🐴 (馬)

Takaaki Umada / 馬田隆明

デザイン思考🎨🧠を超えて、グランドデザイン🗺️を

最近の日本では様々な場所で「長期・全体の構想」を描いていくことが多く求められているように思います。

 

たとえばスタートアップです。現在のスタートアップエコシステムでは、より大きな規模の会社を作ることが求められています。その結果、起業家にも、起業の初期から大きな構想を描いていくことが求められ始めています。

既存企業でも、一部の大企業は従来3年スパンだった中期経営計画を廃止し、大きな変化を起こせるようにより長期の計画にシフトしている企業も出始めました。

 

ビジネスだけではありません。地域も長期プランを必要としています。「人口減少の中で地域の産業をどうしていくのか?」「工場の跡地をどうするのか?」というのを考え、対策を打とうとするとき、必要とされるのは最終的な構想と長期にわたる変化の計画です。そうした構想がなければ、変化のための一歩も踏み出しづらくなるだけではなく、時とともに状況は悪化していき、打てる手も少なくなっていきます。

国もそうでしょう。国際情勢も不安定になってきており、これまでの国際秩序とは異なる秩序を形成していかなければならない中で、どのような方向に向かうべきかを考えていく必要性が増しています。そしてその国際秩序の不安定さのもとになっているのが、各国の国内の秩序の不安定さであり、これも考えていかなければなりません。人口減少の社会をどうソフトランディングさせるかも、中長期のプランを必要とします。

 

それぞれのケースにおいて、足下の細かな動きに機敏に対応することもできます。ただ、それを続けているだけでは、その場しのぎの対応を次々に行うことになり、焼け石に水をかけ続けることになります。その結果、大きな流れの中でただ流されて、漂流していくことになってしまうのではないでしょうか。

むしろ足下が不安定だからこそ、そもそもどこにどう向かうかという長期にわたる構想、つまり『グランドデザイン*1を作る能力の重要性が高まっているのでは、と思っています。

 

2010年代 (1) - 足下の課題解決と最適化に注目する時代

この10年ほど、『デザイン』という言葉がビジネス界隈でもよく使われるようになりました。『デザイン思考』などの方法論も新規事業の界隈で語られてきています。

これまでのデザイン、特にデザイン思考は、共感を大事にした、比較的ミクロで短期の課題解決が中心でした。そこで語られる内容も、共感の手法やプロトタイピング、学際性などの手法論・プロセス論に寄りがちだったように思います。

同時期に流行ったリーンスタートアップの方法論なども、ミクロな課題解決と局所最適解を見つけるための方法論に注目が集まっていたように思いますし、エフェクチュエーションなども足下でできることが重視されがちでした(方法論全体をよく読むとそうではないのですが)。アジャイルなども、長期というよりも短期かつ敏捷に適応していくことの重要性が(巷では)主に語られていたように思います。

 

これらに共通するのは、足下の適応に着目して、迅速に最適化をするという動きです。

それ以前の計画中心で何も行動しないことと比べれば、こうした行動重視の動きも大事なのですが、むしろそうした手法に注目されるがあまり、その基盤となるべき方向性を決めることや、グランドデザインを描くこと自体に注意が集まらなかったのでは、とも思います。

 

2010年代 (2) - 道具や手法に頼ったグランドデザインなき『転換』の時代

そうした手法に注目が集まった中で、GXやDXという転換(トランスフォーメーション)が語られ、○○トランスフォーメーション、という言葉をよく聞く年代でもありました。今や『○X』という言葉はすべてのアルファベットで存在するのでは、とも思います。

しかし転換は本来、プロセスや手法に主眼を置いたものです。もし転換を起こすのであれば、その前提には目標としている絵姿やグランドデザインあるはずです。しかしそのグランドデザインがなく、方向性のない『転換』や『転換』そのものだけが叫ばれていた、こともあるように思います。

 

特に、IT や AI などの「道具」が明確だった DX は、その手法や効率化ばかりに目が行ってしまう傾向にあり、その先にある絵姿を描くことに注目が集まりづらいという不幸もあるでしょう。また、同時期に注目されたデザイン思考の方法論なども相まって、現場のボトムアップから生まれてくる計画に期待している向きもあったのかもしれません。

ただ、その結果、長期のことやあるべき方向性をあまり考えなくなってしまったのではないか、とも思います。

 

デザイン思考ではなく、長期のグランドデザインへ

目の前の課題解決をしてくための方法論はこの10年で洗練されました。それらも大事なものの、一方でそもそもどこに向かっていくのかといった、長期の構想を描いたり評価するといった、細かな最適化を行う前段にやるべきことはあまり語られてきませんでした。

しかし様々な転換や再構築が求められている今、そうした手先のデザインや方法論ではなく、長期の『グランドデザイン』を描くことの重要性が改めて高まっているのでは、と思っています。

 

もちろん、これまでもグランドデザインと呼ばれているものはいくつもありました。ただ、日本でよくある「グランドデザインの作り方」は、ボトムアップでアイデアを出させて、それらを寄せ集め、分類し、それをもってグランドデザインとすることもそれなりに多いように思います。それは誰も傷つかない方法ですが、しかし大きな変化を起こしづらい方法でもあり、方向性やメッセージも明確になりづらい方法です。

であれば、今こそグランドデザインの重要性を訴え、それを作る方法を考えていく必要があるのではないかと思います。

 

なにも、すべてを事前に計画して、その通りに進めるというわけではありません。構想を描くこと自体をしていないのであれば、まずはそれを描くところから始めて、構想を適応的に変化させながらも、それでも辿り着く点を明らかにして歩き始めましょう、という提案です。

特に、こうしたグランドデザインに関わる人が増えても来ているからです。

 

(1) 描くべき場面が増えた

従来、こうしたグランドデザインを考えるのは経営者や政治家、霞ヶ関の官僚といった人たちの仕事でしたが、現在は多くの人にもそうしたグランドデザインを描く能力が求められ始めているように感じています。

たとえば上記の地域の例にもあるように、地方自治の現場レベルでも必要ですし、各企業での事業部ごとにも必要とされるシーンも増えてきているように思います。たとえば、循環経済のモデルを考えるときにも、産業システムのグランドデザインが必要になってきます。

起業家もそうです。成長を目指すのであれば、中長期の企業のグランドデザインがなければ成長もできませんし、人材採用等も困っていくことになるでしょう。

(2) 評価する機会も増える

現場レベルまでその構想を描く仕事が降ってくることが増えただけではありません。もし転換や再構築の流れが高まってくれば、誰かが描いたグランドデザインに対する評価をする機会も多くの人に増えていくことになるでしょう。

ビジネス関係で言えば、NISA などの影響で、日本国内で個人投資家が増えたことで、投資先を選ぶときに各社の長期計画を読み解く能力の重要性が増しています(特に新NISAで増えた個人投資家は長期投資の傾向にもあるためです)。

 

また、地域などでグランドデザインを描けたとしても、それを多くの人が適切に評価できなければ、合意に至ることができず、実現に向けた実行ができません。

もしグランドデザインを評価する能力がなければ、あるいは賛同・改善する能力がなければ、その場しのぎの対策ばかりを打つことになり、「焼け石に水」をかけ続けることになってしまうでしょう。その水(財源)も有限であり、いずれなくなります。

 

上記の2点においても、私たちの多くはグランドデザインと関わる機会が増えていると考えています。

 

グランドデザインを考える方法論

そのグランドデザインを考えようとしたとき、適切な方法論はあまりありませんでした。かろうじて「バックキャスティング」や「妄想」などと言われますが、その具体の方法論は抜けているようにも思います。

一方で、未来は不可知だからと「とにかくやってみる」という極端な論も出てきます。

おそらくその間にはグラデーションがあり、様々なシーンで使える方法論があります。今後はそれを具体化していく必要があるのだろう、と思います。 

 

仮説行動』という本でも多少まとめているつもりですが(やや現場向きにしていますが)、既存の思考法を組み合わせれば、グランドデザインを描くことはやりやすくなっているのでは、と思います。

たとえば、以下のような手順です。

  • 現在の社会システムや組織システムをマクロ・ミクロに理解し(システム思考)、
  • ビジョンや理想といった次なる到達点を掲げ、
  • 将来のシステムをマクロ・ミクロに構想し(システム思考)、
  • それを実現するための最も有効な道順(戦略)と戦術を考え、
  • 各種のミクロな問題はデザイン思考などを用いながら解決し、
  • 実行からのフィードバックを活かして繰り返し適応的に改善する

(※あえてデザインとグランドデザインを比較しながら語ってきましたが、両方大事だと思っています)

 

少し前の時代よりも、こうしたグランドデザインの構想はやりづらくなっていることは確かだろうと思います。見るべき点も細かく複雑になったので必要な情報が多くなりました。不確実性が高く、変化も早いため、構想を決めきれない、という面あるでしょう。

ただそれらは、知識と意思を動員すればまだ乗り越えられるように思います。グランドデザインを描くための要素を増やしながら、要素同士をつなげていき、具体と抽象を行き来しながら考えていけば、ある程度のグランドデザインの仮説は作ることができるでしょう。そして最後は踏み切る意思が必要とされます。

 

もちろん、グランドデザインを決められたとしても、実行が難しい、という点はあるでしょう。

かつては業界団体や自治会などの中間団体が意見の集約を肩代わりしていたものの、それらが弱体化し、ステークホルダーが分散化することで、合意が取りづらくなっている、などの推進上の課題などもあります。それらも実行法の中でカバーしていく必要はあるように思います(『未来を実装する』などで一部書きました)。

ただ、実行が難しいからといってグランドデザインを描くのを諦めてしまっては、焼け石に水をかけ続けることになるでしょうし、そもそも実行の難しさにぶつかる以前にグランドデザインをそもそも描けていない、というところのほうが多いように思います。

なので、まずはグランドデザインを描こうと動き始めるほうが良いのでは、と思っています。

 

 

求められる『社会のグランドデザイン』

特に必要だと考えているのは、社会(地域社会含む)や産業のグランドデザインです。

しかし日本国内の選挙を見ていても、目の前の苦しさやニーズへの対応や、行政の効率化などの議論はあっても(それらも大事なのですが)、その先にあるグランドデザインを感じることはそう多くはありません。ワンイシューのほうが訴えやすいし、集票もしやすいということもあるでしょう。

しかし、社会保障や GX をはじめとした本当に必要な転換をしていこうとすれば、国で言えば各省庁を超えたようなグランドデザインが必要です。産業と雇用と健康と環境などを同時に考えていかなければならない、複雑なデザインが必要だからです。

 

個別化した社会においては、かつての日本列島改造論のように、「全員こっちの方向に行くぞ」と言いづらい状況だとは思いますし、短文やショート動画のような短いメディアが主流になった今では、複雑な議論をしづらいという状況もあるでしょう。

ただ、海外を見てみれば、そうしたグランドデザインを描こうという動きは出てきているように思います。アメリカでは、新右派がその思想をまとめ始めているように思いますし、リベラル側も個別の課題解決ではなく、Abundance のような少し包括的なグランドデザインを出そうとしています。おそらくそうしなければまずい、という危機感があるのでしょう。

 

本来であれば公に近い人たち、たとえば政治家や公務員などの人たちが描いていくべきなのでしょうが、国や自治体は人材不足や目前の課題の現場対応などで疲弊しており、細かな所まで把握できなくなっているようにも思います。

そこで現場を持つ民間や市民の人たちがもっと歩み寄り、中長期のことを考えていく方が良いのでは、と思っています。実弾や実例を持っている人たちのほうが、希望も打ち出しやすい、ということもあるからです。

  

ただ、そのためには単に思いつきを言えば良いというわけではなく、知識が必要です。社会システムや産業システムの理解だけではなく、現場で苦しみ、悩む人たちの声も拾い上げていく必要があるでしょう。

そうしたミクロとマクロ、具体と抽象、理性と感情を行き来するような取り組みに、一人でも多くの人が関わってくれると良いなと思っています。

 

日本にもいくつもの領域で再構築が必要になってきています。

その再構築の先にある絵姿とそこに至る道筋というグランドデザインの議論が増えることを願っていますし、私個人もそうしたグランドデザインを作ったり、議論する時間を増やすつもりです。ぜひそうしたことを考えている、近くにいる人とお話しできればと思います。

 

 

付録

こうしたグランドデザインの構築は、考えれば考えるほど、そして表に出せば出すほど洗練されていく傾向にあります。起業家がミッションやビジョンをピッチで語る度に、それが思考の練習となり、洗練されていくように、です。

これも結局、知識量と練習だと思うので、多くの人が「自分たちの地域をどうしたいのか」「自分たちの産業をどうしたいのか」といった議論がなされるようになると良いのだろうなと思います。

*1:グランドデザインは英語にもある言葉ですが、英語圏ではマスタープラン (master plan) やブループリント (blueprint) と呼ばれることが多いように思います。