「授業で人生が変わった」「授業を受けたからキャリアを変えた」という人はそう多くいません。
たとえば起業に限って言えば、あのスタンフォード大学のアントレプレナーシップの授業ですら、起業家を増やす効果は確認されていません。
それに授業を受けるだけでビジネスアイデアが良くなる、というのはほとんど起きません。少なくとも、私の周りでそのような例を見たことはほぼありません。もちろん、授業で考えるヒントとなるような知識は得られるかもしれませんが、良いアイデアを見つけるには多くの場合、実践を伴う試行錯誤が必要です。
アントレプレナーシップ教育に関する授業には、キャリアを変えることや能力を高めることを期待されていますが、それを授業だけで行うのは非常に難しいことです。
もちろん、一般教養や専門科目でしばしば行われる、知識の伝達が目的の授業であれば、授業という形式でもできることは多いでしょう。しかしアントレプレナーシップに関する授業は知識の伝達が中心的な授業ではないはずです。
であれば、アントレプレナーシップに関する授業はいったい何のためにするのでしょうか。しかも、授業には時間の制約もあります。できることには限りがある中で、何をするべきでしょうか。
授業でできることの限界を認識したうえで、授業が持つべき役割と価値を、アントレプレナーシップ教育のような教育ではきちんと考える必要があるのではないかと思います。
アントレプレナーシップに関する学校での授業の役割
授業は多くの人にとって知識を得るためのものですが、それ以外にもいくつかの効果があるように思います。
まず、授業や宿題をきっかけとして、これまで知らなかったものを知り、それに少しだけ興味を持って、そこから一歩踏み出した、という人はそれなりにいるはずです。
授業を通して、誤概念の修正ができた、という人もいるでしょう。特にスタートアップのような不確実性の高い文脈では、従来正しいとされてきた「きっちり計画してから始める」ことよりも「行動して学びながら進む」ほうがより適切なことも多くあります。そのため、そうした文脈では従来の概念を一度アンラーンする必要があり、特に実践を通した授業ではそれを実感と共に学ぶことができます。
それに授業を通して仲間を見つけたという人もそれなりに聞きます。座学の授業ではなく、実践を伴う授業に限りですが、同じ授業を取った仲間と意気投合して、一人では入りづらかったイベントやコミュニティに行ってみたり、その人の紹介で新しいつながりができたり、というのは効果としてあるように思います。
しかし、多くの場合、最終的に能力が大きく伸びるのは実践を伴うコミュニティでの活動を通してではないでしょうか。このコミュニティの重要性については、以下の記事にまとめています。
こうしたいくつかの視点を統合すると、学校で行われるアントレプレナーシップに関する授業は、
- 実践的なコミュニティに入るためのきっかけとしての機能
- アントレプレナーシップの文脈での誤概念の修正の機能
- コミュニティに入るための最低限の知識やスキルを身に着けるための機能
- 仲間を見つける機会
の四つの役目を果たしうるのではないか、というのが現時点での考えです。
つまり、授業はあくまできっかけで、そこからの流れこそが重要、だということです。
かつ教育で行うべき範囲もある程度制限するべきだと考えています。その流れを図示したのが以下の図です。
流れとしては、以下のようになります。
- キャリア教育を皮切りに興味関心を持ってもらう。
- 実践を伴う授業で起業家的な資質・能力を涵養しながら仲間を作る。
- 実践を伴うコミュニティと、そこへの参加のきっかけを提供する。
教育で行うべきところはここまでで、青色で示しています。
一方、起業後に役立つ研修などは産業政策の一環として行った方が良いのではと考えており、緑色にしていて、緑色のところを教育機関ではさほど強化する必要はないと考えています(MBA 等のビジネス専門職でない限り)。
具体例
では青色のところをどのように設計すれば良いでしょうか。
この流れを私たちの東京大学での活動に当てはめてみると、
- アントレプレナーシップに関する授業(アントレプレナー道場)の一学期目はキャリア教育的な色の強い授業を中心に行う
- 二学期目は資質・能力の涵養を目的にした実践型の授業を行う
- さらにそこから、本郷テックガレージや Todai to Texas、100 Program、アントレプレナーシップチャレンジや FoundX といったコミュニティを紹介し、つなげる
という構成になっています。徐々に段階を踏んで、学生の状況に合ったコミュニティへと至るような設計になっているのではないかと思います。
授業を通して、実践を伴うコミュニティにいかに接続していけるかが、ここでのポイントです。
例:研究室
研究者が巣立っていく様子も、この流れに近いのではないかと思います。
まず研究室という研究を行うための実践的なコミュニティがあり、研究室で仲間と切磋琢磨しながら研究能力を涵養することができます。研究室に入る前から研究ができた人はほとんどいません。
さらに研究室に入れば、周りに研究者として独り立ちしていく人たちがたくさんいて、自分も研究者になれるのだ(あるいは向いていないのだ)、と感じれる人も多くなるのではないでしょうか。
ただ、研究室で基礎的な知識を教えていては、埒が明かなくなります。そこで研究室に入るまでに最低限の知識を身に着けてもらう必要があります。そんなときに、授業によって知識を身に着けておくことは役立ちます。
あくまで能力開発のメインは研究室という研究を行う実践的なコミュニティですが、それまでに準備しておくことも大事だ、ということです。
起業やアントレプレナーシップに関する能力開発やキャリアへの影響も、そうした実践的なコミュニティを中心に考えながら、そこへの接続を考えて授業を設計していくほうが効果的なのではないかと考えます。
授業の役割から見たときの授業の設計
授業をそのように位置づけると、授業でやるべきことも見えてくるように思います。
まず、きっかけづくりです。これはキャリア教育に近く、起業家というキャリアの選択肢を提示し、認知してもらうことが一つです。
もう一つは、最低限の知識やスキルは何なのかを考え、それを身に着けるための授業です。そのときには、知識伝達ではない、グループでの実践型の授業を作ることで、仲間づくりという副次的な効果も狙えます。
それを踏まえたうえで、予め実践的なコミュニティを作っておき、そこへ接続していくことです。
このように、授業の限界を認識したうえで、適切なカバー範囲を作ったほうが、授業が要らぬ重荷(アイデアを良くするため授業や成功率を上げるための授業を設計するのは至難の業です)を背負わされないのではないかと思います。
実践を伴うコミュニティを作ることにもっと注目を
そして何より実践的なコミュニティを各地域で複数設けておくことが大事で、そうした下地があってこそ、アントレプレナーシップ教育の授業は活きてくるのではないかと思います。
逆に言えば、単発の授業を増やすだけでは、恐らくそこまでの効果が見込めないのではないかと思います*1。
授業はもちろん大切です。しかしアントレプレナーシップに関する本当の学びは、その人が能動的に関与した活動を通して得られます。そうした本当の学びが行える環境やコミュニティをどう作るか、アントレプレナーシップに関していえば、それが各教育機関が考えるべき主な課題のように思います。
*1:※ただし、マーケティングなどの授業はすでに起業をしている人たちにとっては有効な授業になるとは思います