🐴 (馬)

Takaaki Umada / 馬田隆明

アントレプレナーシップ教育に関わる教職員の方に読んでほしい論文・レポート5選

日本全体でスタートアップに対しての注目が高まるとともに、アントレプレナーシップ『教育』にも注目が集まるようになりました。その結果、様々なバックグラウンドを持つ人たちがアントレプレナーシップ教育に関わり始めています。

アントレプレナーシップ教育の専門家、という人はほぼいないため、現場では実務家教員や大学の別の専攻(経営学部や工学部など)の教員が教えることが多いと聞いています。「自校ではできないから」と教育や研究に関する知見の少ない民間企業に発注する、ということもあるようです。

「アントレプレナーシップ教育は単にビジネスや起業の方法を教えれば良いので、バックグラウンドは不要」だと思われるかもしれませんが、実際は中々複雑な分野です。そしてこの数十年で様々な知見が培われてきた分野であり、そうした知見を生かして教育を行うことで、学生の皆さんにより良い学習経験を提供できるのではないかと思っています。

そこでアントレプレナーシップを教える人だけではなく、アントレプレナーシップ教育の政策に関わる人、アントレプレナーシップ教育を外部に発注する人も含めて、是非一読いただきたい論文や資料を5つ選びました。

すべて読んでも2~3時間程度しかかからないと思うので、ぜひ読んでみてください。

 

今回は過去10年に出版された新しめの論文やレポートを選んでいます。また、なるべく手に入りやすいものを挙げています。

 

牧野恵美. (2018). 海外における起業家教育の先行研究レビュー

URL: https://doi.org/10.20801/jsrpim.33.2_92

現APUの牧野先生による、アントレプレナーシップ教育の日本語のレビュー論文です。

2018年までの海外のいくつかのレビュー論文やメタ分析の論文をコンパクトにまとめられていて、かつ日本語で読める文献なので、最初の入口としてとても役に立つと思います。

特に日本のアントレプレナーシップ教育は「起業意思を上げる」ことを目的としがちですが、教育すれば起業意思が高まるかというとそうは言い切れず、教育だけで起業意思への介入が難しいことなどを知る上でも便利です。

上記のリンクからダウンロードできます。

 

Lackéus, M. (2015). Entrepreneurship in Education: What, Why, When, How

URL: https://doi.org/10.1787/cccac96a-en

2015年にOECDが発行した論文です。著者のLackéusはスウェーデンのチャルマース工科大学という、アントレプレナーシップ教育で昔から有名な大学に属している元起業家であり、沢山の論文を出している大学教員です。またOECDは教育分野でも様々な活動をしており、そこが出しているレポートということで、現代的なアントレプレナーシップ教育の基盤となるドキュメントだと思います。実際、2024年8月時点で、1200の引用数を誇るなど、影響力の高い論文となっています。

このドキュメントでは、様々な論文を引用しながらどういう議論がなされてきたかを What, Why, When, How の観点でシンプルにまとめている点や、広義 (wide) と狭義 (narrow) のアントレプレナーシップを区分けしている点、そして発達段階に応じて重視するべきところがどこかや、ステップを踏んで教育内容を変えていくことを提案している点が、教育の実務においても有用だと思います。

アメリカかつ実務ばかりを見ていると、かなりビジネスに寄った「narrow」なアントレプレナーシップとアントレプレナーシップ教育を志向して、知識伝達が中心になりがちなので、より広い視点を培う上でもこのドキュメントは有用でしょう。

Hägg, G., & Gabrielsson, J. (2019). A systematic literature review of the evolution of pedagogy in entrepreneurial education research

URL: https://doi.org/10.1108/ijebr-04-2018-0272

アントレプレナーシップ教育研究がどのような進歩をたどってきたのかを振り返るレビュー論文です。先ほど挙げたOECDのものが2015年時点の最新のスナップショットだとしたら、この論文はそこに至るまでの変遷を振り返ったものです。

1980年代の教師中心➡1990年代のプロセス中心➡2000年代の文脈中心➡2010年代の学習者中心、という流れを元に、アントレプレナーシップ教育のWho、What、Whom、Howのそれぞれがどのように変遷してきたかを整理しています。

「起業」だけを目的としたアントレプレナーシップ教育の議論を超えてきた経緯や、ゲスト講義などを中心としたHowが現在ではやや古くなっていること、今は別種のアプローチも行われていることなどを概観できます。また、先ほどのnarrowとwideもまだ論争的であることなども触れられています。

少し手に入りづらいのですが、Table 1だけでも見てほしい論文です。

 

Nabi, G., Liñán, F., Fayolle, A., Krueger, N., & Walmsley, A. (2017). The Impact of Entrepreneurship Education in Higher Education: A Systematic Review and Research Agenda

URL: https://doi.org/10.5465/amle.2015.0026

高等教育におけるアントレプレナーシップ教育のインパクト(効果)のシステマティックレビューです。引用数は2500を超えており、この領域で最初に読まれる文献の一つです。

この論文では、アントレプレナーシップ教育をすると、学生にどのような効果があるのかを時間軸で5つのレベルに分け、過去の論文の結果を整理しています。たとえば多くの論文が起業意思を効果として測っており、それなりに効果が出ているという論文が多いものの、それなりの数 (22%) の論文では効果が見られなかったり、ネガティブな効果が見られたという、効果にかなり違いのある結果となっていることも指摘されています。アントレプレナーシップ教育をすれば起業数が増える、という単純なものではないということでしょう。

そのほか、「意思が伸びたとして、行動につながっているかどうか」研究が少ないといった、今後の研究のアジェンダについても触れられています。

Semantic Scholarから論文のリンクがあります。

 

IGL. (2022). Evidence Bites

URL: 

https://evidence-bites.innovationgrowthlab.org/topics/entrepreneurship-education/

 「即効性のある示唆が欲しい」という教員の方も多いと思います。そんなときはIGLがまとめた「Evidence Bites」を読むと良いでしょう。

これまでの論文から得られた示唆をまとめて、何に効果がありそうなのか、そうでないのかがシンプルにまとめられています。

なお、これについては翻訳もしています。

 

https://blog.takaumada.com/entry/entre-policy-research-igl-2022

より教育一般であれば、Visible Learning なども参照してみてください。

https://visible-learning.org/hattie-ranking-influences-effect-sizes-learning-achievement/

個人的な意見では、アントレプレナーシップ教育を適切に行うためには、ビジネスの方法論よりも教育学の知見のほうが活かせるのでは、と思っています。

 

まとめ

アントレプレナーシップ教育はまだその中身に論争があり、完全に定まっているわけではありません。ただ、議論や教育の改善をするときにはある程度同じ土台に立つ必要があります。その土台としての学術的な知見は、完璧とは言えないとはいえ、それなりに積み重ねのあるものだと思います。

すべての学術的な知見が応用できるわけではありませんが、上手く使えば過去のミスを回避することもできます。個人の勘や経験だけに頼らず、過去の人類の蓄積を活かすことが、より良い教育を学生の皆さんに提供していく上では大切だと思いますので、これからアントレプレナーシップ教育に関わる方々がいれば、上記の論文やレポートをぜひ一読してみてください。

 

「○○がないからできない」から「○○があればできる」へ: 起業家的リソースフルネス

スタートアップの起業家に特有の考え方を一つ取り上げるとすると、『資源に対する特殊な態度やスキル』が挙げられるように思います。

本記事ではその態度やスキルを『起業家的リソースフルネス』としてまとめて紹介します。

 

資源の活用

起業家は資源(人、もの、金など)が少ない状態から事業を始めますが、少ない資源にも関わらず大きな成果を上げることができます。効果的な資源の活用ができたり、戦略的な資源の配分ができるからです。

それだけではありません。起業家はクリエイティブな資源の使い方をします。たとえば、必要最小限の製品(MVP)を作って仮説を確かめようとするとき、製品を完璧に作り上げてから仮説検証をするのではなく、最小限のお金と時間でコンシェルジュ型MVP(人が製品の代わりにサービスを提供するようなMVP)を作ることで、仮説を素早く検証するなどです。

複数の資源を組み合わせて、より多くのことを成し遂げることもあります。工夫してありものを組み合わせて、ブリコラージュ的になんとかする、とも言えるでしょう。

このようないくつかの活用手法を使うことで、起業家は Doing more with less(少ないものでより多くを成し遂げること)ができます。

ここまで挙げた資源の効果的な活用、創造的な利用、組み合わせができるのも、手元にある資源の可能性を見極めて、それを上手く活用することに長けているからです。人・もの・金といった資源をただ一般的な資源として認識するだけではなく、資源に対して独自の認識や評価をしたり、そのうえで資源を能動的に活用していく姿勢やスキルは、多くの人の参考になるものではないかと思います。

資源の獲得

優れた起業家は、資源の使い方が上手なだけではなく、外部からの獲得にも長けています

何かを成し遂げたいときに、お金や人が足りないということはよくあることです。普通であれば、「限られた予算の枠の中で工夫をしてなんとかやりくりする」ことだけを考えます。つまり制約の範囲内での最適解を考えます。

しかし起業家は、資金調達をしたり、誰かに頼み込んだりして、外部から資源を追加で獲得してきて、成し遂げるための道を切り開きます。融資や出資などの資金調達がその最たる例です。制約の枠を超えて考え、その枠を超えたアイデアを実現するために必要な資源をなんとか調達してくるのです。

いわば、Doing more with more(より多くのものでより多くのことを成し遂げる)を実践するのが起業家、特にハイグロース・スタートアップに携わる起業家です。スティーブンソン教授の有名なアントレプレナーシップの定義に、「コントロール可能な資源(リソース)を超越して機会を追求すること」というものがありますが、まさに「資源を超える」ことが起業家に求められる資質や態度と言えるでしょう。

言い換えると、「○○がないからできない」と考えるのではなく、「○○があればできる」という発想の転換です。この発想を日常的に持つことで、考えうる選択肢はかなり多くなるはずです。

活用と獲得はサイクル

外部からの資源の調達が重要だとは言え、「資源をくれくれ」と言うのが優れた起業家かというとそんなことはありません。

外部から資源を調達するために必要なのは信頼です。たとえば金融上の信用や、人としての実績、人間関係などがあれば信頼は高まり、そうした信頼をレバレッジすることで、他人から見たときのリスクが下がって、大きな資源を外部から調達することができます。

業務上の実績はそうした信頼を上げる優れた要員です。しかし何もないところから実績を積むためには、少ない資源で何かを成し遂げる必要があります。つまり、Doing more with less を実践し、成功させる必要があるのです。

ここから言えることは、起業家は

  • Doing more with less - 資源の活用
  • Doing more with more - 資源の獲得

の両方を適切に行いながら、活用と獲得のサイクルを回している、ということです。

節約や効率化にとどまりがちな Doing more with less だけではなく、それで得られた信頼をレバレッジして Doing more with more を行い、それを繰り返していくことが、より大きな事を成し遂げていくために必要な「資源に対する態度」だと言えます。

寓話の「わらしべ長者」のようなものです。何かを得たらそれをレバレッジして、次の実績を上げ、その実績を持って次の調達をしていくのが起業家です。ハイグロース・スタートアップが段階的に資金調達をしていくのは、まさにそうしたサイクルだと言えるでしょう。

起業家的リソースフルネスは多くの人も発揮できる

こうした資源の活用や獲得は、起業家だけのものでもないと思っています。

たとえば大企業の中でも、予算の配分や人のアサインのときに、優れたマネージャーはより多くの資源を獲得しようとするでしょう。場合によっては関連する部署と組んで、より大きな予算枠にしていくこともあるかもしれません。外部からの支援を得ることでより大きな物事を達成しようとするもしれません。

私たちはつい資源の制約を、変更不可能な制約だと捉えてしまいがちです。しかし、決してそうとは限りません。資源を上手く使うのは当然として、それ以上のことを成し遂げようとしたときに「資源が足りなければ取ってくれば良い」という考えを知っておくことで、私たちの発想は広がりやすくなるように思います。

こうした資源に対する能動的な態度やスキルを『起業家的リソースフルネス』だと呼べば、多くの人にとって起業家的リソースフルネスは有効活用ができる考え方だと言えるでしょう。

 

まとめ

起業家的リソースフルネスは、資源に対する積極的な態度とのことであり、限られた資源から最大限の成果を生み出し、その成果をレバレッジしてさらに大きなことを成し遂げる方法です。

この実践には高度なスキルも必要とされますが、一方で、まずはこうした考え方があるのだということを知っておくことで、様々なところでリソースフルネスを発揮できるのではないかと思い、本記事を書きました。

 

補足

2021 年のJournal of Business Venturing には起業家的リソースフルネスの特集があります。その中の一つの論文では起業家的リソースフルネスを「新しい価値や想定外の価値を創造し、獲得するために、創造的な方法で資源を獲得して展開するための、境界を打ち破る行動」と整理しています。

また資源の活用、特に再調整という点ではダイナミックケイパビリティの話にもつながるのではないかと思います。

学術ではない側面でリソースフルネスに関しては書籍を出せれば…と思っています。