🐴 (馬)

Takaaki Umada / 馬田隆明

アントレプレナーシップ教育こそ「教える」から「学ぶ」への転換を

教授パラダイムから学習パラダイムへ」と言われて約30年ほど経ちました。

この二つを簡潔に説明している文章を以下に引用してみます。

教授パラダイムは「教員から生徒へ」「知識は教員から伝達されるもの」を特徴とし、学習パラダイムは、「学習は生徒中心」「学習を生み出すこと」「知識は構成され、創造され、獲得されるもの」を特徴とする。
(理論)教授パラダイムから学習パラダイムへの転換

しかし、アントレプレナーシップ教育や起業家教育と呼ばれているものの多くは、いまだ教授パラダイム中心で行われているようにも思います。教員や実務家が壇上に立ち、資金調達やビジネスプランの立て方を教えたり、経験談を話すような、知識伝達型のものが多いからです。

その背景には、こうしたアントレプレナーシップやビジネス系の授業は、実務家や教育学以外の教員が担当することが多く、その結果、教育学の知見などを参照しないまま、自分の受けた教育や自分の専門教科で教えている方法を繰り返している――そうした状況があるのではないかと思います。さらにその背後には、「起業について教えれば、起業家が増える」という隠れた信念もあるように見えます。

しかし、こうして文字にしてみると、「起業について教えれば、起業家が増える」ということは起こりづらいと多くの方が考えるのではないでしょうか。

幸い、最近は実践型の授業も増えてきてはいるようですが、今後のアントレプレナーシップ教育の授業は、より学習パラダイム中心の設計をしていく必要があるように思います。

学びが生まれる状況を作る

教授パラダイムの場合、教員は「いかに正しい知識を正しく伝えるか」に集中してしまいがちです。その結果、授業の方法を工夫して、分かりやすい例を探したり、説明を何度も行います。あるいは、起業家を呼んでくるということもあるかもしれません。この場合、話す内容も話し方も、すべて教師にとっては自分のコントロール下にあります。

しかし学習パラダイムのときに必要になってくる考え方は、「いかに生徒の学びが生まれる状況を作るか」です。学びが生まれるかどうかは、動機付けも必要ですし、達成感を与える必要もあるかもしれません。そこまでお膳立てしても学びが生まれるとは限りません。

つまり、学習パラダイムでは、教師がコントロールしづらい部分が多く、そのため全能感もなく、居心地の悪い状況になってしまいがちになります。そして一般的に、「いかに正しい知識を伝えるか」よりも「いかに生徒の学びを生むか」のほうが困難です。

こうした違いがあるからか、教授パラダイムに染まってしまっている方々は、学習パラダイムへの転換を躊躇する傾向にあるようにも思います。

しかしよくよく考えてみれば、「どうやれば学生の中で学びが生まれるのか」を考えるのは、難しいからこそ楽しいのでは、とも思います。そして学生の成長を見ることができる頻度も、学習パラダイムに基づいた授業設計のほうが多いのではないでしょうか。

であれば、困難でも、あるいは困難だからこそ、学習パラダイムを考えて授業を設計していくほうが良いのではないでしょうか。

「何の学び」を生むためにやっているかをしっかり考えるべき

なお、単に教授パラダイムから学習パラダイムに移れば良い、というわけではありません。そのときに「どうやって学びを生むべきか」だけではなく「どういった学びを生むべきか」もきちんと考えながら設計していく必要もあります。

特にアントレプレナーシップ教育の場合、他の教科と違い、正しい知識がそこまであるわけではありません。また、そもそも知識の効率的な獲得が授業の目標ではないことも多いでしょう。

何の学びを生みたいのかを考えずに、学びを生む仕組みは考えられません。そこで授業を通して涵養したい起業家的な資質・能力をきちんと定める必要があります。

学びにフォーカスするということは、単に方法を教授から学習に変えれば良い、というだけではなく、何を学んでもらうべきなのかをしっかりと考えなければならない、ということでもある、ということです。

そうした学びの目標をきちんと立て、その学びを生むためには何が必要かを考え、学生の皆さんの周りにどういった環境や状況を整えて、授業や宿題を通してどういった活動をしてもらえれば良いのか、そういったことを考えながらアントレプレナーシップ教育を設計していくことが求められているのでしょう。

私自身の考えるアントレプレナーシップ教育で涵養するべき資質・能力は以下の記事にまとめましたが、あくまで一例です。アントレプレナーシップ教育に携わる人たちが、こうした資質・能力を考え、目標を立てていただくほうがよいのではないかと思います。

blog.takaumada.com

アントレプレナーシップ教育こそ知識伝達と座学からの脱却を

算数や国語といった伝統的な強化も、「教える」から「学ぶ」への転換が行われつつあります。しかしこうした教科は、正しい知識を身に着けてもらうという観点もそれなりに強く、考えるためには知識も必要なので、知識の教授もかなりの時間行わざるをえません。

一方、アントレプレナーシップ教育は前述の通り、正しい答えがあるわけでもなく、それに知識の獲得を中心としているわけではありません。スキルや態度を身に着ける授業だからこそ、他の教科よりも学習パラダイムを強く意識して設計していくべき授業科目のように思います。そして、それは決してゲスト講演などだけで達成されるものでもありません。

講義スタイルの知識伝達が不要というわけでは決してありません。むしろ必要です。講義などを踏まえず知識なしに実践をしても、その実践から得られた経験の概念化が進まず、学びも生まれずに「やっただけ」で終わってしまうでしょう。

そうしたことも踏まえて、「どうやって、どういった学びを生むか」を考えながら、知識伝達と実践、そしてふりかえりのバランスを取り、講義全体をどう設計していくかがアントレプレナーシップ教育ではより重要のように思います。

アントレプレナーシップの「授業の限界」と授業が担うべき役割

「授業で人生が変わった」「授業を受けたからキャリアを変えた」という人はそう多くいません。

たとえば起業に限って言えば、あのスタンフォード大学のアントレプレナーシップの授業ですら、起業家を増やす効果は確認されていません

それに授業を受けるだけでビジネスアイデアが良くなる、というのはほとんど起きません。少なくとも、私の周りでそのような例を見たことはほぼありません。もちろん、授業で考えるヒントとなるような知識は得られるかもしれませんが、良いアイデアを見つけるには多くの場合、実践を伴う試行錯誤が必要です。

アントレプレナーシップ教育に関する授業には、キャリアを変えることや能力を高めることを期待されていますが、それを授業だけで行うのは非常に難しいことです。

もちろん、一般教養や専門科目でしばしば行われる、知識の伝達が目的の授業であれば、授業という形式でもできることは多いでしょう。しかしアントレプレナーシップに関する授業は知識の伝達が中心的な授業ではないはずです。

であれば、アントレプレナーシップに関する授業はいったい何のためにするのでしょうか。しかも、授業には時間の制約もあります。できることには限りがある中で、何をするべきでしょうか。

授業でできることの限界を認識したうえで、授業が持つべき役割と価値を、アントレプレナーシップ教育のような教育ではきちんと考える必要があるのではないかと思います。

アントレプレナーシップに関する学校での授業の役割

授業は多くの人にとって知識を得るためのものですが、それ以外にもいくつかの効果があるように思います。

まず、授業や宿題をきっかけとして、これまで知らなかったものを知り、それに少しだけ興味を持って、そこから一歩踏み出した、という人はそれなりにいるはずです。

授業を通して、誤概念の修正ができた、という人もいるでしょう。特にスタートアップのような不確実性の高い文脈では、従来正しいとされてきた「きっちり計画してから始める」ことよりも「行動して学びながら進む」ほうがより適切なことも多くあります。そのため、そうした文脈では従来の概念を一度アンラーンする必要があり、特に実践を通した授業ではそれを実感と共に学ぶことができます。

それに授業を通して仲間を見つけたという人もそれなりに聞きます。座学の授業ではなく、実践を伴う授業に限りですが、同じ授業を取った仲間と意気投合して、一人では入りづらかったイベントやコミュニティに行ってみたり、その人の紹介で新しいつながりができたり、というのは効果としてあるように思います。

しかし、多くの場合、最終的に能力が大きく伸びるのは実践を伴うコミュニティでの活動を通してではないでしょうか。このコミュニティの重要性については、以下の記事にまとめています。

blog.takaumada.com

こうしたいくつかの視点を統合すると、学校で行われるアントレプレナーシップに関する授業は、

  1. 実践的なコミュニティに入るためのきっかけとしての機能
  2. アントレプレナーシップの文脈での誤概念の修正の機能
  3. コミュニティに入るための最低限の知識やスキルを身に着けるための機能
  4. 仲間を見つける機会

の四つの役目を果たしうるのではないか、というのが現時点での考えです。

つまり、授業はあくまできっかけで、そこからの流れこそが重要、だということです。

かつ教育で行うべき範囲もある程度制限するべきだと考えています。その流れを図示したのが以下の図です。

流れとしては、以下のようになります。

  1. キャリア教育を皮切りに興味関心を持ってもらう。
  2. 実践を伴う授業で起業家的な資質・能力を涵養しながら仲間を作る。
  3. 実践を伴うコミュニティと、そこへの参加のきっかけを提供する。

教育で行うべきところはここまでで、青色で示しています。

一方、起業後に役立つ研修などは産業政策の一環として行った方が良いのではと考えており、緑色にしていて、緑色のところを教育機関ではさほど強化する必要はないと考えています(MBA 等のビジネス専門職でない限り)。

具体例

では青色のところをどのように設計すれば良いでしょうか。

この流れを私たちの東京大学での活動に当てはめてみると、

  1. アントレプレナーシップに関する授業(アントレプレナー道場)の一学期目はキャリア教育的な色の強い授業を中心に行う
  2. 二学期目は資質・能力の涵養を目的にした実践型の授業を行う
  3. さらにそこから、本郷テックガレージや Todai to Texas、100 Program、アントレプレナーシップチャレンジや FoundX といったコミュニティを紹介し、つなげる

という構成になっています。徐々に段階を踏んで、学生の状況に合ったコミュニティへと至るような設計になっているのではないかと思います。

授業を通して、実践を伴うコミュニティにいかに接続していけるかが、ここでのポイントです。

例:研究室

研究者が巣立っていく様子も、この流れに近いのではないかと思います。

まず研究室という研究を行うための実践的なコミュニティがあり、研究室で仲間と切磋琢磨しながら研究能力を涵養することができます。研究室に入る前から研究ができた人はほとんどいません。

さらに研究室に入れば、周りに研究者として独り立ちしていく人たちがたくさんいて、自分も研究者になれるのだ(あるいは向いていないのだ)、と感じれる人も多くなるのではないでしょうか。

ただ、研究室で基礎的な知識を教えていては、埒が明かなくなります。そこで研究室に入るまでに最低限の知識を身に着けてもらう必要があります。そんなときに、授業によって知識を身に着けておくことは役立ちます。

あくまで能力開発のメインは研究室という研究を行う実践的なコミュニティですが、それまでに準備しておくことも大事だ、ということです。

起業やアントレプレナーシップに関する能力開発やキャリアへの影響も、そうした実践的なコミュニティを中心に考えながら、そこへの接続を考えて授業を設計していくほうが効果的なのではないかと考えます。

授業の役割から見たときの授業の設計

授業をそのように位置づけると、授業でやるべきことも見えてくるように思います。

まず、きっかけづくりです。これはキャリア教育に近く、起業家というキャリアの選択肢を提示し、認知してもらうことが一つです。

もう一つは、最低限の知識やスキルは何なのかを考え、それを身に着けるための授業です。そのときには、知識伝達ではない、グループでの実践型の授業を作ることで、仲間づくりという副次的な効果も狙えます。

それを踏まえたうえで、予め実践的なコミュニティを作っておき、そこへ接続していくことです。

このように、授業の限界を認識したうえで、適切なカバー範囲を作ったほうが、授業が要らぬ重荷(アイデアを良くするため授業や成功率を上げるための授業を設計するのは至難の業です)を背負わされないのではないかと思います。

実践を伴うコミュニティを作ることにもっと注目を

そして何より実践的なコミュニティを各地域で複数設けておくことが大事で、そうした下地があってこそ、アントレプレナーシップ教育の授業は活きてくるのではないかと思います。

逆に言えば、単発の授業を増やすだけでは、恐らくそこまでの効果が見込めないのではないかと思います*1

授業はもちろん大切です。しかしアントレプレナーシップに関する本当の学びは、その人が能動的に関与した活動を通して得られます。そうした本当の学びが行える環境やコミュニティをどう作るか、アントレプレナーシップに関していえば、それが各教育機関が考えるべき主な課題のように思います。

*1:※ただし、マーケティングなどの授業はすでに起業をしている人たちにとっては有効な授業になるとは思います

起業家「予備軍」を増やす

起業家の不足がスタートアップエコシステムの課題である、という記事 を以前書きました。

この「起業家の数」に関連してしばしば指摘される点として、

「日本は起業予備軍の起業活動の水準は高いが、そもそもの起業予備軍が少ない」

というものがあります。

たとえば『日本は起業が難しい国なのか?』では、このように指摘されています。

では、なぜ、日本の起業活動の水準は低いのか。ここまで来れば、答えは明白であり、それは起業家予備軍が少ない、起業態度を有する者が少ないからである。成人人口100人あたりの起業家予備軍、もしくは起業態度を有する者の割合を見ると、米国が54.9%、中国が35.3%に対して、日本は12.5%にすぎない【図表6】。12.5%がいくら頑張っても、起業家予備軍が54.9%、35.3%もいる国に勝ち目がないのは当然である。

日本は起業が難しい国なのか? https://www.yhmf.jp/as/.assets/vol_66_p8-14.pdf

その前にはこのような指摘もあります。

【図表5】は、日本、米国、そして中国の3カ国の起業家予備軍の起業活動の水準を見たものである。これによると、日本の水準は中国には及ばないものの、米国を上回っている。日本における起業家予備軍の起業実現率は、決して低くなく、日本は起業が難しい国ではないことがわかる。

日本は起業が難しい国なのか? https://www.yhmf.jp/as/.assets/vol_66_p8-14.pdf

より詳細に見ていくと、「起業家であることが望ましいキャリアである」と答える人は日本ではかなり少ないパーセンテージとなっています。

https://www.gemconsortium.org/data

こうしたデータを見る限り、日本では起業家予備軍になりさえすれば起業活動をする人はそれなりに多いものの、そうなる前のそもそもの「起業家予備軍」が少ないようです。

他のデータを見てみても、起業志望者は徐々に少なくなっているようで、就業構造基本調査を見てみると、転職希望者のうち自分で事業を起こしたい人の数は減少傾向にあります。

起業家予備軍向け研修を増やすだけではなく、前段階の予備軍を増やす活動を

一方、これまでの多くの起業家支援の取り組みは「起業家予備軍向け」の研修などが中心でした。その効果もあってからなのか、「起業家予備軍の起業率」は他国に比べても既に十分に高い 20.1% という数値になっています。ただ、ここからさらに数値を上げるのはかなり難しいでしょう。

もし起業家の数を増やしたいのであれば、今後力をより傾けるべきなのは、「起業したい人を支援する」のではなく、「起業家予備軍を増やす」ほうではないかと思います。

それに対して、学校教育は多少貢献できるはずです。たとえば、1990年代中盤からスウェーデンで始められた高校生向けのアントレプレナーシップ教育は、参加者の起業率を伸ばしたと考えられています。

ただ、果たして現在日本で行われている「アントレプレナーシップ教育」を拡大していくべきかどうかには疑問があります。

なぜなら現在多くの「アントレプレナーシップ教育」の授業で行われているのは、ファイナンスや資金調達、組織設計、ビジネスモデルなどを、教員や実務家が教える「ビジネス教育の起業版」であり、すでに「起業家予備軍」になっている人向けの内容を、まだ「起業家予備軍」になっていない学生向けにアレンジした入門版だからです。ただ、それでは、そもそもの起業家予備軍は増えづらいのではないでしょうか。

もし予備軍を増やすことを狙うのであれば、その内容はむしろキャリア教育に近いはずです。

起業家のキャリア教育というと、起業家を学校に呼んでゲスト講演などをしてもらうことを思い浮かべる人も多いのではないかと思います。ただ、教育研究の結果などを見ると、ゲスト講演に起業家予備軍を増やす効果(起業意思を高める効果)があるかどうかは不明であり、ゲスト講演「だけ」では適切なロールモデルの提示にはならないのではと思っています。

こうしたいくつかの背景を鑑みると、今後政策としてアントレプレナーシップ教育が広く展開されるとき、今のままのアントレプレナーシップ教育を拡大してしまうと、

  • 「起業家予備軍」向けの「知識伝達型の研修」を増やす(→ 起業家予備軍自体はそれほど増えない可能性がある)
  • ゲスト講演を増やす(→ 起業家予備軍を増やす効果は不明)

ということになってしまい、その結果、かけた費用に対してスタートアップエコシステムにとってはさほど効果のない施策になってしまう可能性が高いのでは、と危惧しています。

こうした状況を避けるために必要なのは、これまでのアントレプレナーシップ教育研究を参照することです。もちろん、海外の研究やこれまでの研究から示唆される洞察が、そのまま日本の現時点の状況に当てはまるのかというと、必ずしもそうではありません。しかし、それらは有用なヒントになってくれるはずです。

スタートアップに注目が集まり、制度などの再設計が行われようとしている今、起業家輩出の基盤ともなるアントレプレナーシップ教育についても、これまでの研究を活かして再設計していく必要があるのではないでしょうか。