🐴 (馬)

Takaaki Umada / 馬田隆明

起業を増やすためにもリカレント教育の推進を

Climate Tech のスタートアップを調べていると、ある傾向が見つかります。代表的なものとして、

  • 共同創業者の誰かが MBA を取得している率が高い
  • 共同創業者の誰かが Ph.D を持っている率が高い

という 2 点があります。

IT 系の起業家とは少し異なり、Climate Tech や Deep Tech に挑戦する起業家は大学卒業後、一度働いた後に学位を取るために大学に戻って、学び直しを行っているようです。アメリカ以外の Climate Tech スタートアップでも同様の傾向があります。

その背景には、専門性が評価される労働市場ができていることもあるのでしょう。学位取得がキャリアアップにつながることで、大学に戻って学ぶインセンティブが高まります。その結果、ビジネス・科学領域で専門性の高い人材が生まれ、Climate Tech のような難しい領域に挑むことができる CTO 人材や CEO 人材が輩出される、あるいはそうしたスタートアップで働く従業員人材も育つような仕組みとなっているのではないかと思います。

個人の学びと同時に、人のつながりを作るための学校という場

ただ、学校に改めて通うことは、単に個人の知識や能力が培われるだけには留まらないようです。共同創業者同士のつながりを見ると、同じ大学に通っていたことがある率がそれなりに高いことが見て取れます。

つまり、学校での学び直しのタイミングで新しい人のつながりも生まれ、起業に対して良い影響を与えているのではないか、と思います。

起業家を生んでいくためには、何かしらのコミュニティが必要です。共同創業者を探したり、アイデアを考えたりするときには、人のつながりが有効だからです。

人のつながりを新たに得ようとすると、普段とは異なるコミュニティに出かけていくことになります。ただ、そうした活動には相当の外向性が求められますし、得意な人はそう多くないのではないかと思います。

たとえば、「共同創業者を探すためのコミュニティ」といったような、ネットワーキングのためのコミュニティを作ったところで、多くの人はやってこないでしょう。やってきたとしても、人材の需給のアンバランスな人の集団になりそうです。

これまでコミュニティに関連する活動に関わってきて感じることは、多くの人はコミュニティに入ること自体をそこまで強く求めているわけではない、ということです。

それは当然といえば当然です。コミュニティを外から見ると、誰がいるのか分からないし、何が得られるのか分からないものです。良い人に出会える確率が低いことも多くの人はこれまでの経験から知っています。また投資する自分の時間やお金に対して、何のリターンが得られるのかというのも明確ではないのがコミュニティです。

だからこそ、能動的にコミュニティに参加する、というのはリスクの高い賭けになりがちであり、避ける人が多いのも頷けることです。

そんなときに求められるのは、「ある程度受動的に参加することができ、かつ能動的に参加もできるような仕組み」があるコミュニティです。また「そこにいると、能動的な誰かに巻き込まれやすい仕組み」があるコミュニティでも良いかもしれません。

それが学校という場のように思います。

学校という場に参加する人たちの主な目的は、あくまで知識や能力、その結果としての学位や証明書です。授業等で受動的に学びの機会が与えられ、定期的に会う人が出てきます。宿題や授業の中で共同作業をすることで、友だちもできるかもしれません。

そこにいれば新しい人たちとのつながりが作れて、しかも毎年人の出入りがあるため、常連のような固定化したコミュニティも生まれづらい傾向にあります。

また、研究という能動的なことも行わなければ卒業はできません。そうした学びの活動の中で、半強制的に人のつながりが生まれるのが学校という場です。そうした学校というコミュニティをうまく活用することで、起業の元となる新しい人のつながりが生まれるのではないかと考えています。

そして学校を経由することで、高度な人材も輩出されるというそもそものメリットもあるでしょう。

長い時間を過ごすコミュニティとしての学校

とはいえ、「新しいつながりを作る」ことや「学ぶ」ことが目的なら、学校でなくても良いのではないか、という話もありうるでしょう。たとえば、1時間ほど場所と時間を共有する程度の勉強会もコミュニティと呼ぶときがありますし、学びの場です。そうしたコミュニティを作れば十分なのではないか、といった議論は十分にありえます。

確かに知り合いを作る程度であれば、短いイベントでも構わないかもしれません。しかし共同創業者やアイデアを交わす仲にするには、それなりに深い関係性を築く必要があります。

たとえば Hall の研究によれば、「ときどき顔を合わせる程度の友だち」と呼ぶには平均75時間、「友だち」と呼べるようになるには112時間ほど一緒に過ごす必要があるようです。

https://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/0265407518761225

これだけ長い時間を過ごすコミュニティは、ちょっとしたネットワーキングイベントや勉強会を積み重ねるだけでは難しいものです。またそうしたイベントでは、参加者同士の共同作業なども行われません。

実際、どこかに勤めながら受講する研修などは、長い時間をかけて行うことはほとんどなく、研修で出会った人たちが起業した例という話もあまり聞きません。

学校という一連のカリキュラムに参加し、その場で長く過ごすからこそ、こうしたネットワークは生まれるのではないでしょうか。

研修や生涯学習ではなく、フルタイムのリカレント教育

さらに学校という長期的に学びの場に没入して集中することは、大きく視点を変える効果を持つように思います。

こちらの論文の議論がそのまま当てはまるわけではありませんが、「何かを大きく変えようとすれば、研修ではなく養成段階で対処しなければならない」と指摘されています。

実際、新しい物事を学ぶためには、誤概念を修正したり、既存の考えをアンラーンしなければならない場合はそれなりにあります。そのとき、働きながらだと、今のある環境をベースに新しいことを学ぼうとすることになり、人の視点やスキーマといったものは変わりづらいのは容易に想像がつきます。

だからこそ、一時的な研修ではなく、労働から少し離れてリカレント教育を受けることで、視点や考え方を変えるという点では高い効果を見込めるのではないかと思っています。

ただ、日本でのリカレント教育の議論は若干ぶれています。リカレント教育とはそもそも、

「リカレント教育理念は,個人の人生全体を見すえ,労働に集中する時期と,教育を受けることに集中する時期とを,交互に繰り返す回帰的な考え方」
政策としての「リカレント教育」の意義と課題

とされており、一時的な研修でないことが指摘されています。

しかし、日本でのリカレント教育の議論は

「職業から離れて行われるフルタイムの再教育のみならず,職業に就きながら行われるパートタイムの教育も含むものとして日本では議論されてしまいがちであり、生涯学習(ライフロングモデル)との違いも明確ではない」
同上

と、幅広い学習が含まれてしまっていると指摘されています。

https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2020/08/pdf/026-040.pdf

新しい視点をきちんと学ぶという観点や、新しい人のつながりを作るという観点から、一時的に労働から離れて、長い期間学びに没入できるという環境、つまり本来的な意味でのリカレント教育ができる環境を作ることが大事なのではないかと思います。*1

高度な人材育成と高度な産業の育成の両輪を回し始めるためのリカレント教育

会社から離れても良いという状況を作るには、社会保障をどうしていくのか、といった議論も必要になってきます。リカレント教育発祥のスウェーデンのように、教育休暇法(教育訓練を受けられる権利を定めた法)なども必要になってくるかもしれません。

学びの場の主役になるであろう大学も、新しい学生を受け入れる準備をしなければなりません(大変ですが、それは日本の大学にとっての新しいビジネス機会ともなるでしょう)。冒頭で話したように、労働市場が専門性を評価するようにならなければ、学び直すインセンティブも発生しません。

産業に近い領域に限る話にはなってしまいますが、「博士号を取れば高給が貰える」というインセンティブを作るためには、そうした博士を活用できる高付加価値産業の育成も必要です。そうした高度な知識を活かすスタートアップを生むような支援、たとえば Deep Tech スタートアップの振興も大事になってくるでしょう。

スタートアップを増やすことが政策として目指されている現状、スタートアップ振興とリカレント教育振興の組み合わせは相性が良いようにも思いますし、成長産業への労働移動を起こすことや、人材の流動性を上げることに寄与しうるのではないかと思っています。

そして、そうしたリカレント教育の中で、アントレプレナーシップ教育なども併せて行うこと、あるいは起業家のためのビジネススクールなどを用意することで、スタートアップが生まれていく仕組みを各地域で作っていけるのではないでしょうか。

 

*1:ただし、リカレント教育を推進しているスウェーデンでは若者の失業率が高いなど、様々な問題も抱えており、そうした副作用に配慮しつつ推進する必要はあるように思います。

アントレプレナーシップ「教育」の研究

アントレプレナーシップに関する研究は様々な大学で行われています。

起業家個人の特性、どういった起業家が成功しやすいのか、スタートアップがもたらす経済効果など、経営学や経済学、あるいは心理学や社会的ネットワークといった分野から、アントレプレナーシップや起業家は研究対象となっています。

一方、アントレプレナーシップ「教育」についての研究はアントレプレナーシップほど進んでいないように思います。『海外における起業家教育の先行研究レビュー』でも指摘されている通り、教育の実務に研究が追い付いていない、というのが国内外の現状のように見えます。

アントレプレナーシップ教育の現状

そもそもアントレプレナーシップ教育は、他の教育とは異なり「これをすればよい」というのが決まっていません。具体的には、

  • 目的 (why) - 何のために教えるのか
  • 内容 (what) - 何を教えるのか
  • 方法 (how) - どのように教えるのか

のすべてがまだ定まりきっているわけではありません。

他の教育、たとえば小学校の理科の授業などであれば、「何のために教えるのか」はおおよそ同意を得られていますし、「何を教えるのか」についても、ほとんど決まっています。その結果、一般的な科目の教育研究では「どのように教えるのか」に焦点を当てることが多く、より良い効果を出すための授業研究などが行われます。

アントレプレナーシップ教育は、目的、内容、方法のすべてがまだ決まっているわけではありません(おおよその方向性は、海外だと見えつつあるのかなという印象もありますが)。そのため、日本では議論や研究の土台がそこまで整っていないようにも見えます。

教育効果の測定も十分ではない

こうした目的、内容、方法が定まっていないからか、教育効果についても十分な議論がされているわけではありません。

学校によっては起業数などを目的変数に置いているところもあるかもしれませんが、教育の成果としてその数値が見えてくるのは相当先でしょう。たとえば、授業受講後すぐに起業した人がいたとすれば、既に起業する準備が整っている人が授業に来ただけの可能性が高いです。

受講者の満足度を取ることもありますが、これは教育成果とほとんど関係はありません。楽に単位が出れば満足度は高まりますし、ゲスト講演が面白ければ高く出るからです。満足度自体は参考程度に取っても良いと思いますが、教育成果とは切り離して考えたほうが良いでしょう。

「この授業がどれだけ役に立ちましたか?」といったアンケートを授業後に取ることもあるでしょう。しかし、これも教育成果を測るものとして適切というわけではないでしょう。信頼性や妥当性の問題もありますし、直近で役に立つ知識などであればそれは研修に近いもので、それが目的の授業なのか、という議論に立ち戻る必要が出てきます。仮に「この授業は役に立ちそうですか?」という未来についての設問にしたところで、単に回答が難しくなるだけで、あまり良い回答は得られないでしょう。

他教科と同じく、ペーパーテストでの成績を取ることもできます。それだと知識の定着度合いは測れますが、そもそもアントレプレナーシップ教育の教育成果は起業に関する知識の定着を目指しているのかといえば、恐らくそうではないでしょう。

少し専門的なものになってくると、起業意思 (entrepreneurial intention) を使う場合もあります。ただ、起業意思を確認する設問は「起業家となるために何でもする覚悟がある」といったような強いもので、これを授業だけで高めることはかなり難しいものとなります。

さらにいえば、起業意思は授業の結果として下がることもあります。自分の起業への向き不向きが分かるからです。そしてその向き不向きが分かること自体は全く悪いことではなく、むしろ良いことなので、起業意思の上下を授業の教育成果として用いるのはあまり良くないのではないかと考えています。(計測はしても良いとは思いますが)

このように教育の目的や内容、方法について定まっていないため、こうした効果測定についてもまだ十分に定まりきっているとは言い難い状況です。

その結果なのか、研究が行われないアントレプレナーシップ教育は教育改善のサイクルが回りづらくなっているようにも見えます。多くの授業などが「やりっぱなし」で終わっていて、改善するとしてもオペレーションの改善をする、経験や勘で内容を修正する、他校の事例の踏襲をしてみる、というものになってしまっているのではないかと思います。

アントレプレナーシップ「教育」の研究を

こうした背景を鑑み、今後アントレプレナーシップ教育を推進していくなら、教育研究も同時並行で実施して、目的・内容・方法を定めて効果測定を行いながら、教育内容も適宜改善していく必要があると思います。

他国を見てみると、EU では、受講者の教育効果を測るための設問集を自動的に生成するツール (EPIC Course Assessment Tool) を開発するなど、効果測定を体系化することに積極的に取り組んでいて、効果測定と改善のサイクルが回り始めているのではないかと思います。

場合によっては、目的に応じて、行っている教育に目的に対して効果がないのであればやめるべきでしょうし、より効果の高いものがあれば差し替えていくべきでしょう。もしアントレプレナーシップ教育よりも、他の教育のほうが目的達成のために効果があるのであれば、アントレプレナーシップ教育自体辞めてしまってもよいと思います。

理論的な位置づけも重要です。たとえば実践型の授業をしたところで、「アントレプレナーシップ教育は、ビジネスを題材にした Project-based Learningやデザイン思考教育と何が違うのか」といったところに十分な回答ができなければ、アントレプレナーシップ教育を切り出して教える意義を伝えることもできないでしょう。

こうした未成熟な領域だからこそ、教育実践をする人が率先して研究をしなければ、その価値を位置付けることはできません。アントレプレナーシップ教育を行う人たちが、アントレプレナーシップを発揮して開拓していくことを期待されている領域のように思います。

ただ実践と研究を両立するのは、リソース的に難しい学校が多いのも事実です。アントレプレナーシップ教育の実践をするなら研究のためのリソースを割り当てるなど、学校側からも何かしらの支援が必要であろうことは付記しておきます。

アントレプレナーシップ教育こそ「教える」から「学ぶ」への転換を

「教授パラダイムから学習パラダイムへ」と言われて約30年ほど経ちました。

この二つを簡潔に説明している文章を以下に引用してみます。

教授パラダイムは「教員から生徒へ」「知識は教員から伝達されるもの」を特徴とし、学習パラダイムは、「学習は生徒中心」「学習を生み出すこと」「知識は構成され、創造され、獲得されるもの」を特徴とする。
(理論)教授パラダイムから学習パラダイムへの転換

しかし、アントレプレナーシップ教育や起業家教育と呼ばれているものの多くは、いまだ教授パラダイム中心で行われているようにも思います。教員や実務家が壇上に立ち、資金調達やビジネスプランの立て方を教えたり、経験談を話すような、知識伝達型のものが多いからです。

その背景には、こうしたアントレプレナーシップやビジネス系の授業は、実務家や教育学以外の教員が担当することが多く、その結果、教育学の知見などを参照しないまま、自分の受けた教育や自分の専門教科で教えている方法を繰り返している――そうした状況があるのではないかと思います。さらにその背後には、「起業について教えれば、起業家が増える」という隠れた信念もあるように見えます。

しかし、こうして文字にしてみると、「起業について教えれば、起業家が増える」ということは起こりづらいと多くの方が考えるのではないでしょうか。

幸い、最近は実践型の授業も増えてきてはいるようですが、今後のアントレプレナーシップ教育の授業は、より学習パラダイム中心の設計をしていく必要があるように思います。

学びが生まれる状況を作る

教授パラダイムの場合、教員は「いかに正しい知識を正しく伝えるか」に集中してしまいがちです。その結果、授業の方法を工夫して、分かりやすい例を探したり、説明を何度も行います。あるいは、起業家を呼んでくるということもあるかもしれません。この場合、話す内容も話し方も、すべて教師にとっては自分のコントロール下にあります。

しかし学習パラダイムのときに必要になってくる考え方は、「いかに生徒の学びが生まれる状況を作るか」です。学びが生まれるかどうかは、動機付けも必要ですし、達成感を与える必要もあるかもしれません。そこまでお膳立てしても学びが生まれるとは限りません。

つまり、学習パラダイムでは、教師がコントロールしづらい部分が多く、そのため全能感もなく、居心地の悪い状況になってしまいがちになります。そして一般的に、「いかに正しい知識を伝えるか」よりも「いかに生徒の学びを生むか」のほうが困難です。

こうした違いがあるからか、教授パラダイムに染まってしまっている方々は、学習パラダイムへの転換を躊躇する傾向にあるようにも思います。

しかしよくよく考えてみれば、「どうやれば学生の中で学びが生まれるのか」を考えるのは、難しいからこそ楽しいのでは、とも思います。そして学生の成長を見ることができる頻度も、学習パラダイムに基づいた授業設計のほうが多いのではないでしょうか。

であれば、困難でも、あるいは困難だからこそ、学習パラダイムを考えて授業を設計していくほうが良いのではないでしょうか。

「何の学び」を生むためにやっているかをしっかり考えるべき

なお、単に教授パラダイムから学習パラダイムに移れば良い、というわけではありません。そのときに「どうやって学びを生むべきか」だけではなく「どういった学びを生むべきか」もきちんと考えながら設計していく必要もあります。

特にアントレプレナーシップ教育の場合、他の教科と違い、正しい知識がそこまであるわけではありません。また、そもそも知識の効率的な獲得が授業の目標ではないことも多いでしょう。

何の学びを生みたいのかを考えずに、学びを生む仕組みは考えられません。そこで授業を通して涵養したい起業家的な資質・能力をきちんと定める必要があります。

学びにフォーカスするということは、単に方法を教授から学習に変えれば良い、というだけではなく、何を学んでもらうべきなのかをしっかりと考えなければならない、ということでもある、ということです。

そうした学びの目標をきちんと立て、その学びを生むためには何が必要かを考え、学生の皆さんの周りにどういった環境や状況を整えて、授業や宿題を通してどういった活動をしてもらえれば良いのか、そういったことを考えながらアントレプレナーシップ教育を設計していくことが求められているのでしょう。

私自身の考えるアントレプレナーシップ教育で涵養するべき資質・能力は以下の記事にまとめましたが、あくまで一例です。アントレプレナーシップ教育に携わる人たちが、こうした資質・能力を考え、目標を立てていただくほうがよいのではないかと思います。

blog.takaumada.com

アントレプレナーシップ教育こそ知識伝達と座学からの脱却を

算数や国語といった伝統的な強化も、「教える」から「学ぶ」への転換が行われつつあります。しかしこうした教科は、正しい知識を身に着けてもらうという観点もそれなりに強く、考えるためには知識も必要なので、知識の教授もかなりの時間行わざるをえません。

一方、アントレプレナーシップ教育は前述の通り、正しい答えがあるわけでもなく、それに知識の獲得を中心としているわけではありません。スキルや態度を身に着ける授業だからこそ、他の教科よりも学習パラダイムを強く意識して設計していくべき授業科目のように思います。そして、それは決してゲスト講演などだけで達成されるものでもありません。

講義スタイルの知識伝達が不要というわけでは決してありません。むしろ必要です。講義などを踏まえず知識なしに実践をしても、その実践から得られた経験の概念化が進まず、学びも生まれずに「やっただけ」で終わってしまうでしょう。

そうしたことも踏まえて、「どうやって、どういった学びを生むか」を考えながら、知識伝達と実践、そしてふりかえりのバランスを取り、講義全体をどう設計していくかがアントレプレナーシップ教育ではより重要のように思います。