🐴 (馬)

Takaaki Umada / 馬田隆明

Startup Studio や Venture Creation Model の台頭と日本での必要性

 

北米でのスタートアップへの投資を見てみると、レイターステージは冷え込んでいるものの、シードステージのバリュエーションはいまだ高値をキープしています*1。

プレシード・シードのエコシステムの重要なプレイヤーだったアクセラレーターを見ると、Y Combinator以外のアクセラレーターが不調になりつつある中で、アクセラレーター自身に変化が必要であるという論考も出始めています。

一方、VC の動きも活性化してきており、Sequoiaは Arc というアクセラレーターを、Andreessen Horowitzも新たに START というアクセラレーターを開始して、従来よりも早いフェーズのプレシード・シードステージへと手を伸ばそうという試みが始まっています。

 

時を同じくして、多くの日本のVCの多くもアクセラレーターを開催し始めていて、「より早い段階」の支援を始めています。

これはファンドが大きくなり、資金的な余裕ができたというところもあるでしょうが、本来であればファンドサイズが大きくなるとチケットサイズを大きくせざるをえず、早い段階の支援からは手を引く、という力学とは反対の動きとも映っていて、何かを意味しているものだと考えたほうが良いと思っています。

 

その一つの理由は、日本のVCのファンドサイズは順調に大きくなっているため*2、「最低限ユニコーンを狙う」アイデアとチームに投資できなければペイしない、という状況になりつつある中で、大きなスケールの課題解決に挑む起業家の数が、投資資金に対して相対的に足りていないからではないか、と考えています。もちろん、そうした起業家もいるのですが、それ以上にお金が集まっているので、もっと多くいてほしい、という状況ではないかと見えています。

そうして、VCがより早い段階へと行くのであれば、従来アクセラレーター的な立場であったプログラムは、さらに前の段階へと移っていかざるをえないという力が働きます。

そうした「前へ前へ」という連鎖が続いて、今後、多くの支援者がStartup StudioやVenture Creation Model に近づいていくのかもしれないと思っています。

もしそうした流れになっていくのであれば、Startup StudioやVenture Creationの中で、EIR的に動く人も増えてくるはずです。そうした考えもあってEIRについての記事を出していましたが、同時にStartup StudioやVenture Creation Modelの可能性についても調べていました。その内容を個人的なメモとしてまとめておきます。

1     Startup Studio について

1.1  Startup Studio の概要

ここ数年、着実に増加しているのがスタートアップスタジオ (Startup Studio) と呼ばれるモデルです。有志の方がまとめている世界の Startup Studio 一覧でも年々増えていることが確認できます。

またスタートアップのアクセラレーターをまとめていたGlobal Accelerator Network (GAN) の運営母体が、2019年から新たに Global Startup Studio Network (GSSN) を立ち上げたことからも、その存在感が高まっていることを感じることもできます。

2022年末には顧客開発で有名なSteve BlankがHarvard Business Reviewにも記事を寄稿しています(原文はこちらからも読めます)。その記事の中で、Startup Studioのプロセスを以下のようにまとめています。

https://steveblank.com/category/harvard-business-review/

この図の整理でいえば、Startup Studio は「PMF するまでを内製で行い、そのあと起業家/経営者を連れてきてスピンアウトする」という機能を持ちます。このため、ある程度製品のプロトタイプまでを内製できるよう、Studioは自社内でエンジニア等の人材を抱えるのが通常です。

ただ実際は、企業登記の手伝いをするだけでStudioと自称したり、本当に初期のアイデアのところまでしかカバーしないところもあるので、スタジオによってどこまでやるかは変わってきます。(Studio に関わる起業家の方はご注意ください)

このStartup Studio というモデルは成功率が高いと言われています。通常のスタートアップ(おそらくVC)のIRRが21.3%なのがStudioだと53%、またシードの資金調達も通常のスタートアップだと36ヶ月である一方、Studioは10.7ヶ月だそうです(本当にそうなのかな?という気がしますが…)。

https://morrow.co/disrupting-the-venture-studio-landscape/

一方でStartup Studioはエクイティを多く取ることも特徴としてあります。20 ~ 90% (HBR の記事だと 30 ~ 80%) ものエクイティをStudioが取るそうです。

https://steveblank.com/category/harvard-business-review/

90%という数字を見るとびっくりしてしまいます。次のラウンドで間違いなく苦労するので、90%取るのはさすがに誰も幸せにならないのでは……とは思いますが、「Startup Studio」や「共同創業」「創業支援」と称してかなりの株を取る悪徳な事業者や個人の存在は聞くので、ありうる話なのかなとも思います。(再三になりますが、そうした人や事業者に捕まらないようにしてください。東北大学ではこうした注意喚起も出ています。)

とはいえ、Studioモデルはコストがかなりかかるので、普通の投資よりも多めのエクイティが欲しくなる気持ちも分からないではありません。このあたりのコスト試算については、『みんなのスタートアップスタジオ』などが詳しいです。

なお、Startup Studio と似た概念として「Venture Studio」「Startup Factory」などがあります。細かく見ると違うのかもしれませんが、最もよく使われるのは Startup Studio のようなので、本記事では Startup Studio という名称を使います。

https://www.gan.co/wp-content/uploads/2020/03/The-Rise-of-Startup-Studios-White-Paper.pdf

1.2  Startup Studio の事例

Startup Studio のモデルは何度か波が来ては引いてを繰り返している印象があり、Overture 等を生み出した Idealab を筆頭に、海外での取り組みは以下のような図でまとめられています。

https://medium.com/collider/state-of-the-digital-nation-2020-venture-road-22de4377836

2011~2013年にも波が来ており、TechCrunchの記事などにもなっています。

日本でもスタジオの取り組みは行われてきています。BEENOS スタートアップスタジオやMisltoeなどがありました。現在でもスタートアップスタジオ協会に参加している企業群が試みられています。

ちなみにIdealabのBill GrossはこちらのTEDの動画などでも有名で、実は日本生まれだそうです。

www.ted.com

 

1.3  背景

Studio モデルが隆盛してきた背景には、ITならではの理由とシリアルアントレプレナーによる牽引という理由があるように思います。

まずIT領域での起業は、

  • 初期費用が低め
  • 試行錯誤のコストも低め
  • 技術者の持つ技術の転用が比較的容易

といった特徴があり、比較的低コストにアイデアの試行錯誤が行えました。

この領域でシリアルアントレプレナーがたくさん生まれてきたのも大きいでしょう。一度起業した人は様々な課題を見聞きすることが増え、その結果シリアルアントレプレナーになるか、あるいはそうしたアイデアを発案する人になりやすいように思います。

たとえば、Twitterの共同創業者であるEv Williams とBiz StoneはObvious CorpというStartup Studio、彼らの言葉で言うとProduct Labを作り、そこから生まれたのがMediumのようです。ただしObviousは純粋なVCへと変わりました。

また、PayPalマフィアがこのあたりにも絡んでいます。PayPaylで有名なMax LevchinもHVF Labsというスタジオを始め、そこから出てきたのが自らCEOをしているAffirmのようです。またPeter ThielはPalantirを、Keith RaboisはOpendoorの構想を出しています。別の経営者に任せてはいますが、初期の発案はこうしたPayPal関係者でした。

1.4  類型

Startup Studio にはいくつか類型もあります。いくつかの分類方法がありますが、ざっくりと以下のような類型で整理してみます。

  • 独立系 Startup Studio – 最も多い類型ではないかと思います。
  • 企業系 Startup Studio – 大企業からのスピンアウトや新規事業を作るところです。
  • VCç³» Startup Studio – 基本的にVCとして動いていますが、「ハンズオンの極北」だとも言えます。
  • コンサルティング系 Startup Studio – たとえば BCG X (BCG Digital Ventures) などです。最近 (2023å¹´7月) は Bain も Rainmaking の APAC 部門を買収しています。そのほか地方創生的な文脈での Studio も見聞きします。

独立系Startup Studioとして有名なのはIdealabで、これが典型的なスタジオのように思います。先ほどの図で描かれているロゴのスタジオの多くもIdealabに似たモデルです。

ただ独立系でもIdealabとは違う形のものもあります。たとえば、共同創業者のマッチメイキング前後を主に行うEntrepreneurs FirstやAntlerなどです。製品を内製する機能を持ってないように見えるので、いわゆるPMFまでを担当とするStudioとも違いますが、Acceleratorとも違うので、Startup Studioの文脈で紹介されることがあるプログラムです。

日本では企業型Startup Studioが多い印象があります。なぜか日本ではアクセラレータープログラムも「大企業が行うもの」とWikipediaに書かれており、日本の特徴なのかもしれません。

VC系Startup Studioの例としては、2020年にソフトウェア史上最大のIPOと呼ばれた、Snowflakeを輩出したSutter Hill Venturesがあります。ただ、通常のStudioが年に数社作る一方で、Sutter Hillは年に1社程度なので、Studioというより後述のVenture Creation Modelのほうが似ている気もします。

Sutter Hill のMike Speiser は、VCであるのにも関わらず、シリーズAまでSnowflakeのCEOを務め、その後スケールのフェーズで外部からCEOを招聘し*3、経営を任せていきます。Sutter Hillは上場時にも約20%の株式を持っており、AccelがFacebookから得たリターンよりも大きなリターンをSnowflakeから得たと言われています(約1600倍だとか)。その方法論はこちらの記事やこちらの記事などに詳しいです。

コンサル系については、いったんこの記事では触れません。

その他、ビジネスモデルも色々と異なるのですが、いったんStudioについては以上にしておきます。詳細は『みんなのスタートアップスタジオ』をご覧ください。

 

2     Venture Creation Model について

2.1  概要

Startup Studio は IT の文脈で良く使われる言葉ですが、バイオの領域ではしばしば「Venture Creation Model」という言葉を聞きます。

その名の通り、これはVCが自社で「ベンチャー企業を作る」モデルであり、最も有名なのはモデルナを輩出したFlagship Pioneeringです。そのほか、Third Rock Ventures、Atlas Venture なども同様のアプローチを行っています。

Startup Studio と異なるのは、主に領域が創薬であることと、IPOまでリードとしてフォローオンをしていくという点でしょうか。たとえばモデルナの2018年の上場時には、Flagship Pioneeringは19.5%のシェアを持っていたとされています。

2.2  プロセス

FlagshipもThird RockもAtlasも共通してフェーズを4段階に分けています。

 

Flagship

Third Rock

Atlas

Phase 1

Explorations

Discover

Discover

Phase 2

ProtoCos

Launch

Derisk

Phase 3

NewCos

Build

Shape

Phase 4

GrowthCos

Transform

Strengthen

https://www.flagshippioneering.com/process から引用

Flagship Pioneeringの手法については、日本語では小柳先生のブログ記事がまとまっています。

Flagship Pioneeringの内部プロセスは、おそらくHarvard Business PublishingのCaseである「Institutionalized Entrepreneurship: Flagship Pioneering」が最も詳しいのではと思います。またAtlas VentureはLife Sci VCというブログで情報発信をしているので、それを読むと色々と思想が分かります。

Flagship Pioneeringの最新の状況はこちらの記事に詳しく、またこの記事を書いた時点で約300名(!)の科学者やビジネスサイドの従業員がいるようで、それぐらいの人数をかけて新規事業創造を行っている、とも言えます。

2.3  類型

このVenture Creation Modelですが、創薬以外ではあまり見かけることがありませんでした。調査が足りないだけかもしれませんが…。

名称として、Venture Creation を使うところもあれば、Company Creation という名称を使うところもあります。ただ言葉が違うだけで、内実はさほど変わらないような印象があります。

大きな違いがあるとしたら、「自社でアイデアをどこまでリードするか」「自社内で研究開発機能を持つか持たないか」あたりでしょうか…。このあたりは詳しくないので、識者にお伺いしたいところです。

 

3     日本におけるこれらのモデルの今後

当然ながら現場の課題は投資家より起業家の方が知っていて、起業家のほうが詳しい領域のほうが圧倒的に多いでしょう。

しかし一方で、起業家の自然なアイデア発想に任せたままだと、どうしても小さめのアイデアになってしまう重力があるように感じています(特に初回の起業家は)。そこでシリアルアントレプレナーに期待がかかるところですが、M&Aが少ない日本の状況だとシリアルアントレプレナーは生まれづらいため、そうした制約の中では、いかに初回の起業家の皆さんにも大きなところを狙ってもらうのか、という初期のナビゲートがとても大事になってきているように思います。

また冒頭に解説した、起業家の数の課題を受けて、こうしたStartup StudioやVenture Creation Modelに挑むVCや支援組織は今後増えてくるのではないかと思っています。

いわば、「起業家を待っているのではなく、自ら事業を作りに行く」というスタイルです。むしろそれをしないと、ファンドサイズに見合った投資ができない、という状況になりつつあるのではないかと思います。

とはいえ、日本においてこれまでの海外と同じ方式でいけるかというとまた少し違いそうだなと思っており、以下のような展開を考えていく必要もあるのではと思っています。

 

3.1  領域の広がり

創薬とITが先行していて、恐らくこの二つの領域でもStartup Studio的な取り組みは継続していくと思うのですが、とはいえある程度Low-hjanging fruitsは取られてしまっているので、その他の領域にもこのモデルは広がっていく可能性があると思っています。

ただ問題があるとすれば、創薬やITはある意味で「このモデルが通用するぐらいに特殊」だという点です。

たとえば、事業のリスクを「技術リスク」と「市場リスク」に分けたとき、

  • 創薬は技術リスクが高いけれど市場リスクが低い(=作れれば売れる)
  • ITは技術リスクが低いけれど市場リスクは高い(=売れるものさえ分かれば作れる)

といったリスクの取り方をしますが、他の領域は本当に様々で、リスクに見合うリターンが出るとも限りません。

https://speakerdeck.com/tumada/deep-tech-sutatoatuputohahe-ka?slide=55

また創薬の場合、その後のプロセスの予見性が高いというのも特徴的です。

低分子の場合の創薬の蓋然性や期間は以下のような形だと言われています(データが古いので金額等はアップデートが必要かもしれません)。

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/iyakuhin/dai5/siryou1-3-6.pdf

またITは技術の転用がしやすく、試行錯誤のコストも低いため、Studio内で多くの挑戦をしやすいのですが、他の領域だともっとバイオに近い、年間数社生み出すのが御の字というモデルになるように思います。

そうすると、数少ない挑戦で「十分な成功率」と「十分なリターン」が得られる領域でしかこのモデルはペイしないことになります。このような領域は恐らくわずかでしょう(時期によって変わるとは思いますが)。

そして領域もある程度固定しなければならないという難点もあります。領域によって必要な装置が異なるからです。もしそれぞれの企業ごとに装置を買い直していたら、さらにコストがかかります。

ではどのような領域がありうるかといえば、一つが Climat Tech です。

BXVentuers、Marble、1.5° VenturesなどがClimate Tech領域特化でスタジオモデルに近い取り組みを始めるなど、試みが始まっています。興味深いのはどれもEU圏発というところでしょうか。

またIdealabはClean Techにも力を入れており、SPAC上場したEnergyVault、DACを作ろうとしているCarbonCaptureはIdealab出身です。この領域は個人的にも関わっている領域なので、模索しがいはあるなと思っています。

3.2  非営利組織の役目

Startup Studio や Venture Creation Modelの弱点は、コストがかかることです。

Flagshipは300人弱のスタッフを抱えていますが、それだけの人を雇うと相当なコストです。そのため、多めのエクイティを取らなければペイしません。あるいは、サービスの分の対価をスタートアップに請求する(ビリングバック)かです。ただいずれも結構な重荷になります。

時間という観点でも、普通の投資よりもかかります。Sutter HillやPolymath Venturesなどは期限の定めのないエバーグリーンファンドを組成しており、長期で取り組めますが、そうした資金を集めきるまでにはトラックレコードが必要でしょう。一方、スタジオとファンドを別のエンティティ(デュアル・エンティティ)とするなどの選択肢もありますが、それはそれでLPからの調達が大変です。

そこで、本来であれば、営利で成り立つビジネスになるべきだと思いますが、サイクルが回り始めるまでのしばらくの間は非営利組織としての大学などで、そのあたりができると良いのかなと思っています。エクイティをさほど取らずにすむはずだからです。

Harvard のWyss Institute が似たような取り組みでしょうか。Wyss は最近もCollaborative FundやNorthpond VenturesといったVCとも提携して、研究とスタートアップ化を狙っています。大学に関係する人間として、ポジショントーク的ではありますが…。

3.3  EIRとの組み合わせ

日本でも徐々に始まりつつあるEIRは、自由放任だとあまりうまくいくイメージがなく、再現性もないため、一か所にEIRを集めてプログラム的にしていくStudioモデルに徐々に収斂していくのではないかと思っています。

 

4     まとめ

  1. 良い球を待っていても来ない(少ない)
  2. 来た良い球は取り合いになる
  3. だったら良い球を作ればいいじゃない

という、単純な発想と言えば発想ですが、

そうなると「できるのか?」というのが最初に来る疑問でしょう。

「できらぁっ!」といいたいところですが、実際の反応は「え、ベンチャークリエーションを?!」となるのが普通でしょう。私もかなり難しいと思います。

ただ待っているだけだとどうしようもないのも事実ですし、1~2年後に起業家が急増している未来もあまり想像できないので、エコシステム全体としてこの壁を乗り越えないといけないと考えると、なんとかしてできる方法を探す、というのが今のところの方向性なのかなと思っています。

特に今後縮小していく国内市場や起業家数を取り合うよりも、パイを大きくしたほうが全体にとってメリットではあると思うので…。

と、そんなことを考えているので、是非こうした取り組みに興味のある人がいたら、何かご一緒できると嬉しいなと思います。

*1:ただし、投資件数は減っており、2022年のシードステージの楽観的な状況とは違うように見えます。

*2:ただし、初めてのファンドは立ち上げづらくなっているとも聞いています。

*3:ちなみに招聘されたCEOが元MicrosoftのBob Mugliaで、私の昔の遠い上司に当たる人でした。

Entrepreneur in Residence (EIR) というキャリアの機会とプログラムの改善

海外でたまに見かける「Entrepreneur in Residence (EIR)」の仕組みが日本でも徐々に広がりつつあります。

アントレプレナー・イン・レジデンスは、ざっくりと言うと「おおよそ数か月から2年程度まで、一定程度の給料をもらいながら起業準備ができる」というプログラムやそのプログラムに参加している人のことを指します。

略称はEIRやEiRです。キャリアを積んだ人がそのポジションになることも多いため、Executive in Residence と言われることもあり、これも略称でEIRになります。日本では「客員起業家」と呼ばれることもあります。

 

かねてからEIRの取り組みは日本でも模索されていましたが、最近になって改めてその名前を聞くようになりました。

その背景として、2022年度の経済産業省による客員起業家(EIR)の活用に係る実証事業、2023年度の NEDO の MPM 事業 (大学発スタートアップにおける経営人材確保支援事業) などの補助事業があるように思います。補助を受けたいくつかのVCや事業会社がEIRを雇い始めています(補助を受けていないところも始めている話を聞きます)。

現在の日本は起業家を増やすという大方針があるので、今後も国からの補助があり、EIR の実績が出てくれば、この EIR の取り組みはより広がっていく可能性があります。

 

裏返せば、今後、起業志望者にとってEIRというキャリアは有力な選択肢になりうるのではないかと思います。また今はその萌芽段階ですが、国からの補助が出ている間はVC側のリスクが低い分、EIRにとっては割と良い条件設定になるはずなので*1、経験のある方々はこのEIRの機会があればぜひ積極的に検討してみると良いのではと思っています。

とはいえ、EIR の位置づけなどを考えないとお互いにとって不幸なマッチングになるかもしれませんし、初期の EIR の取り組みで成功例が出なければ EIR という制度自体が短命に終わってしまうように思うので、少しだけ整理と自分の考えを書いておきます。

 

EIRというキャリアの位置づけ

「経営者になりたい」と思ったときには様々な選択肢があります。

一つが経営コンサルティングで、学生などには人気です。ただあくまで相談役であり、経営判断そのものができるわけではありません。

「もっと経営や事業に関わりたい」と思った人が次に行くキャリアが、事業会社の経営企画、Private Equity、そして起業だったりしました。

そこに2010年代後半から新たな選択肢として、日本でもサーチファンドが台頭してきました。サーチャーと呼ばれる経営者候補は、自分が社長として承継する中小企業を探しながら、投資家からお金を集め、良い企業が見つかったら買収し、4 ~ 7 年かけてバリューアップを行って、その後イグジットする、というモデルです。

そこに加えて、EIR経由で経営者になる、という選択肢も出てきつつあります。

 

リスクとリターンで考えたときに、それぞれのキャリアは大まかには以下のようなリスク・リターンの関係になるのではと思います。

リスク

リターン

選択肢

高

高

起業

中

中

サーチファンド、EIR

低

低

企業内起業

EIRは起業のリスクよりもやや低く、社内新規事業よりもリスクをやや高い選択肢として位置付けています。

ミドルリスク・ミドルリターンであっても、主に既にある事業を承継して拡大や再建をするサーチファンド経由での経営者と、あくまで新規事業を立ち上げるのが目的のEIRは、事業の改善と事業の立ち上げで大きく異なりますし、リスクもEIRのほうが大きいとは思いますので、あくまで大雑把に分けたときのものだとお考え下さい。

 

EIRのパターン

この EIR ですが、EIR の中にもいくつかのパターンがあります。

  • VC の EIR - 投資先のバリューアップに携わりながら、次の起業の準備を行う(ある意味で、アイデアができる前の「人」への投資)
  • 企業の EIR – スピンアウトをある程度の前提とした企業内起業の準備を行う
  • Startup Studio のEIR – スタジオ内のアイデアの起業準備を行う
  • 大学の EIR - 大学の技術の商業化やスピンアウトに向けた取り組みを行う(ビジネススクールでの教育に関わる場合もある)

一口に EIR といっても、どの組織の EIR かによって動き方は結構異なりますし、待遇も異なる印象を受けます。どの EIR が自分にあっているかはそれなりに考えたほうが良いのではと思います。

それぞれのパターンでの事例は、Beyond Next Venturesさんのイベントレポートなどにもまとまっています。

 

EIR として採用される人

多くの場合、EIR はシリアルアントレプレナーや、スタートアップ・大企業での重役やチームリーダーを務めた人が採用されます。少なくとも経営者やマネージャーとしての能力があることが求められるからです。

しかし、そうした人たちはえてして良い待遇の他の機会を見つけられます。それに起業をすると収入のない期間が続き、みるみると銀行口座の貯金が減っていくことになります。そこである程度の給与を保証することで、そうしたリスクを緩和して、起業というキャリアを選びやすくしてもらう、というのがEIRを提供している一つの理由だと考えられます。

このような背景もあるため、普通、EIR という職種の募集は表には出ません。既にあるつながりの中から採用されるのが普通だからです。

とはいえ、日本においてはそのような人材は少ないため、そこそこのトラックレコードで起業家として可能性がありそうな人も(相対的に低い待遇で)迎え入れられることもあるようですし、公募されることもあるため、それはそれで日本では起業家候補にはチャンスを得やすいとも考えられます。

 

EIRのコミットメント

どれぐらいの期間、どれぐらいの量をEIRがその事業に関わるのかは、プログラムによってかなり異なります。

2015年時点の海外の EIR のサーベイでは、時期もコミットメントの量、給料も随分と違います。

また内容を聞いてみると、それぞれの EIR プログラムには「プログラム」っぽいものがない場合も多く、その分自由なのがEIRとも言えます。

Jessica M. Silvaggi & Orin Herskowitz & Carlton J. Reeves, 2015. "Entrepreneur-in-Residence Programs: One Size Does Not Fit All," Technology Transfer and Entrepreneurship, Bentham Science Publishers, vol. 2(1), pages 37-50, April.

Jessica M. Silvaggi & Orin Herskowitz & Carlton J. Reeves, 2015. "Entrepreneur-in-Residence Programs: One Size Does Not Fit All," Technology Transfer and Entrepreneurship, Bentham Science Publishers, vol. 2(1), pages 37-50, April.

 

EIR プログラムの改善に向けて

EIRは新しい試みではありません。一説によれば、1980年代初めに試みられ、1997年にはサーベイが出ているぐらい古くからある取り組みです*2。

ただそれがそこまで広がっていないのは、EIR が大成功には繋がってはいない、ということでもあるのかなとも思います。成功していれば、こぞって多くの組織が真似るからです。

実際、EIRをかつてやっていたけれど、数年してやめたところや縮小したところも多数あります*3。

しかし一方で、大失敗しているわけではないので、今もまだ試みられているということでしょう。

これは改善の機会もあるということでしょうし、また普通にやっていたら大成功はしない、ということではないかと思います。特に起業家の数が相対的に少ない日本においては、EIR プログラムへの参加者数と成功率を上げることは、エコシステム全体にとっても良いことではないかと思っていて、プログラム実装の改善に取り組むことは必要ではないかと思います。

 

EIRの話を聞いた限りでは、以下のような課題があるようです。

  • EIRが放任になりがち
    • プロセスがあまりなく、テイラーメイドであるために予見性が低く、管理にコストがかかりがち
    • VCでEIRを行うと投資が優先されがち
    • その結果、EIR が放任になりがち
  • EIRにアイデアを任せっぱなしにすると、小ぶりになりがち
  • ノウハウが溜まりづらい
    • 1社あたりの EIR の人数が少なくパターン化が難しい(多くが1~3名)
  • EIR 同士の交流が少ない
    • 上述の通り人数が少ない
    • 文脈が違うEIR同士だと会話が成立しづらい
  • (アメリカ以外の国の場合は)そもそもEIR候補がいない
    • そもそも EIR というキャリアが知られていない(サーチファンドなどのほうが有名?)
    • US の場合、EIR 候補が多数いたとしてもあまりうまくいっていなかった?

これらの多くは EIR のコンセプトそのものの課題というよりは、EIR のプログラムの実装の課題です。実装面ではもう少し改善の余地があるのではないかと思います。

たとえば、あまりにも放任だと「EIR が成功した/失敗した」程度の学びだけで終わってしまうので、もう少しEIRの動き方をある程度見れる人をアサインして、ある程度構造化された形で試行錯誤していった方が次につながるのではと思っています。

 

個人的には以下のような取り組みで多少は改善できるのではと思っています。

  • 受け入れ側でもう少しだけリソース(アイデアや技術シーズのリスト)を揃える
    • これはやっているところもあります
  • できれば放任ではなく、プログラム化する
    • 補助金を受けているEIRプログラム同士で連携する(週に1回ぐらいEIR同士が集まるなど) 

話を聞いていると、EIR にアイデア全体を任せるよりも、緩やかにアイデアの方向付けなどもプログラム側で行った方が良さそうな気がしています。ただこの場合、EIR というよりは Startup Studio/Venture Creation に近いモデルになるのでは……とも思います。

EIRを一か所に集めたほうが良いんじゃないか?とは思いますが、各VCの傍にいるというのもEIRのメリットではあるので、週に1回ぐらいEIR同士が集まって課題などを話すところから始めると良いのかな…と。

今後「EIRの手引き(仮)」が経産省のEIR実証事業の成果物として出てくるはずなので、そこでも色々な提案があると思いますが、何かしらEIRの成功モデルが作れると良いなと個人的には思っている次第です。

2022年度の EIR 実証事業をもとに、「EIR の活用に関するガイダンス」が出ているので、こうしたガイドを基に今後も改善を繰り返して成功のモデルが作れると良いなと思っている次第です。

 

まとめ

VCにとってみても、ファンドサイズが大きくなるとともに、狙うべき上場時の時価総額が大きくなっていることを考えると、VCの戦略としては海外投資を行うか、自社でより大きなスタートアップを作っていく、という手を考え始めるのではと思っているので、経験のある起業家を増やすというEIRの流れは増えてくるのではないかと思います。

エコシステム全体としても、EIR という選択肢があることを広く伝えていき、優れた経営者候補に、別の経営者キャリアではなく EIR というキャリアに目を向けてもらうよう業界として働きかけていく必要もあるでしょう。

 

そして起業家志望者の皆さんも、こうした波があればうまく使っていただくと良いのかなと思っています。

*1:普通は給与を払う分、そこそこの株式が取られても仕方がないところが、VCに対して補助などが出ている現状はある程度緩和されていたり、交渉可能なはずなので。

*2:本ジャーナルは購読しておらず、読めていませんが、存在だけを言及しています。

*3:たとえば有名どころでは Benchmark Capital が結構やっていましたが、最近はあまり聞きません。他の有名 VC も 2010 年前後に色々とやっていましたが、最近はほとんど聞きません。

2023年のスタートアップを取り巻く環境、今後に向けた施策 (特にアクセラレーターの視点から)

Y Combinator 以外のアメリカの著名なアクセラレーターの成果を見てみると、2015年以降、そこまで優れたパフォーマンスが出ていません。ユニコーン輩出という観点では、Y Combinator 以外のアクセラレーターからユニコーンがあまり出なくなっています。

https://pitchbook.com/news/articles/y-combinator-accelerator-success-rate-unicorns

これは北米のスタートアップ環境に大きな変化があったからではないかと思っています。

その理由としては、以下のような要因が候補として考えられます。

  • Y Combinator の採択数の拡大による、有望なスタートアップの寡占
  • 起業経験者の増加による、アクセラレーターが不要な起業家の増加
  • スタートアップの成長領域が徐々に限定的に

ここまでは海外の話ですが、日本を見てみても、この数年でスタートアップエコシステムはずいぶんと変わってきており、その変化を踏まえて、支援側にいる私のような人間も、これまでとは少し違う形の支援が必要ではないかと思い始めています。

2017年にエコシステムの課題についての記事を書きましたが、その約6年後となった今、自分のこれからの動きのベースとするために、自分の認識をまとめたいと思います。

なお、これは個人の史観であり、データを良く見ると異なっているかもしれません。またアクセラレーターに寄った話なので、VCから見るとまた違った見え方になるように思います。「私はこういう認識で、これからこういう風に動いていきます」ということであり、この認識が正しいと主張するわけではないので、ご留意いただけますと幸いです。

 

1. これまで

Y Combinator が始まった2005年ぐらいからの大きな流れをまとめてみます。

1.1  技術的な環境の変化

良く言われているところですが、2005年前後を境に、IT業界には大きな変化が連続していくつもありました。

  • 2006年以降 AWS などのクラウド環境の登場で、インフラコスト等の初期投資が下がる
  • 直後にスマートフォン、遅れてアプリストアが登場し、アプリ配布コストが一気に減る
  • またスマートフォンやSNSの普及で、インターネットへの接触時間が増える
  • SNSや検索連動型広告など、コスト効率の高いユーザー獲得手段が新たに登場する
  • 2010年代に入り、SaaSの流れが本格的に始まり、B2Bでの市場も拡大する

つまり、インターネットやスマートフォン、クラウド (SaaS) の拡大が絶え間なく続くとともに、AWS などの登場によりビジネスを開始・拡大するためのコストが劇的に下がったのが2005年からの15年でした。

1.2  アクセレレーターの登場

2005年には、アクセラレーターの元祖とも言われる Y Combinator が始まりました*1。

創業者であるPaul Grahamの仮説は、

  • 「起業における成功は、主に賢さとエネルギッシュさに依存し、年齢やビジネス経験は、それほど大きな要因ではない」
  • 「大方の予想より少ないお金でも起業できる」

の2つだったと言われています*2。言い換えれば、「少額のお金とアドバイスによって、若者の起業でも成功できる」という仮説とも言えるでしょう*3。

検証の結果、仮説は正しかったと言っても過言ではないように思います。Y Combinator からは多くの若手起業家が生まれました。その一人が今話題の渦中にある OpenAI 代表の Sam Altman であり、Y Combinator の第1期生、かつ Y Combinator のプレジデントを務めた人です。

そして次々にY Combiatorを模倣する取り組みが「アクセラレーター」と名付けられ、普及していきます。

有名なところではTechstars が2006年、MassChallengeが2009年、AngelPadが2010年に設立されました。

1.3  シードVC

アクセラレーターがうまく機能した理由として、ドットコムバブルの後に、VCのフォーカスが後ろのステージにフォーカスに行くにつれて、手前の方が空いてきて、シードやプレシードのステージのスタートアップの支援が必要だったということもあるように思います。

実際、アクセラレーターだけではなく、シードVCが生まれてきたのもちょうどこのころで、2004年にFirst Round CapitalやSoftTech VC (現 Uncork Capital)、2005年にTrue VenturesやFloodgateなどが設立されています。

この背景には、AWS等による起業コストの低減も影響しているように思います。アクセラレーターやシードVCによる少額の投資でも十分に起業できるようになったのも大きいからです。このあたりは Why Has Seed Investing Declined? And What Does this Mean for the Future? に詳しいです。

このように、支援が空いた場所に、低コストで起業できる環境が揃い、アクセラレーターやシードVCが生まれてきた、という流れがあったのではないかと見ています。

1.4  エンジェル投資家

またアクセラレーターを取り巻く環境として押さえておきたいのが、エンジェル投資家です。

GoogleやFacebookのIPOなどで財を成した人が増え、かつ2008年ごろのFinancial Crisisで機関投資家が離れたタイミングで、存在感を増していたのがエンジェル投資家でした。

Y Combinatorも、もともとはエンジェル投資家4人が始めたものとも言えますし、AngelPadはエンジェル投資家+アクセラレーターのような形です。

2010年前後まではエンジェル投資家の存在がアメリカでも大きかったようですが、その存在感は年々下がってきていました。

https://tomtunguz.com/where-have-all-the-angels-gone/

その一因として挙げられているのが、機関投資家が戻ってきて、シードラウンドを牽引するようになった、という点です。2012年前後はAcqui-hireで多少の財を成した人も多かったはずですが、エンジェル投資の増加よりもVCのほうが盛んになっていきました。

1.5  アクセラレーターの組織化

機関投資家が戻ってきて、シードVCも増え、エンジェルの出番が少なくなってくるにつれて、アクセラレーターも徐々に競合が増えてきます。そしてアクセラレーターも、徐々に個人ではなく組織や機関として動くようになっていったように思います。

Y CombinatorやTechstarsは組織拡大を行い、採択数も増やします。

現在、Y Combinator は年間400社の採択をしています(ただし今後削減予定)。2010年は60社程度だったと考えると、かなりの数の増加です。

Techstarsは企業などと提携しながらアクセラレーターを開催し、同じく年間400社以上、MassChallengeも連携先を増やして年間200や300といった採択を行っています*4。

1.6  アクセラレーターの機能

ここまでアクセラレーター、シードVC、エンジェル投資家、といった3つの似たプレイヤーを見てきました。

改めてアクセラレーターに話を戻します。アクセラレーターの共通の機能とは何でしょうか。主には以下の4つではないかと思います。

  • 起業のノウハウの提供
  • プログラムとしての設計(多くの場合はバッチ制)
  • メンターや同期などの人的ネットワークへのアクセス
  • 資金へのアクセス(初期の資金とDemo Dayなどを通した投資家紹介)

つまり、プログラムを通して(主に)若いエンジニアにビジネスを教え、人的・資金的ネットワークを提供することが多くのアクセラレーターの主な機能です。

そうすることで、起業の初期に起こりがちな間違いを避けながら、初期のトラクション獲得を支援していきました。

1.7 アクセラレーターの振り返り

こうして振り返ってみると、2005年から2020年までという時期は、アクセラレーターという仕組みが素晴らしく機能していた「特殊な時期」だったと考えられます。

まず少ない資金で始められる、しかも急成長していたITの一部領域がありました。そして多少のアドバイスがあれば、起業して経営していく中で、若者でもエンジニアでも経営者としての能力を磨くこともできる時期でした。

そして米国では起業家がかなり生まれてくる環境で、そうしたプログラムが求められていたのも大きいでしょう。アクセラレーターが規模拡大をしていくことも理にかなっていました。米国では大手のアクセラレーター4社だけでおそらく年間1000件以上、もっと小さなアクセラレーターを含めるともっと多くの数のスタートアップがアクセラレーターの支援を受けているはずです。

それが波及して、日本でもいくつかのアクセラレーターが生まれ、今では多くのアクセラレーターが活動しています。

 

2     日本で起こった変化

2005年から2022年ぐらいまでを大雑把に振り返ってみましたが、日本ではどのような変化があったのかをもう少し掘り下げて見てみたいと思います。

まず数字で分かりやすい、資金の面から見ていきましょう。

2.1  資金調達額が10年前の10倍に

Initialのデータによれば、2013年は日本全体で877億円だった資金調達額が、2022年には8774億円になったと言われています*5。資金調達額は約10年で10倍になったということです。

https://initial.inc/enterprise/resources/japanstartupfinance2022

他国も相当な伸びを示しているので、日本だけが10倍になって特異的な成長をしたわけではありませんが、少なくとも「日本でも桁が一つ上がった」というのは大きな変化だったように思います。

2.2  スタートアップの調達額の増加

先ほどは日本全体で合計の資金調達額でした。この合計金額は「1件当たりの資金調達額×資金調達数」で計算できます。総資金調達額が10倍になっていますが、資金調達数は2013年時の2倍程度です。つまり平均すると、1調達額あたりおおよそ5倍になっています。

ただ、平均的に5倍になったというよりは、大型の調達が増えたことが増額の主な要因です。アメリカに比べればまだ1桁小さいとはいえ、10年前にはほとんどなかった規模の資金調達額を見るようになりました。

資金調達できる金額の増加は、スタートアップが取れる戦略の幅を広げてくれます。また大企業の新規事業部門よりも多くのお金を迅速に集めることもできるようになると、スタートアップが挑める領域が増えたということでもあるでしょう。

2.3  ファンドサイズの増大

日本の VC のファンドサイズもこの数年で一気に大きくなりました。そしてファンドサイズの大きさは、VCの戦略に大きく影響します。

50億円のファンドサイズだと、10年後にざっくりと150億円ぐらいの累計リターンが出ていれば、IRRがそれなりに良い、となります*6。150億円ぐらいのリターンためには、

  • 時価総額1000億円の会社が1社出て、そのうち15%の株式をVCが持っている
  • 時価総額500億円の会社が2社出て、それぞれで15%の株式をVCが持っている
  • 時価総額333億円の会社が3社出て、…

となります。つまり、ユニコーンが1社出ればファンドとしては十分なリターンとなります。

一方、ファンドサイズが500億円になると、10年後に1500億円のExitが必要になります。1500億円のためには、

  • 150億円のリターンを10個出す(=時価総額1000億円の会社を10個出す)
  • 1500億円のリターンを1個出す(=時価総額1兆円の会社を1個出す)

という2つの間のどこかを取る戦略になります。ユニコーンを10社出すか、それともデカコーンを1社出すか、それともその間を取るか、ということです。

ただ、ファンドとして投資して関係性を築ける会社の数には上限があり、投資家1人が担当できる会社は多くて10社程度ですし、10倍以上の人を雇えるわけではないので、10倍のファンドサイズになったからといって、10倍の数に投資できるわけではありません。

そこで、思考としては「より大きなイグジットを出すには」という側に行くことになります。

また、ファンドサイズが大きくなるとどうしてもチケットサイズが大きくなり、シードを中心に活動していたVCも、徐々にレイターステージに投資する引力が働きます。

投資家側にそうした思考の変化が徐々に起こっていったのが、特に直近の数年だったのではないかと思います。

2.4  スタートアップの人材の増加とノウハウの共有

日本のスタートアップを牽引するのはITで、ITスタートアップのコストの多くは人件費です。資金が流れ込んだということはスタートアップでの採用が増えたということであり、スタートアップで働く人が増えたのも大きな変化と言えます。

その結果、スタートアップのノウハウの共有は加速していきました。今では多くのスタートアップが自社のブログ等でノウハウを公開しています。

またスタートアップに関わる人は増えて、イベント等は以前よりも盛況になっています。

 

3     起こらなかった変化(起こせなかった変化)

ここまでは起こった変化です。ここからは起こらなかった変化、あるいは起こせなかった変化について簡単に触れたいと思います。

3.1  スタートアップの起業家の数の激増はなかった

私個人が2017 ~ 2018年に持っていて、しかし外れた予想として、ハイグロース・スタートアップに取り組む起業家の数があります。

メルカリ等の大型のイグジットも出て、いよいよ「〇〇マフィア」と呼ばれる起業家群が日本にも生まれることを個人的には期待していました。うまくいけば指数関数的に、少なくとも線形にスタートアップは増えると想定していました。しかし、それは起こっていないようです。

Initial のデータによると、資金調達社数は2018年まではかなりのペースで増えていたのですが、その後の伸びは停滞しています。社数ベースでいえば、約2倍です。資金調達社数=ハイグロース・スタートアップの起業数ではありませんが、ある程度正の相関はあると考えると、そこまで起業が増えているというわけではないと考えています。

https://initial.inc/articles/japan-startup-finance-2023h1

起業が増えていないとして、その理由はいくつかあるように思います。

たとえば他の雇用の増加です。特に、昔だったら起業を選択していたかもしれない人が、

  • スタートアップの従業員やCxO
  • スタートアップ支援側
  • ビッグテック
  • 戦略コンサルタント
  • 大企業のオープンイノベーション部門

などの職業に流れた可能性はそれなりにあると思っています。私も支援側なので人のことは言えませんが。

資金調達額が増えて、スタートアップに関わる人は増えてイベント等は盛況になりましたが、一方で起業家自体の数が劇的に増えているという感じは個人的にはそこまでありません。

なお、これも体感でしかありませんが、起業したい若年層はこの数年で増えているような印象があります。実際、日本政策金融公庫 総合研究所の調査によれば、29歳以下の起業志望率はそれなりに高い状況です。

ただ起業の中でもスタートアップを志向する人が増えているかというと、そこまで高まっていないという体感もあります。数億円稼ぐならスモールビジネス的な稼ぎ方で十分、という人も多いのかもしれませんし、不動産投資などで十分稼げる人もそれなりにいるので、金銭的な面であえてスタートアップという選択肢を取る必要はそこまでないのかもしれません。

いずれにせよ、ハイグロース・スタートアップの起業を目指す人は、10年で資金調達額が10倍になったほどには増えていないのではないかと感じています。

なお、Y Combinator は年に 700 件近い採択をしていても、採択率は 1.5 - 2% 程度だと言われます。仮に2%だとしても、35,000 件の応募が年にあるということです。それだけ多くの起業家や起業家候補がいる、というのが日本との大きな違いとも言えるでしょう。

3.2  M&A Exitはそこまで増えなかった

Exit 先として、アメリカではM&Aが多くを占めることが知られています。一方、日本のExitはほとんどがIPOです。

M&Aがあること自体、スタートアップが取りうる戦略を増やしてくれますし、投資家も元本回収ができるようになりリスクをより取れるようになります。またM&Aが起こることで、起業家の再挑戦が早くなるというメリットもあります。

こうしたM&A のExitが少ないことは、長い間日本で問題として取り上げられてきているように思いますし、その対策として、オープンイノベーション促進税制なども講じられてきています。

M&A が少ない背景として、Not Invented Here (NIH: 自社で開発されたもの以外の技術) を忌避する、というところもありますし、のれん代の問題などもあるとは思いますが、産業構造も背景としてあるように思います。

日本のスタートアップの多くはIT企業であり、IT企業を買収するのは主にIT企業です。アメリカンにはビッグテックをはじめとした、買収を行える大成功したIT企業が多くあります。しかし日本やヨーロッパにはそのような大きくなったIT企業(ITスタートアップ)がそこまで多くはなく、買い手が少ないがゆえに、Exitが少ない……と、いわば鶏卵の関係でもあるかと思います。

とはいえ、大企業に無理やりスタートアップを買収してもらうことで解決できる問題でもありません。また海外の企業に買ってもらうには、世界でも有数の技術力か、魅力的な日本市場への参入機会として買ってもらうしかないでしょう。全てのステークホルダーが幸せになる形でのM&Aを増やすことは、今後も引き続き課題になるように思います。

 

その他、レイターステージの支え手が少ない問題や、上場後の成長の問題などもありますが、いったんこのあたりにしておきます。

 

4     これからの日本のエコシステム

こうした変化と、変化をしなかったことを踏まえて、これからどのような発展が必要なのかを考えていきたいと思います。

4.1  デカコーンをいかに作るか

ファンドサイズが大きくなった多くのVCが、「デカコーンをいかに作るか」という問いを持つようになっているように思います*7。そして日本としても、デカコーンを生んでいきたいという方針を感じています。

デカコーンとは時価総額が1兆円になる企業です。(利益ではなく)売上でいえば、1000億円は必要でしょう。2000億円必要かもしれません。一方、ユニコーンは100億円の売上が一つの目標です。

100億円の売上を国内だけで行うのはなんとか行けるでしょう。しかし2000億円を国内で売り上げるのは相当難しくなってきます。

そこで必要になってくるのは、

  • グローバル市場への挑戦
  • 純粋な IT とは違う領域への挑戦

ではないかと思います。そのどちらも、誰も方程式を持っていない領域です。

4.2  難しくなったアーリーステージを誰がカバーするか

ファンドサイズが大きくなるにつれて起こるのは、徐々にそのファンドの投資がレイターステージへと移っていくことです *8。

そうなると、より早い段階の支援が空いてきます。

一方でデカコーンを望むのであれば、相当意識的に初期の段階から設計しなければ、実現できなくなってきているように思います。かつては、「数を撃てば当たる」ことで実現できていたかもしれませんが、海外のアクセラレーターのパフォーマンス低下などを見るとその傾向を感じます。

つまり、より早期の段階からの介入が必要で、しかもその介入に求められるレベルが上がっている、ということです。

4.3  どうやって世界レベルで戦えるチームを組成するか

また、こうした変化に合わせて、創業初期のチームに求められるものが増えてきているように思います。

たとえば、事業領域によっては

  • グローバル展開ができるチームか
  • 巨額のお金を調達してきて、しかも上手く使えるチームか

といった観点での評価がされることも増えてきているようです。

つまり、世界で戦える経営陣かどうかです。

もし起業家に求められるハードルが上がると、10年前に比べると初回の起業家は活躍しづらくなるかもしれません。アメリカは幸いにして、シリアルアントレプレナーが増えて、そうした経験をしている人もこの十年で増えています。資金調達した会社の創業者のプロフィールを見ていると、起業経験がある人の率はそれなりに高い状況です。ヨーロッパを見てみても、ヨーロッパのユニコーンスタートアップの 65% 程度はシリアルアントレプレナーです。

しかし、日本ではそのような経験をした人はまだ少ない状況です。そんな状況の中、デカコーンを生み出していくという難問を解く必要があります。

4.4  どの領域を掘るか

純粋なITの領域は仮説検証のコストが低く、機会がたくさん眠っている状況であれば、違う場所を掘り続けることで、いずれ金脈に至ることも可能でした。しかも浅いところに機会が埋まっていればなおさらです。この場合、若者の行動力が活きる状況だったと言えるでしょう。

しかしある程度掘られてしまったあとだと、良い鉱脈に至る確率はどうしても下がってしまいます。

単に「当たりを掘れる」確率が下がっただけであり、可能性がゼロというわけではありません。タイミングによっては大きな波が来ることもあります(たとえばECが大きく変わる可能性などもあると思っています)。初期投資の低いITでの起業はまだ続くでしょう。とはいえ、手あたり次第掘っていく戦略だと、従来よりは金脈に当たる可能性は年々低くはなっていくでしょう。

掘る場所、たとえば事業領域を変えることで、戦略をそのままに、金脈に至ることもできるでしょう。その時々に新しいトレンドらしきものは常にあります。そのトレンドが短命に終わるのか、長期になるのかを判断する必要はありますが、いずれにせよチャンスがないわけではありません。

ただ、5年前と同じ場所を、5年前の戦略をそのまま使って掘っていても、なかなかうまくいかないだろうとは感じています。

4.5  まとめると

これらを総じて考えると、諸外国に比べてまだ十分にエコシステムが成熟していないにも関わらず、これまでより一桁上の課題にどう挑戦していくかが、本格的に日本のスタートアップエコシステムのアジェンダになってきているのではないかと思います*9。

 

5     これからのアクセラレーター

これまで日本の話をしていましたが、似たような変化が海外でも起こっているのではないかと思います。その結果、冒頭にあげた、海外のアクセラレーターの成果も変わってきたのではないかと思います。

これまでの変化、そして起こっていない変化を考えると、日本の支援側やアクセラレーターも変わっていくフェーズになっているのかなと感じています。

しかも、日本で求められているスタートアップがデカコーンという一桁大きな成功になってきているのであれば、日本の支援側は非連続的な何かに取り組まなければ、その期待に応えられないのではないかと思っています。

そのときの方向性をいくつか考えています。

5.1 どの変数を上げるかを考える

全体を数で見てみると、エコシステム全体として見たときのスタートアップへの投資リターンは、

リターン = ハイグローススタートアップの起業家の数 × 打率 × ホームランの大きさ

と考えられます。それぞれの起業家の挑戦はリスペクトしたうえで、あくまで数として見たら、と思ってください。

この中の要素でどれを上げやすいか、とみたとき、残念ながら起業家の数が急激に増える可能性は直近ではあまりないように思います。着実に上げていくことはできますが、人のキャリア選好が数年で大幅に変わるということはないからです。

また、私たちも長年色々やってきましたが、起業家の数の増加は本当に難しいという実感があります。

となると、打率かホームランの大きさの変数を大きくすることが、短期的にはできることです。

5.2  より早いフェーズから介入する

打率とホームランの大きさを上げるには何が必要なのかを考えたとき、起業の早期段階からの支援の必要性が増してくるのではないかと思います。

Y Combinator はデカコーンが生まれやすいアメリカ市場、かつ仕組みとしてもうまくいっていますが、他の北米のアクセラレーターのパフォーマンスなどを見てみると、Y Combinator 以外は苦戦しています。ここからアクセラレーターの「やり方」自体を考え直す必要があるように思っています。

さらに日本は残念ながら、自然とした起業がデカコーンになる市場ではありません。その場合、最初から意図的にデカコーンを狙った設計にしていく必要があります。しかし、最初からそれを意図的に狙える初回起業の起業家はほとんどいないでしょう。

さらに「デカコーンになるようなアイデアで、かつ凄いチームでないと投資されない」という傾向が強くなると、投資されるチームへのハードルはかなり高くなります。そこでチーミングも含めて支援する必要性が増してきます。

そうなると、これまでのアクセラレーターはあくまで「支援」や「投資」が主でしたが、自ら「作る」側にもっと寄っていかなければ、十分なクオリティのアイデアを有する起業は早々生まれないのではないかと思っています。

もちろんこれはかなり難しいことで、できるとは限りませんし、日本での支援側の質の低さが度々指摘されているところなので、可能かどうかも分かりません。ただ、伸ばせる変数を考えると、そこをやっていくしかないのではないかと思います。

より前のフェーズの支援を拡充することが必要?

実際、私の担当している FoundX での支援は、より前の段階へ前の段階へとどんどんと移動してきています。(ぼかしを入れていますが、何度も何度もプログラム内容と対象を変更して試行錯誤してきています。赤色で塗りつぶしているものが、その当時の新しい取り組みです。どんどんと前側の支援を強化していることがなんとなく分かるかと思います。)

より具体的には「アイデア支援」や「人材マッチ」、「EIR (Entrepreneur in Residence)」や 「Startup Studio」といった様々な「アクセラレーターの前段階」の支援策が投資家の皆さんの動きとして目立ち始めているように思います。支援側がいわゆる Company Creation といった単語を使い始めているからです。

実際、たとえば、Climate Tech であれば、全く業界経験がない人がアイデアの着想を持つのは難しいでしょう。そこで、最終的にはピボットする前提でも、最初のヒントになるようなアイデアを提供しながら、デカコーンになれるようなディレクションをしていくような取り組みが様々な組織で行われ始めているように思います。

そして良いアイデアがあれば起業したい、と思っている人は、日本国内のサーチファンドの隆盛などを見ていると意外と多いのではとも思っています。

世界的に見てもそのような流れがあります。Global Accelerator Network (現 Morrow) も最近 Global Startup Studio Network を作り、Studio モデルを模索しているところが多くなっているようです。特に EU の割合が増えてきているようで、それは米国に比べたときの起業家の少なさに起因しているからではないかと思います。

こうした初期からの支援のデメリットは、アクセラレーターに比べると相当インハウスのコストがかかることです。またそもそも支援側にそのケイパビリティがあるのかというとまだまだでしょう。ただ桁の違う成果を上げるには、そのデメリットや難しさを乗り越えて、新しい何かに挑戦していくことが必要とされているのではないかと感じています。

 

まとめ

ファンドサイズが大きくなり、日本のスタートアップエコシステムに対する国からの期待が高まっている中、その期待に応えるにはかなりのストレッチが必要になってきています。

自然と起業する人が少なく、さらに北米に比べるとシリアルアントレプレナーはもっと少ない状況であり、ユニコーンを生むことすらまだ十分に達成できているとは言えない状況です。そんな中で、エコシステム全体として1桁上の挑戦をしなければならないというのが、今回の挑戦です。

スタートアップエコシステムの中心はあくまで起業家であるべきだと思っています。ただ、エコシステム全体として、その挑戦を支援するための仕組みづくりを改めて考え直すタイミングではないかと思い、記事としてまとめておきます。

*1:初期の Y Combinator | by Taka Umada | Medium や Y Combinator はどのようにして始まったのか などを参照

*2:らいおんの隠れ家 : ポール・グレアム「今年の夏にしたこと」 - livedoor Blog(ブログ)から。

*3:なお、この仮説の背景には、Paul Graham のハッカーに対する思いもあったのではないかと考えています。2000年前後のドットコムバブルにおいては、MBAやビジネスサイドの人が中心にスタートアップを牽引していました。Paul Graham はそれに対するアンチテーゼ、つまりハッカーでもビジネスを学んで、起業できるという考えがあったのではないかと、彼の記事等を読んでいると思います。

*4:なお、1つの連携でかなりの金額をフィーとして取るという話も聞いており、むしろそちらで儲けているのでは、という気すらします。

*5:2023年上半期のデータでは9459億円となっており、さらに増えています。ただ2013年と比較できないため、古いデータのグラフを用いています。

*6:VC 3x fund size などで検索してみてください。たとえばこの記事など。

*7:たとえば老舗VCのGlobis Capital Partnersの記事など: デカコーン創出へと続く、日本のスタートアップが変わった10年――テクノベート経営研究所設立記念 特別対談 #1 | GLOBIS 知見録

*8:そうしたことを避けるために、ファンドサイズをなるべく大きくしない、という戦略を取るVCもいます。たとえばアーリーに特化する Benchmark Capital などは常に $500M ぐらいのファンドサイズです。

*9:ただ、こうしたアジェンダに対する海外投資家の意見は、そこまで肯定的ではないということを聞きます。海外投資家からは「十分に大きな市場を持つ日本で勝てば良い」と言われることもある、などです。

たしかに5年などの短期で利益を最大化しようとすれば、国内の市場に集中した方が確実性も高く、成長もできるもしれません(その投資家にとっては、5年保有するのは十分に長期に見えるかもしれませんが)。

ただ10年や20年で見たときや国として見たときには、国内市場はほぼ間違いなく小さくなっていくことを考えると、国内市場だけを狙うのはその海外投資家の利益を最大化する局所最適解のようにも思いますし、一企業にとってもグローバル展開を上場前にするのか、上場後にするのか、どちらがやりやすいのか、といった問題ではないかと思います。