テクノオプティミズム(技術楽観主義、テクノ楽観主義)や効果的加速主義という言葉をしばしば見るようになりました。
こうしたテクノオプティミズムの背景には、「テクノロジーの進歩により、社会はより良くなっていく」という信念があるように思います。その信念が強い場合、「テクノロジーが進歩することによって、ほぼ全ての問題が解決できる」という考えや、加速主義的な思考にも近づいていきます。
ただ私は、そこまでテクノロジーに対して楽観的にはなれない人間です。テクノロジーにはリスクもありますし、ときには規制も必要だと思っています。それに富の再分配には政治も必要で、技術ですべてを解決できるとは思っていません。しかし同時に、テクノロジーが多くの問題を解決してきたことには敬意を感じ、今後もテクノロジーの発展には強く期待しています。
テクノオプティミスト(テクノ楽観主義者)や効果的加速主義者の持つ、「テクノロジーの進歩でほぼ全ての問題を解決できる」という極端な考えには与しないものの、テクノロジーの進歩については希望を持っている、という立場を取る私のような人間にとって、自らの立場をテクノ楽観主義や加速主義と位置づけることはかなり躊躇することでした(あまり一緒にされたくない、という意味でも)。
そこで見つけたのが「メリオリズム」という言葉です。
メリオリズム
メリオリズム (Meliorism) は改良主義や漸進的改善主義と言われます。melior は「より良い」を意味するラテン語です。
メリオリズムは、ウィリアム・ジェームズやジョン・デューイなどのプラグマティズムの系譜の考え方であり、ユートピアのような完全な理想的な状態には到達できないかもしれないけれど、人々の意識的な努力によって徐々に改善はできる(より良くなりうる)、と信じる立場です。辞書では「世界は改善する傾向があり、人間はその改善を助けることができるという信念」とも整理されます。
メリオリズムは、楽観主義でもなく、悲観主義でもなく、その間に位置づけられます。革命的で破壊的な変化を求めるものではなく、漸進的な進歩を求めます。ポパーの社会工学的なアプローチにも近いとも言えるでしょう。そして進歩主義の理想から、エリート主義的な特権を取り除き、庶民と正面から向き合う考え方とも言われています。
このメリオリズムと技術との掛け算、テクノメリオリズム(テクノ改善主義 - techno meliorism)という概念が、「技術によってより良い世界を実現することはできる」という今現在の自分の考えに適したものではないか、と現段階では思っています。
(※ 漸進的な改善では解決できない問題もあるので、全てにおいてこの立場を取るわけではないのですが…)
意思
振り返ってみれば、テクノオプティミズムは、テクノロジーさえ良くなれば、あとは放っておいても世界は良くなるものである、という考えがあるように見えています。
一方、テクノメリオリズムは、「そういうものである」という考えではなく、世界を良くしていくという考えを持ったうえで、テクノロジーを使っていく、という意思を含意できるように思います。
丸山真男の言う、「である」のではなく、「する」ことに近いかもしれません。丸山真男は『「である」ことと「する」こと』(『日本の思想』に所収)で、日本の社会を民主主義「である」と見做して、放っておいても維持されるものであると捉えることに注意を促し、普段の民主化によってかろうじて民主主義でありうること、そして主体的に点検や吟味をして維持「する」ことの重要さを説いています。
シェイクスピアでいえば「To be or not to be」ではなく、「To do or not to do」という問いである、という丸山の整理は、それをより分かりやすく説明しているでしょう。
同様に、「技術によって世界は良くなるものである」という単なる楽観ではなく、「技術によって世界を良くする」という意思を持って取り組むことが重要ではないでしょうか。
そうした意思を持って取り組むことが重要であるとすれば、なおさら、オプティミズムに留まるのではなく、メリオリズム的な立場を取って行動することが、より求められている時代になっているように思います。