすぎたり、自分に特別な理由がなければやってはいけないと思うのなら、それは呪いでしかありません。そうした「原体験がない」や「資格がない」といった呪いのせいで、自らの将来の可能性を狭めてしまうのは、本当にもったいないことだと思います。

 

「行動する資格」が必要な領域は限られています。法的な資格が必要なのであれば、資格を取ればよいだけです。専門性やスキルが求められるなら、勉強して身につければ良いでしょう。興味関心があれば、大きな理由がなくとも始めて良いはずです。

ただそうは言っても、私たちは過去に理由や資格を求めてしまいます。だから、そんなときは、視点を未来に移してみることが一つの対処策なのではないかと思っています。

 

未来の過去を今から作る

当然と言えば当然ですが、未来の自分にとって「今の自分」は過去です。言い方を変えれば、未来の自分にとっての過去は、今から作ることができる過去です。

たとえば、野球選手のダルビッシュ氏は、20歳前後のときに、自分が40歳でホームレスになった未来を想像し、「20歳の時に戻してやる」と言われて、転生したつもりで頑張った、と述懐するインタビュー記事があります。これはまさに未来の視点に立って、今の自分を見て、その未来の自分にとっての過去を作りはじめた好例でしょう。

 

同じように、私たちは未来の自分にとって過去を今から作ることができます。

大した理由がなくても行動し始めて、誰かを助けたりすることが実際にできれば、それは行動を続ける理由になります。実績ができれば、それは自分がやる十分な理由になるでしょう。そうして5年も続けていれば、他の人にはなかなか真似できない立派な理由になっています。

何が理由であろうと、あるいは理由がなかろうと、とにかく歩き始めて、遠くまで来たときにふと振り返ってみたときに、轍のように残るものがいわゆるキャリアであり、自分なりの理由のように思います。

だから、「未来の自分にとっての過去や理由を、今から作り始めてあげるんだ」、あるいは「未来の過去を今から作る」と考えれば、積極的にいろいろなことに挑戦ができるのではないでしょうか。

 

まとめ

分かりやすい理由や原体験があって、自分の中のストーリーがあれば確かに動きやすいでしょう。でもそのストーリーはこれからでも紡いでいけますし、私たちは時間の流れとともにそのストーリーを紡いでいかなければなりません。であれば、これまでのストーリーではなく、これから紡ぐストーリーに目を向けたほうがよっぽど生産的です。

「過去に何もない」からといって、未来がそうだとは限りません。その何かは今から作ることだってできます。過去に「なかったこと」を「あったこと」にはできなくても、これからそれを「ある」ようにすることはできるはずです。

そんなつもりで、これから理由を作っていくつもりであれば、過去になにもないと思っていても、きっと動き始めることができるのではないでしょうか。

埋め込まれたアントレプレナーシップ教育

これまでの小中学校におけるアントレプレナーシップ教育の展開計画では、いくつかの課題がありました。たとえば以下のような課題です。

  • 既存の授業科目とは「別」のコマを用意することが想定されており、学校や教師の負担となっている(ただでさえ、外国語や情報教育で負担が増している中で)
  • 「アントレプレナーシップ教育=ビジネス教育」という素朴な理解(誤解)を持つ教師に反発を受ける
  • 適切なアントレプレナーシップ教育を実施できる人が(特に地方では)少なく、広く展開することが困難である

これらの問題を解決する方法として「埋め込まれたアントレプレナーシップ教育 (Embedded Entrepreneurship Education: EEE) 」があるのではないかと思います。

 

これは、アントレプレナーシップ教育用の授業を別の枠を用意して行うのではなく、既存の科目の中でアントレプレナーシップ的な能力を伸ばすことを企図した教育です。

例えば日本の小学校などでは、以下のような形をとることができるのではないかと思います。

科目

具体的な活動

涵養されるアントレプレナーシップの資質・能力

理科

教科書にないことを提案し、実験をしてみる

仮説検証

社会

地域の社会課題を知り、解決する

社会課題解決、仮説検証、リソースの獲得

国語

誰かを動かすメッセージを書く

 

リソースの獲得

算数

お金の計算をする

財務、会計

 

埋め込まれたアントレプレナーシップ教育を実現しようとすると、既存の科目の中身を少しずつ変えていくとい大きな作業が発生します。ただ、それを超えるメリットとして、

  • 追加の授業をしなくても良い(教員の負担を減らせる)
  • 既存の教員を活用できる(ただしアクティブラーニング的手法を学ぶ必要がある)
  • 個別にアントレプレナーシップの授業を行うよりも大きな効果が得られる可能性がある
  • アクティブラーニングや、文部科学省の「生きる力」とも密接に関連するアントレプレナーシップを既存の課程を活かしながら涵養することができる

といったものが得られるのではないかと考えています。

 

これまでもEUやイギリス等では先行的に試されており、これらの事例を参考にしながら進めていくことができるのではないかと思います。

なお、この Embedded Entrepreneurship Education は 2023 年にシステマティックレビューが書かれています。

 

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学生にとっての「社会」と「社会課題の解決」

「社会」という言葉はもともと日本語にあった言葉ではなく、society という言葉の翻訳のために、明治時代に新しく作られた造語だそうです。

この society という言葉には意味が大きく2つあり、

  • 狭い範囲の人間関係 (例: 仲間、友人、組、会)
  • 広い範囲の人間関係 (例: 世間、地域、国、世界)

だと言われています。

 

現在日本で、『社会』という言葉を聞いたときに想起するのは、より抽象的な広い意味での社会、いわば「大きな社会」のほうかもしれませんが、もともとは「小さな社会」の意味も持つ言葉でした。小さな社会と大きな社会がグラデーションのようにある、と捉えたほうが良いのかもしれません。

 

学校教育やアントレプレナーシップ教育では、「社会課題の解決」が盛んに言及されるようになりました。そのときにイメージされる『社会課題』は、社会という日常で使われる言葉に引っ張られて、より広い抽象的な意味での社会における課題を想定されているように思います。

しかし、語源をたどってみれば、本来であればより小さな「社会」における課題も立派な社会課題です。それに学生たちが実感できる「社会」は発達段階によって異なるように思います。たとえば以下のようなものです。

発達段階

社会の枠

小学生 低学年

家族、親族、友達

小学生 高学年

学級、学校

中学生

学校、部活

高校

地域(広域)、インターネット

大学

日本、世界、学問

社会人

会社、市場、世界

たとえば小学生が、自分たちの学級という社会の課題を何らかの方法で解決したり、学校という社会の課題を、ルール(校則)を変えるよう働きかけて解決するのも、この意味においては立派な「社会課題」の解決だと言えます。

アントレプレナーシップ教育で社会課題の解決を促そうとしたときにやるべきなのは、それぞれの学生が認識する「社会」に合わせた、実感のある「社会課題」の解決の経験と、少しだけストレッチした、次の発達段階での「社会」に目を向けてもらうことではないかと考えています。

 

逆に、小学生に「社会課題を解決しよう」と言い、ビジネス(市場)や世界の課題を解決をさせようとして、SDGs などに貢献するものを考えてもらおうとすると、本人たちに実感のない「社会」の課題を解決を促すことになります。

それには、「より大きな社会」に目を向ける効果はあると思いますが、そもそもの「社会」というものの認識から説明する必要が出てきてしまいます。そして認識や実感のないまま社会課題解決に挑もうとすると、ニュース等で見聞きした表層的な課題を持ってきてしまう傾向にあるように思います。

そして抽象的な社会における課題になればなるほど解決が難しいので、「課題を解決した」という達成経験を得ることはできません。そうすると、多くの人は自己効力感を得られませんし、学びが乏しくなるのではと思います。

 

「何を教育目的にするか」次第ですが、資質・能力を伸ばすことが目的の場合は、学生の発達段階と「社会」の認識に合わせて、身近で実感のある「社会」の課題解決から始め、学生の皆さんが達成経験を得やすい環境を作り、自己効力感を養ってもらいながら、次第に(もしくは時折)市場や広い意味での社会の課題に目を向けてもらう、そうしたほうが社会課題の解決に興味を持つ学生も増えるのではないかと思っています。