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Takaaki Umada / 馬田隆明

スタートアップのセールスパイプライン管理

スタートアップの初期のセールス活動において、「〇件の受注」といったゴールにしようとしたとき、どうしてもゴールとなる案件数はかなり小さくなります。場合によっては「今期は1件の100万円以上のLOI獲得」という「1案件のWin」がゴールになるかもしれません。

しかしそのような設定をしてしまうとゴールの達成率は「ゼロか1か」になってしまい、進捗の管理ができません。進捗が管理できなければ本当にゴールを達成できるのかどうか予想できないですし、進捗が見えなければチームのモメンタムの維持も難しくなります。

そこでKGIとして「今期は1件の100万円以上のLOI獲得」と置いたときには、重みづけされた金額や案件数をKPIにして、進捗を管理していく方法があります。

セールス経験者にとっては基本的なやり方ですが、セールス経験のない方々はあまり知らないようなので、簡単に解説しておきます。

基本的な計算式

金額や案件数をセールスステージで重みづけして進捗を計算します。ただしこの重みづけされた予想金額自体をゴールにするのではなく、あくまでKGIに対するKPIという位置づけのほうが良いと思います。ゴールは実際の売上で、それを達成せずにKPIを達成しても意味はありません。これはあくまで進捗確認用のものです。

金額ベースの場合

見込み案件の金額 × セールスステージ = 予想金額

予想金額の合計がKPIになります。

案件数ベースの場合

見込み顧客の案件数 × セールスステージ = 予想案件数

予想案件数の合計がKPIになります。

Google Sheet での管理

こうした案件管理に時間を多く割くべきではありません。なので最初は Google Sheet などでも構わないと思います。あとでどうせ変わります。以下のような簡単な表を作るところから始めてみてください。

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計算例

もし2020年第3四半期のゴールが「500万円以上の案件受注」だった場合、上記の表の案件を見てみると、2020年第3四半期の金額ベースのKPIの計算は

  • A社 100 万円 × 10%
  • B社 200万円 × 50%
  • C社 130万円 × 20%
  • D社 400万円 × 40%
  • E社 300万円 × 20%
  • F社 100万円 × 50%

で、310 万円となります。(※線が引いてあるのは9/30までにクローズしないため計算から抜きます)

なので、現時点では 310/500 = 0.62 (62%) がKPI上の進捗率となります。

案件数ベースで「2件以上の100万円以上の案件受注」であれば、50%+40%+50%=1.4件です。なので 1.4/2 = 0.7 (70%) の進捗率となります。

CRM での管理

Google Sheet ではなく CRM を使うという手もあります。

とりあえず HubSpot CRM (無料)を入れて、Outlook もしくは Gmail のアドインをインストールすれば、すべてのメールログとコンタクト先が HubSpot CRM 上に溜まっていきます。案件管理もそのコンタクト情報に紐づけることができたり、他のチームメンバーと案件の進捗状況がシェアできるので管理は楽になります。(ただし面倒そうであれば迷わず Google Sheet を使いましょう。面倒でCRMがアップデートされなくなると意味がありません)

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また、画面上のメニューの [レポート] -> [ダッシュボード] から「セールス」テンプレートのダッシュボードを作り、「ステージ別の取引種駅の予測」のレポートの設定を「今四半期」にしておけば、四半期のForecastを自動的に取ってくることができます。

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セールスステージの定義

自社のセールスサイクルやプロセスに合わせて設定するべきですが、まだそうしたサイクルなども分かっていなければ、とりあえず仮説ベースで設定しましょう。個人的にはアポが取れて10%、決定権者にデモができてようやく40%かなーという印象です。

HubSpotを使う場合、HubSpot 標準のセールスステージを使うのも良いかもしれません(ただ標準のものはちょっとざっくりしすぎのような気もしますが)。個人的には0%のステージを作っておいて、アタックリスト(コンタクトする予定のリスト)のステージも入れておくと良いかなと思います。

ゴールから必要な案件数を逆算する

ゴールとなる金額や案件数を基に、何件の見込み顧客が必要なのかを逆算してみてください。

これまでの感覚としては、1件のWinに対して、30件はコンタクトをするぐらいがちょうど良いのかなと思います。コールドメールだとそのうち1/5にアポが取れれば良いほうです。それらに加えて既存のつながりをうまく活用すれば、このコンバージョンはもっと高くなると思いますが、それでもたぶん10件にアポが取れるかどうか、というチームが多いのではないでしょうか。

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そのほかの情報

HubSpot によるパイプライン管理の記事も参考にしてください。

動画でも簡単に解説しています。

www.youtube.com

企業文化のバリューは信条から行動へ

Ben Horowitz の「Who You Are - 君の真の言葉と行動こそが困難を生き抜くチームをつくる」が発売されました。原題は「What you do is who you are」であり、「あなたの行動があなたを表す」と訳するべきでしょうか。

本書で Ben Horowitz は企業文化を「従業員の判断基準」だと言い、「行動」を中心にした企業文化の捉え方を提示しています。そして企業理念ではなく、行動規範を作ることを重視しています。

トップがいないところで人々がどんな判断をするかこそが、企業文化というものだ。社員が日々の問題解決に使う一連の前提が、企業文化だ。誰も見ていないときにどう行動するかが、企業文化なのだ。

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侍は武士の原則を「価値観(バリュー)ではなく、「徳(バーチュー)」と呼んでいた。徳とは行いであり、価値観とは単なる信条だ。この本でも書いているように、行いこそ影響力がある(ここからは、理想形を「行動規範」と呼び、ほとんどの企業が掲げている信条を「企業理念」と呼ぶことにする)。

こうした行動の重視は近年の日本のスタートアップにおけるバリューの質の変化をうまく表しているように思います。

日本でも近年、スタートアップが自社のカルチャーやバリューを公表して、採用を促すことが増えてきました。従来の大手企業では「Trust」や「Integrity」、「Transparency」や「Honesty」など、単語で重要視する信念を表すことが多かったように思いますが、最近のスタートアップのバリューはもう少し文字数が増えている傾向にあります。

そうした文字数の増加という量的な変化の裏には、バリューの内容に関する質的な変化もあると考えます。それは「行動を促すバリュー」になってきている、という点です。つまり、本書と同じく、バリューに対する信条から行動への変化がその裏にあるのではないでしょうか。

もちろん、従来もバリューの中に行動規範が含まれるケースも多かったと思います。ただ最近ではそれぞれのバリューに「具体的な行動の例」が付記されることも多くなってきているように思いますし、またそうした行動を誘引するような「ルール、プロセス、制度」(評価制度含む)を各社が用意しているようです。

事例を見ながら少し振り返ってみます。

事例

海外の各社の事例はたとえばこのページに、日本の各社の事例はweareでまとまっているようです。その中からいくつか取り上げてみたいと思います。

Salesforce

比較的古い企業に属するSalesforceはTrust、Customer Success、Growth、Innovation、Giving Back、Equality for All、Wellbeing、Transparency、Funと単語が並んだ形のバリューとなっています。

Adobe

Adobe も比較的古い企業ですが、Genuine、Exceptional、Innovative、Involvedと単語です。

Airbnb

比較的新しい企業と言えるAirbnbはBe a host、Champion the mission、Be a cereal entrepreneur、Embrace the adventureと少し文のようになっていて、「Be a cereal entrepreneur」のようなちょっと引っ掛かりのある(説明が必要な)バリューが含まれているのが特徴的です。

Twilio

Twilio もまだ比較的新しい企業です。特徴的なのは10つのバリューを「行動」「意思決定」「どうやって勝つか」の3つのカテゴリに分けている点でしょう。「行動」の部分ではBe an owner、Empower others、No shenanigans、「意思決定」の部分ではWear the customer’s shoes、Write it down、Ruthlessly prioritize、「どうやって勝つか」の部分ではBe bold、Be inclusive、Draw the owl、Don’t settleとなっています。

マネーフォワード

本書の推薦文を寄稿されている辻さんが創業されたマネーフォワード社は、バリューを「行動指針」と訳し、「User Focus」「Technology driven」「Fairness」とされています(代表メッセージのページ)。ここではバリューを価値観や信念ではなく、行動だとされています。

メルカリ

メルカリ、メルペイはしばしばその企業文化やバリューが記事にもなります。3つのバリュー、「Go Bold」「All for One」「Be Professional」は信念に近いものの、Go Bold は迷ったときの行動の判断軸になるものでしょう。

余談ですが、「Go Bold」のような行動指針、「Be 〇〇」で理想状態を示すこと、そしてチームに関するバリュー(All for One)、という3つの構成は分かりやすくて真似しやすいなと思います。

atama+

カルチャーに投資しているという記事が上がるatama+社ですが、最初にバリューを「Wow students」と置き、そのうえで大切な行動として「Think beyond」「Speak up」「Love fun.」を設定されています。行動、という明示をされている点がここでもマネーフォワード社と似ています。

SmartHR

採用スライドの先駆けともなったSmartHRでは、「自律駆動」「早いほうがカッコイイ」「最善のプラン C を見つける」「一語一句に手間ひまかける 」「ワイルドサイドを歩こう」「人が欲しいと思うものをつくろう」という風に、どのような行動をとるべきか分かりやすいバリューが設定されているように思います。

ミラティブ

同じく採用スライドが多く取り上げられたミラティブ社では、ミラティブのカンパニーページで、「期待を超え続ける」「スキルを磨き続ける」「深い愛を抱き続ける」「常識を超え続ける」「そして楽しみ続ける」という5つのバリューを掲げています。これらも特定の行動を促すバリューに近いでしょう。

10X

タベリーを運営する 10X 社は、「10x から逆算する」「自律する」「背中を合わせる」という3つのバリューが、具体例 (Do's) とともに紹介されています。24ページ目から、バリューが策定された背景も含めて解説されている珍しいドキュメントです。

speakerdeck.com

CADDi

バリュー自体は「大胆」「卓越」「一丸」「至誠」と単語をベースとしたものですが、すでにカルチャーブックを作り、そちらで行動指針をまとめているところが特徴的なように思います。

speakerdeck.com

FoundX

FoundX での私たちのバリューは以下の 3 つにしています。

  • ⭐ 良い模範であろう
  • 🪑 HRT💕とともにテーブルの同じ側に座ろう
  • 🧪 エビデンスとともに実験をしよう

(絵文字もつけてます)

こうしたバリューは実行に密接に結びつくと感じている次第です。たとえば以下はまだ書きかけですが、私たちの活動システムマップ(解説)であり、こうしたバリュー一つ一つが付加価値を加える活動を強化するように動くのだなと感じています(もちろん、逆に弱めるところもありますがそれはトレードオフだと思っています)。

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ルール、プロセス、制度

行動を縛るという点ではルールやプロセス、制度も一つのやり方です。

そのための本書からの有効なアドバイスの一つは、「ショッキングなルールをつくる」というものでしょう。

たとえば起業家とのミーティングに1分遅れたら10ドル支払う、というようなa16zのルールは、「起業家への尊敬を持つ」というバリューを書くよりも、よっぽど分かりやすくその行動を促してくれます。Amazonの「パワーポイントの禁止」も、Amazonでのドキュメントを重視する文化に寄与しています。それと同様に、印象に残るバリューやルールを各社が考えるようになってきているように思います。

先日の Coral Capital の西村さんが書かれた『「フクロウを描け」と会社のバリューに書く理由』という良い記事がありましたが、おそらく少し解説が必要なルールやバリューを入れておくと良いのでしょう。そして毎日使うようなバリューが良いことが本書では指摘されており、確かに…と思った次第です。

まとめ

ちょうど文化について考えていたところだったので、献本でいただいた本を読んだ後、Kindle でも買って読みました。

リーダーは、価値観の背後にある「なぜ?」をことあるごとに訴えることが大切だ。「なぜ?」がなにより記憶に刻まれる点だからだ。

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文化をデザインするにあたって、これを誰を雇いたいかを決めるためのプロセスだと考えることもできる。

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実際、最初の20人の人選で、この会社のその先の姿がほぼ決まったと言っていい。どんな文化にしたいかと、誰を雇いたいかは、ある意味で同じ質問なんだ。

のあたりなどは振り返りを促してくれました。

昔、以下のようなスライドを書いたことがありますが、さらにそこから一歩進んで、様々な考えをめぐらすことに良い書籍でした。特に境界例をどすうるか、解雇をどうするかなど、微妙な話のときには改めてこうした本を読んだほうがよさそうです。

www.slideshare.net

本書については関連記事を以下で翻訳しています。

review.foundx.jp

review.foundx.jp

ということで、Ben Horowitz の「Who You Are - 君の真の言葉と行動こそが困難を生き抜くチームをつくる」、お勧めです。

お勧め記事

最近翻訳した以下の文化に関する記事もお勧めです。

review.foundx.jp

review.foundx.jp

review.foundx.jp

review.foundx.jp

review.foundx.jp

review.foundx.jp

【期間限定で無料】 Zoom でやりづらい雑談や共同作業も『tandem』ならやりやすい

Y Combinator 卒業企業であり、a16z も投資したことで知られるリモートワークツールの tandem が、COVID-19 の影響でしばらくの間無料になるそうです。

tandem については以前Twitterでも紹介しましたが、期間限定で無料化されたということで改めて紹介します。今回、リモートワークになったスタートアップの皆さん向けではないかと思います。

以下では tandem のメリットをいくつか紹介します。

💬 さっと話せる

Zoom でもすぐに話すことができますが、tandem はより「リモートで話しやすい」ように設計されています。

Zoom やその他の会議ツールは「会議の際に立ち上げる」という思想です。通常はオフライン環境にいる人たちが、会議のためにオンラインになる、というような使われ方の想定だと思います。

一方、tandem の場合、全員がオンラインであることが前提で、「部屋に入る」という動作だけで話を始めることができます。その結果、「会議を立ち上げる」というひと手間がなく、ずいぶんと誰かに話しかけやすくなっているように感じます。

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tandem の Website より

また誰がどの部屋に入っているかで、相手がどういう状況かがわかるのも良い点です。

👪 ルームで喋る相手を選択できる

Zoom で繋ぎっぱなしもありですが、会話するときには全員に聞こえてしまいます。それに全員に話すような内容でない場合もあります。

そんなとき、tandem にはルーム機能があります。会話はそのルームにいる人しか聞こえません。

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tandem の Website より

休憩をする給湯室(Water Cooler 💧)で集まると、雑談もやりやすくなるのかなと思います。

💻 相手のマウスポインタが見れてコラボしやすい

tandem では画面共有を1クリックで開始できます。そのとき、相手のマウスカーソルの動きも表示されるようになります。

Miro などもそうですが、画面共有をしたとき相手のマウスポインタが見れるだけで、ずいぶんと共同作業がはかどります。これは体験してみないとなかなか分からないのですが、お勧めの機能の一つです。

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tandem の Website より

🤝 誰が何をやっているかを知れる

人の名前のアイコンの横にアプリの名前とアイコンが出てくるので、誰が何の作業をしているかを見ることができます。

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さぼり防止……というわけではなく、相手が何をしているのかがある程度わかるのは、お互いにとっても良いのではないでしょうか。

なお、表示に対応しているアプリは現在40以上です。

🚪 部屋から出て集中する

とはいえ、基本的にリモートでは非同期のコミュニケーションのほうが良いと思います。そんな時は部屋から出て、誰にも邪魔されない環境で集中して働くこともできます。フォーカス機能をオンにすれば、邪魔をされることもありません。

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まとめ

Windows, Mac, Linux アプリをインストールする必要がありますが、その価値はあるように思います。

そんなわけで tandem、無料の期間中にぜひ使ってみてください。(tandem を教えていただいた高橋さんに感謝です!)

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該当ページをGoogle翻訳したスクリーンショット

起業家教育に関して

機械に職を奪われないようにするためには、ウォータープルーフ(防水)ではなく「ロボットプルーフ」が必要だ、という Northeastern University の学長による書籍が最近翻訳されました。そしてそのロボットプルーフとなる4つのスキルの中の一つに、「アントレプレナーシップ」が挙げられています。

この数年、アントレプレナーシップ教育に関わってきて、それなりに教育の成果もあげてきたと思っています(とある尺度での数値的に見ても教育の効果が高く出ていました)。そんな中、アントレプレナーシップ教育に関しての意見を求められているので、自分の考えをまとめておきたいと思います。とはいえ、あまりまとまってはいませんが…。

目的

起業家教育が目指すべきインパクト

起業家教育の最終的な目的をどこに置くかはさらなる議論が必要でしょうが、より広くの人たちを対象にした場合、「不確実性の高い環境下において、すべての人が成果を上げることで生きていくことができるようにする」というぐらいが良いのかなと思っています。これは2017年ごろに出ていた、経産省+文科省の「生きる力を育む起業家教育」とほぼ同じかと思います(リンク切れのためリンクなし)。

この背景について説明します。起業家教育に求められるものとして、スタートアップのように大きな会社を生んで社会に貢献することは、ひとつ目指されるべき点でしょう。しかしその一方で、起業する(起業できる)というのは経済面で最大のセーフティネットになりえる、という観点も起業家教育に埋め込むべきだと思っています。

たとえば経済が悪くなり、勤めている会社から解雇を言い渡されても、そこから機会を見つけて自分で起業できれば経済的に生きていくことができます。また常にそうした、「自分で稼げる」という自信を持っている状況(=セーフティネットがある状況)であれば、仮に会社に勤めていたとしても、会社内などで様々なチャレンジができるようになります。失敗しても起業すればよいからです。

もちろん、社会課題を解決するスタートアップやNPOをどんどん生み出すための教育であれば、上記の目的とは異なる文言になると思いますし、そうした活動を否定するわけではありません。しかしより多くの人達にアントレプレナーシップを学んでもらう、という文脈であればスタートアップにこだわる必要はないため、むしろセーフティネット側の意義を強めに出していくことが良いのではないかと思います。

なお、私たちの授業ではアントレプレナーシップを「自らのコントロール可能なリソースの限界を超えて機会を追求し、社会の課題を解決することで新たな価値を創造して、それを維持可能な形で提供し続けること」と私たちは位置付けています。またFoundXのチームのミッションは「イノベーションを可能にし広げることで、ゆとりを生み出し、よりひらかれた社会を作る」という風にしています。これらは少しスタートアップに寄ったものです。

必要な変化

起業家教育は変わるべきだと思っています。そのいくつかの視点を個人として書き留めておきます。

起業家「教育」から起業家「学習」へ

「教育」という言葉にはどうしても教育者主体の考え方になってしまいます。しかし本来は学習者こそが主役であり、私たち教育に携わる者たちはあくまで学習者の支援者でしかありません。

教育という言葉を使うと、どのような講師を呼んでくるか、どのような教育プログラムが必要か…といった視点にどうしてもなってしまいます。しかも教育というと、上から何かを教える、という風になってしまいがちです。特に外部から招へいする偉いビジネスパーソンなどであれば、どうしてもそのようなニュアンスになってしまいます。

一方、「学習」に支援を当てれば、学生の皆さんに主体的に学んでもらうにはどうすればよいか、授業をどう設計すればよいか、学習環境をどうデザインすればよいか、準正課の活動をどう行えばよいか…などといった、より幅広い選択肢を持てるようになります。それに学びに焦点を当てることで、既存の学習理論が使えるようになり、エビデンスに基づく教育ができるようになるはずです。また地方大学の場合、起業家を呼ばぶような起業家教育はできなくても、起業家のための学習をさせることはできる、という風になるのではないでしょうか。

それでももちろん教育という考え方は必要です。しかし溝上先生がアクティブラーニングとアクティブラーニング型授業を明確に分けているように、起業家教育と学習とは分けて考え、そして学習者による主体的な学習に焦点があてられるべきだと思います。

そしてそうした考え方をしていくためには、あえて起業家「教育」という言葉をあまり使わないほうが良いのではないかと考えています。

起業家の育成から起業家精神の育成へ

起業家を育てることを反対するものではありませんが、大学や高等教育機関で起業というキャリアパスをむやみに押すべきかというと、私はそうではないと思っています。キャリアパスとして選択肢を提示するべきだとは思いますが、起業家というキャリアだけを教育機関が強く推すのは、好ましいことではないと思っています。

目指すべきなのは、起業家精神(アントレプレナーシップ)を育てることです。その起業家精神を主眼に置きつつ、その一つの応用先としての起業家というキャリアを示す、というのが適切なラインではないでしょうか。

アントレプレナーシップは起業家精神と訳されます。論者によって様々な定義がありますが、私たちは冒頭の通り「自らのコントロール可能なリソースの限界を超えて機会を追求し、社会の課題を解決することで新たな価値を創造して、それを維持可能な形で提供し続けること」としています。

ただ、より一般的に言えば、アントレプレナーシップというのは、不確実性に対して対処できるようになるスキルと態度のことだと考えられます。そう考えると、起業家精神は起業家だけに特有のものではなく、社会起業家や研究者なども身に着けておくと有効な態度やマインドセットです。たとえば研究者は未知の領域に踏み出して新たな発見を得る人たちですし、資金を外部から獲得する術も知らなくてはなりません。それは起業家と同様のスキルとも言えます。実際、研究室の運営をするようになれば、マネジメントのスキルも求められるようになるでしょう。

一方、起業家の育成を起業家教育のゴールに置くと、どうしても起業数がゴールになってしまい、「起業をさせればよい」という短絡的な発想になってしまいます。その結果、学生起業家サークルを学内公式で立ち上げて学生に起業させる…といった本末転倒なことが起こると思っています。それほどコストがかからなければ(測りすぎの罠にかからなければ)、起業数は追いかけるべきかもしれませんが、あくまで遅行指標であると思います。

知識ではなく、態度の重視へ

起業家精神を学ぶ、といったときに、それは知識ではなく態度なのだという考え方をまず持つ必要があると思います。

教育学の分野では、KSAやKSAVEというフレームワークがあります。

  • K: Knowledge
  • S: Skill
  • A: Attitude
  • V: Value
  • E: Ethics

健康行動学の分野ではKABと言われており、BはBehavior(行動)のBです。

起業家教育でいえば、基本的には知識やスキルの獲得を目的とするのではなく、態度の変容を行うための教育手法となると思います。もしくはその先にある、起業家的行動を起こしやすくなるような行動変容を起こすことが目的となります。

そのため、起業家教育はアクティブラーニング型講義との親和性が高いと考えています。

もちろん知識は必要です。しかし知識の定着が教育のアウトカムではなく、態度や行動の変容がアウトカムとして測られるべきです。そのため行動が変容したかどうかを継続的に調査していくべきであると考えています。

ビジネスからキャリアへ

アントレプレナーシップの授業においては、つい「ビジネス知識」=アントレプレナーシップと考える人がいるようです。たとえばフレームワークやデザイン思考のメソッドを教えることなどをして満足しているときもあるようです。しかしそれは前述の区分けで行けば、教育に寄りすぎていますし、知識に寄りすぎています。足場架けもないでしょう。

ビジネス知識を主にした教育は、すでに起業家になると決めている人たちには効果的ですが、そうでない人たちにとっては学ぶ意義が理解できていなければ、おそらくほとんど効果のない教育になってしまいます。またビジネスの体験や知識のない若年層の学習者に行うには注意が必要です。学生の皆さんの多くはビジネス経験がなく、授業で得た知識を自分の体験やそのほかの知識と関連付けることができず、起業家向けの知識やスキルを学ぶ意義などを理解しないまま教育を受けることになってしまうことが多いでしょう。

プランからプラクティスとプロダクトへ

従来はビジネスプランなどを作成することが一つの成果物となっていたようですが、プランを作るだけでは人の態度は大きく変わりませんし、効果も見えないことが多いです。

そのため、アントレプレナーシップはプラクティス(実践)を通して育まれていくものであるという風に考え、プランではなくプロダクトを作ることにあえて舵を切ることが、アントレプレナーシップを作るうえで必要なことではないかと思っています。遠回りに見えるかもしれませんが、結果的にアントレプレナーシップの涵養により効果的に結びつくのではと考えています。

幸いにして、デジタルプロダクトは少し勉強するだけで作り始めることができます。今はプロダクトが作りやすくなっており、さらにプログラミング教育などがうまく施行されれば、プロダクトを作ることで学べる人材がより多くなるのではないかと思います。

また日本ではデザイン思考の考え方がある意味歪んで入ってきてしまったのか、ワークショップでアイデアを出して終わりになり、しかもそれがアントレプレナーシップだという風にされているような場面を見たことがあります。しかし実際にはタンジブルなプロダクトを作り、それを顧客に見せてフィードバックを得てから初めて学びが始まります。私たちはこうした実践を本郷テックガレージなどを通して行っていますし、その効果が見えてきていることを論文としてまとめていきたいと思っています。

実ビジネスではなくプラクティスを

とはいえ実践として学生の皆さんに本格的な起業をさせる、というのは反対です。悪い投資家に狙われてしまいますし、学業がおろそかになります。谷に突き落とすことで這い上がり強くなる人もいますが、多くの落後者も生むでしょう。それは計画的な教育とは言えないのではないでしょうか。ある程度安全な範囲でやってもらい、足場架けをしながら教育効果を上げていくのが大事なはずです。

また実際に学生の皆さんにビジネスをやってもらおうとしても、学生の皆さんのプロダクト開発力では、一部の学生を除いてそれほど良いものをすぐに作れるわけではありません。その結果、キュレーションメディアを作って広告で儲ける、といった、起業はすれどアントレプレナー的とは言い難いビジネスが生まれてしまうことになります。それがビジネスを強調してしまうことの弊害だと思います。むしろ練習として、3か月程度のプロジェクトをしてみることや、1年程度で解散する前提で社会起業をする、といった線の引き方を教育側がどこまでできるかだと思います。

質から量へ

起業家教育には大きく二つ方向性があると思っており、ひとつはすでに起業意思の高い人たちに対して起業家になるための学習をしてもらう、というものです。もう一つは起業意思の中位群に対しても、起業家教育を提供する、というものです。

起業家精神を重視した場合、より多くの人達に届ける、というほうを目指すべきなのかなと思っています。起業家になるための学習は、課外活動でのサポートができるのではと思います。

個人ではなく、ネットワークを作る

個人の能力を育てるのも大事ですが、彼らの周りにどのようなネットワークを育てるのかというところが起業家の学びには重要な観点ではないかと考えています。

たとえば起業家ネットワークの大切さは前著にもまとめましたし、以下のようなレポートも出ています。

日本ではプレイヤーや要因の関係に興味深い特徴がみられる。日本は他国と比較して、事業機会や技術・知識を有する人に限れば、起業の確率は高い (高橋他, 2013; Honjo, 2015)。また、他国と比較して、起業ネットワークを持つ人のエンジェル投資を行う確率は高い (Honjo, 2015; Honjo and Nakamura, 2019)。さらにいえば、日本の場合、起業経験を持つ人がエンジェル投資を行う確率は、起業経験を持たない人と比較して約5倍であり、その割合は米国をはじめ、多くの欧米諸国より高い (Honjo and Nakamura, 2019)。すなわち、日本では、平均的に起業やエンジェル投資の割合が低い一方、事業機会、技術・知識、起業経験、起業ネットワークを有するなどの特定の人たちに限定すれば、起業やエンジェル投資が活況といえる。 RIETI - It's a small world! ―日本のアントレプレナーシップを考える―

実ビジネス教育だけではなく、専門教育も

また上記の引用から言えることは、ビジネス教育だけをしてもダメで、専門性を育てる教育も同時に行っていかなければならない、ということだと思います。

アントレプレナーシップ全般は単独の授業であっても良いと思いますが、むしろ専門課程においても個別領域のアントレプレナーシップを教えていき、専門領域と起業との関係性をより密接に説明・納得してもらうべきではないでしょうか。たとえば医療機器のスタートアップとITのスタートアップは共通する部分も多数ありますが、考え方が異なる部分も多数あります。

作り手としての教育だけではなく、受け手としての効果も視野に

同時に、アントレプレナーシップは新しいものを作り出すことが効果として測られるべきではないと考えています。新しい技術の採用をしたり、使い始めたりすることも、立派な一つのアントレプレナーシップだと思っています。不確実性をマネジメントが必要だからです。アントレプレナーシップ教育の効果は、どれだけの起業家が生み出せたか、という点だけではなく、そうした教育を通して、新しいものを進んで使い始めるという受容側としての態度の変容に対しても効果がみられるべきだと考えています。

またそうした受容側の態度を作ることが、新しいイノベーションを受け取る層を増やし、結果的に起業をやりやすくすることにつながるのではないかと思っています。

産業から社会的インパクトへ

今後、財政基盤の弱い地方から順に社会課題が次々と出てくることになると思います。新自由主義とニューパブリックマネジメントの流れによって、行政機能が削減され続けている今、そのときに課題を解決するのは地域に住む人たちです。そしてその課題解決のためには、アントレプレナーシップが重要だと考えています。

起業家教育や学習の実践の場や、アントレプレナーシップの発揮の場を、単に産業にとどめるのではなく、大小すべての社会課題に向けて取り組めるような教育体制を整えておくことが肝要ではないかと思います。

また課題解決と同時にしなければならないのが、新しいインパクトの提示です。単に課題を解決して、元の社会に戻していく、というのは難しいことであり、ほとんど不可能です。たとえば漁業がダメになっているから、昔のように漁業を栄えさせよう、というのはほとんど不可能です。世界中から安い魚や海産物が手に入る、という状況は変わらないからです。そうではなく、新しい特産物を作ったり、新しい産業で雇用を生んだりと、単に課題を解決するのではなく、新しい社会を提示して、課題を解決することによってかつてとは別の形でアウトカムを満たす、ということが求められるはずです。そうした新たなビジョンを提示することは、課題解決に加えて重要な、アントレプレナーシップの一面だと思います。

マネジメントからガバナンスへ

スタートアップと言えば、マネジメントに関する知識を伝えるような内容が多くなってしまいがちです。社内のマネジメントももちろん大切です。しかし社会を本当に変えていこうとしたときには、社会との関係性という意味でのガバナンスの在り方をどう変えていくか、という観点が重要になってきます。どうやって法律を変えるか、どうやって外部の人たちを変えるか、など、アントレプレナーシップ教育にはガバナンスの教育や参与の仕方を伝えていく必要があるのではないかと考えています。

マネジメントだけではなくガバナンスにも焦点を当てることで、法学や社会学もアントレプレナーシップの文脈に乗ってきて、それらを学ぶ意味についてより学習者の皆さんが理解できるようになるのではないかと思っていますし、選挙や労働組合に参加する意義なども少し身近になるのではないかと思います。いわゆる政策起業家や市民起業家的な側面も育てられます。

教育と研究の両方の実施

「起業家精神の学習」にしていくうえで、必要なのが研究です。残念ながら起業家教育や学習に関する研究は、現在日本ではそれほど多く行われているわけではありません。その結果、独自の「理論」や「ビジネス哲学」を話すことが起業家教育であると勘違いされてしまっている状況ではないかと思います。もちろん、そうした取り組みに効果がないとは言いませんが、ほかの手法に比べて効果が小さいのではないかと思っています(John Hattie の Visible Learning の議論なども参照してください)。

こうした現象が起こっているのは、研究的な態度なしに教育が行われているからではないかと思います。研究なくして、教育効果の検証はできませんし、継続的な教育が成り立ちません。「この授業を受けて起業しようと思いましたか?」といった単なるアンケートで高い値が出ている、などの結果を持ってでは、教育の成果が出ているとは言えないでしょう。きちんとした手法に基づく研究、特に教育の研究が必要だと考えます。

具体的な手法

短期、中期、長期に分けて、どのように変えていけばよいのかという具体的な手法について考えます。

短期

1 ~ 2 年でできることとして、以下のようなものが挙げられると思います。

起業の知識やスキルのオンライン教育(反転教育用)と標準的なカリキュラムの開発

起業家に役立つ知識やスキルを教えるものです。行動変容を起こすうえで、起業に関する知識を伝えるのは重要であり、一般的な知識として知っておくべきことがあるのは確かです。これらの知識獲得は反転学習のような形でも学習可能です。オンライン等で必要な知識を学びながら、授業ではもう少しプラクティスを重視したものにしていく必要があります。

また教育学的な考え方を十分に生かした、標準的なカリキュラムをモジュール型でいくつか用意しておくことも一つのやり方です。

そのうえで、それらの標準的な内容を教えられる教育者を育てる必要があります。

ファカルティデベロップメントの徹底

起業家教育の現場では、元起業家や元ビジネスパーソンが呼ばれる傾向にあるようです。私も一人のビジネスパーソンでしかありませんでした。

しかし起業家教育もアントレプレナーシップ教育も教育の一部であり、専門職の一つだと思っています。起業家だからと言って起業家教育ができるわけではありません。単なるビジネスパーソンであったのであれば、なおさら起業家教育は難しいでしょう。

なので教育についてある程度学んだ人や、せめて Faculty Development を受講した人が、アントレプレナーシップ教育もやるべきではないかというのが現在の私の考えです。教育はそれほど簡単なものではありませんし、個人のスキルや経験に過度に依存するべきものではないと思っています。

東京大学であればFFP、京都大学であれば FD の取り組みがすでに行われています。

また同時に、各々専門を持つ教員の皆さんに、アントレプレナーシップの教育の概要を一度知ってもらうことも、効果的ではないかと思います。研究者の一部の人は、お金を稼ぐことに対して忌避感を持つ人がいて、アントレプレナーシップをお金稼ぎだと誤解されている方もいるようです。その認識を改めてもらうための施策が何か必要でしょう。

準正課の活動の促進

起業意思の高い学生や、技術スキルの高い学生には、準正課としての活動を支援していくべきではないかと考えます。上述の起業家教育の前提となっているのは間口を広げる教育であり、トップ層をさらに伸ばす教育ではありません。

トップ層をさらに伸ばすことで、その中から起業をする人たちも出てくるでしょう。そうした彼らが同年代の模範となって、同年代の学生の皆さんに起業への興味関心を持たせることができるほか、スタートアップで働く人たちを増やすことにつながるのではないかと思います。

今現在でもIPA未踏や未踏ジュニアなどがありますが、そのほかの農業や生命科学の領域でも、あくまで準正課の活動で、才能のある学生たちを支援する仕組みは別で用意したほうが効果的でしょう。ただし起業そのものを推進するのではなく、あくまでプロジェクトレベルで推進していくことが肝要であると思います。

社会人向けの起業家専門教育・キャリア教育

起業家としてのスキルや知識の獲得を行うための専門教育は、起業家精神の学習とは別に行っても良いのではないかと思っています。ただし学生向けではなく、卒業生や社会人を主な対象にするべきだと思います(学生は準正課として受講できる、程度で)。サイクルとしてはアクセラレータのように3か月であったり、半年程度が良いでしょう。

こうした教育の目的は3つです。キャリア教育、知識の獲得、研究対象の確保です。

起業家精神を育成するには長い年月がかかります。一方、起業家を増やすことも時間がかかります。どちらかから始めればよいかというと、まずは後者なのではないかと思います。そこでより起業に近い社会人から手を付け始める、という形です。

社会人の能力を伸ばすのは至難の業です。そこでこれらの教育は、すでに起業家精神や能力を持つ人達に対して、起業というキャリアを提示して起業してもらうことから始めることになると思います。と同時に、基本的な知識の獲得を行うための授業等を提供します。

その副産物として研究が可能になります。どのような教え方が効果があるのかなどを社会人向けプログラムで検証し、その結果を学生向けカリキュラムに持っていくことで、学生向けよりも早いサイクルで内容の検証が可能です。

また、たとえば各大学で EiR 的な仕組みを作り、おおよそ半年間、給料を出しながら大学の技術の事業化を目指す、という試みもあり得るかもしれません。並行して専門家教育を受講しつつ、研究対象にする、というサイクルを回すこともできるかもしれません。

生涯学習としてのアントレプレナーシップ教育は、世界的にもトレンドになりつつあるように思いますし、ビジネススクールのような専門大学のように、起業家向けの専門教育を行っていくことは大学がこれから求められることではないかと思います。

ただしその際には、適切な教育の知識を持った人やせめてFDを受けた人が教育を行うべきであり、単にビジネスパーソンを呼んできて構築しても、本当の教育にはならないと考えます。

研究予算の割り当て

短期的な変化を中期的な変化につなげていくには、エビデンスを積み上げていく必要があります。そうでなければ、良い方向に向かっているのかどうかも分かりませんし、次の変化を起こすための説得材料がありません。その結果、その時の有力者や有力者に近いビジネスパーソンの思い付きや独断によって起業家教育の方向性が変わってしまう恐れがあります。

そのため、研究予算を割り当てる必要があります。

起業家教育が産学連携部などで行われている場合、研究者を採用することが難しいため、そうした本部に研究者を付けられるようにするか、もしくは教育学部と産学連携部などが。その際には産学連携のほうに教育とビジネスの両方をある程度知る起業家に近い方が必要になりますが、そうした人を配置するのに1年、その後研究の準備を始めるのに1年、実践に移るのに1年かかります。

教育は一サイクルが長い取り組みになりがちです。しかし上述の専門教育がもし3か月や6か月単位で回せるのであれば、スピードは倍以上になります。私たちは本郷テックガレージでの教育の効果を測り、それを授業に転用するなどして、より早いサイクルで効果検証をしています。

中期

3 ~ 5 年です。

初年次のアントレプレナーシップ教育

心理学的諸概念を可変性や波及性の観点から「表層・中層・深層」に区別した遠藤らの報告があります。起業家精神はおそらく中層にあたるコンピテンスにあたり、より若い段階で学習を行うことが効果的であると考えられます。

そこで高等教育の初年次や、初等教育などにおいて、広く起業家精神に関する学習の機会を提供することが有効であると考えます。

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非認知能力に関する研究の動向と課題 (2019)

ただしこうした初年次教育を変えるのは至難の業であり、学長の権限や周りの説得などが必要でしょう。その際に、上述の研究結果によるエビデンスで、教育効果が高いことが示せれば少なくとも一つの説得材料になるはずです。

初年次のものづくり/プロダクトづくり教育

アントレプレナーシップを育むための土台として、「何かが作れる」能力はほぼ必須だというのが私たちの調査による結論です。そこで初年次において、ものづくりやプロダクトづくりの授業を行い、何かしらのプロダクトを作ることができる能力を身に着けたうえで、アントレプレナーシップ教育を受けたほうがより効果的だと考えます。

東京大学では「ものゼミ」などがその機能をなしている一例として挙げられると思います。

初年次のキャリア教育

キャリアへの意識は学習動機や学習時間、学習や主体的な学習態度、能力に対して相関が高いことが指摘されています(中原・溝上『活躍する組織人の探求』)。キャリア教育全般に力を入れることは、学習効果を下支えすることにつながるはずです。

一方で起業家というキャリアについて伝える必要もあると考えます。日本では起業家を目指す人がそれほど多くありません。なので、起業家というキャリアがある、ということを伝えるキャリア教育的な要素は必要なのかなと思います。なぜ起業を学ぶのかについて理解できていなければ、本腰を入れて学ぼうとしないからです。

もし起業家を増やしたいのであれば、起業意思を高めることが一つのゴールになるかもしれません(ただし起業意思を高めることの是非については議論があります)。

基本的には、キャリア教育の内容を踏襲しつつ、起業家的自己効力感を高めることになると思います。ロールモデルの提示(先輩起業家など)や実際の就業経験などが有効だと考えます。そこでスタートアップへのインターンの経験なども有効かもしれません。

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起業家自己効力感と起業意思 (Newman, 2019)

長期

5 ~ 10 年です。

アントレプレナーシップに関する研究機関の設立

起業家教育やその学習を根付かせていきたいのであれば、研究室を立ち上げ、毎年のように研究者を養成していく仕組みが必要だと考えます。今でこそアクセラレーターなどが多数ありますが、いずれ市況が悪くなればそうしたアクセラレーターは閉じていきます。そのときノウハウが途絶えてしまうリスクが、市場に任せておくことのリスクです。

そこで起業家や起業家教育を対象にした研究を行える研究室を、教育学などの分野で設ける必要があると思います。

プロダクトスクール

工学系ではプロダクトを作る、ということに対する授業が手薄になっている状況があります。とはいえ、デザインスクールにしてしまうと諸外国の二番煎じであり、単に諸外国に追いつくだけの競争になってしまいます。そこで日本独自の路線として、プロダクトを中心としたプロダクトスクールという形で、プロダクトマネージャーを作っていくことを目指す、という手はあるのかなと思っています。実際、多くの起業家はPMから生まれています。

まとめ

あくまで私個人の考えであり、所属の意見を表明するものではありません。

DX と EX

DX (デジタルトランスフォーメーション) という言葉を頻繁に聞くようになりました。「あらゆる企業がデジタル企業になる」と言われる中、デジタル技術をうまく会社に取り込んで、どの企業も取り組んでいるようです。

一方、100年前の人類も同様に新技術をうまく採用しなければならない状況でした。それが電気です。「あらゆる企業が電気企業になる」と言われると今ではとてもおかしく聞こえますが、100年前の人たちは蒸気機関から電力への移行に一所懸命に取り組んでいました。では先人たちはどのように EX ―― エレクトリック(電気)トランスフォーメーションを成し遂げたのでしょうか? それを少し振り返ってみることで、現在のDXへの示唆があるかもしれません。

それに対する興味深い解説として、Tim Harford の記事があります。この記事では、新しい技術に産業が最適化されなければその技術の性能は十分に発揮されないということを、第二次産業革命における電気の段階的な受容を描きながら解説しています。この記事は主に彼の論に寄りかかりながら、EXがどのように起こってきたかを振り返ります。

科学から産業になるまで

第一産業革命は蒸気機関の登場を受けて、1700年代後半から1800年代前半にかけて起こったと言われています。その約100年後、第二次産業革命は1800年代後半から1900年代前半にかけて、化学、石油、鉄鋼、電気の技術発展によって起こりました。その中で電気に焦点を当てて、どのように採用されていったかを見てみましょう。

電気に対する科学的な発展は、産業応用の前に起こっていました。たとえばオームの法則が発見されたのは1827年、ファラデーが電磁誘導現象を見つけたのは1831年、マクスウェルが「電気と磁気」を発表したのが1873年です。(Wikipedia より)

産業で電気が活用され始めるのはそのあとです。

1881年にエジソンが電気生成工場を作り、それから約一年で電気の供給を開始し、そして工場を稼働させるための電気モーターの販売が始まりました。

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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Thomas_Edison,_1888.jpg

しかし1900年までに電気モーターで動くアメリカの工場は5%以下にとどまったとされています。

どうやら140年前の人々も、電気の登場からしばらくの間、電気をうまく産業で扱えていなかったようです。それはなぜなのでしょう?

電化前の工場

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United States public domain / https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bild_Maschinenhalle_Escher_Wyss_1875.jpg

電気が当たり前になるまで、工場は蒸気機関で動いていました。蒸気機関で動く工場は、単一の蒸気エンジンが動力源です。エンジンで生まれた動力はベルトとギアを伝わり、ハンマーやパンチ、プレスなどのすべての機械に伝えるようになっていました。ベルトとギアを使うと必然的に動力のロスが発生してしまいます。遠くまで力を伝えようとするとロスも大きくなり、その結果、工場を大きくすることもできません。

また工場は危険極まりないものでした。たとえばベルトには作業者が挟まってしまい、引き込まれてしまう危険性が常にありました。さらに火が隙間から広がるのを防ぐために、ベルトタワーがそれをすべて囲み、給油もしなくてはなりませんでした。

メンテナンスも大変です。蒸気エンジンは停止することはほとんどなく、常に石炭を供給する必要がありました。

場所の問題もあります。蒸気で動く工場は暗く、シャフトの周りにすべてが設置されていました。またエンジンはとても巨大なため、工場の外に出て、二番目の建物に蒸気機関を設置することもありました。

電気による工場の変化

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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:LongBeachFord.jpg

では電気で稼働する工場はどうでしょうか。

動力と言う観点では電気モーターは蒸気機関の代替品と見ることができます。蒸気機関から電気モーターに単に置き換えるということも可能です。一方で、初期の電気モーターは安定しなかったようで、素材や技術の課題を解決する必要があり、動力と言う観点だけでは蒸気機関の下位互換程度のものだったのではないかと推測します。

しかし電気モーターはもっと様々なメリットを有していました。

たとえば、小型の蒸気エンジンはとても非効率的ですが、小型の電気モーターは何倍も効率的に動きます。そのため工場には小さな電気モーターを複数設置することが効果的になりました。たとえばすべての作業台に電気モーターを置くことで、蒸気エンジンのように中央からベルトで動力を伝える必要がなくなります。その結果、従来のドライブシャフトを中心に考える蒸気機関とは全く異なる配置の工場設計ができるようになりました。あのヘンリー・フォードは「これによって機械を作業順に置くことができるようになり、産業の効率が2倍になった」と述べてます。

さらに蒸気機関は常に動いていなければなりませんでしたが、電気は蒸気機関のように常時稼働する必要はありません。そして石炭などが不要になったため、そこで働く作業員はよりクリーンな環境で働くことができるようになりました。ベルトに巻き込まれることもなくなり、より安全になりました。電気が通じることで電灯を設置できるようになり、工場は明るくなって、様々な時間帯で工場を稼働することができました。

1920年代になり、ウェスティングハウスの中央発電所が登場し、安定的に電気を供給できるようになりました。こうした変化が積み重なった結果、電気はプラットフォームになり、そして工場がそのうえで動くアプリケーションとして稼働するようになって、1920年代に入って工場の生産性が劇的に向上した、と言われています。

つまり電気という新しい技術のポテンシャルを十分に活かすには、一部の蒸気機関が行っていた業務を電気に置き換えるだけでは不十分だったようです。電気の力を使うには、工場の設計そのものを変えていかなければなりませんでした。そして全く異なる設計で作った工場は、これまでと異なるビジネスモデル(大量生産)を可能にしていきました。

第二次産業革命の場合、そこに辿り着くまで約50年の年月を要しています。

社会

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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tokyo_Dento_Company_advertisement_in_1930s.jpg

これは単に技術の問題だけではありません。社会も同時に変わっていかなければ、その技術のポテンシャルを活かすことができません。

日本の場合を見てみましょう。東京電力の前身である、日本初の電力会社である株式会社東京電燈が生まれたのは1883年です。その後、1886年に活動開始、1887年に電力の送電が開始されたとされています。

1891年、漏電が原因と思われる国会仮議事堂の焼失によって、電気事業の保安管理の必要性が認識されるようになったことから、逓信省が監督責任を負うようになりました。そして1911年にいわゆる旧電気事業法が制定されました。そして1965年には新電気事業法が施行されています。つまり法律も徐々に制定されていきました。

教育も見てみましょう。電気工学が日本で学位として提供されるのは1886年です。それまで電気は物理学の一部として教えられていました。電気主任技術者という資格が生まれたのは1896年です。ただこのときは試験などはなく、学識経験者が選出されていたそうです。そして1911年の旧電気事業法と同時に、資格も試験制度が導入され、学歴がない人も電気種に技術者になることができました。

その後、1930年代に戦争の影響で、東京電燈は国策会社となっていきます。

電気という今ではありふれている技術ですら、このように数十年の時を経て、ようやくその真価を発揮できました。それには技術の進歩や最適化もそうですが、社会や教育も同時にその技術に合わせて変える時間が必要だったということです。

示唆

かつてあったEXで、個人的に面白いと思ったのは以下のようなものです。

  • 工場の全体設計を変えないと技術を活かせない
  • 電力のようなプラットフォームも、キラーアプリケーション(電燈)から始まっている
  • インフラになるにつれて国有化される(初期の蒸気鉄道も私有会社から始まりました)

そこから個人的にはDXについて、以下のようなことを考えます。

  • 単に一部の業務効率化を行うのではなく、情報技術を軸に産業構造や業務プロセス、ビジネスモデルを変えるのが DX
  • 情報技術がインフラ化してくれば国有化も選択肢(GAFAMの議論でもありますね)

たとえば製造業におけるサブスクリプションや従量課金というビジネスモデルが、ユーザーがどれだけ使ったかをリアルタイムで把握できる、という情報技術の発展により可能になったビジネスモデルであり、それがデジタル時代に最適なビジネスモデルだとすれば(これは仮定です)、そうしたビジネスモデルに合致する事業に変身するのがデジタルトランスフォーメーションなのかもしれません。

こうした産業の組み換えについては、少し前にPodcastで話したことでもあります。

review.foundx.jp

Carlota Perez の S カーブなどを参照しつつ考えてみると、第四次産業革命や Society 5.0 と呼ばれる現在の情報産業の隆盛は、まだ始まったばかりのように見えます。各国が新しい技術を導入したというニュースがたびたび巷を騒がせますが、単一の技術の導入が大きな差をつけるとは考えないほうが良いでしょう。むしろこれからの十数年で、情報技術を軸にした最も効率的な新しい産業や社会の形を見つけることが、おそらくDXというものが成功するかどうかの分かれ目なのではないでしょうか。