🐴 (馬)

Takaaki Umada / 馬田隆明

「スタートアップ」の定義と1兆円企業

2024 年の日本のスタートアップエコシステム全体としてアプローチしなければならない課題は、日本からデカコーン (1 兆円企業) をどう輩出していくか、という問題であると考えています。

背景として、VC の投資額が10年で約10倍と先行して大きくなっている一方で、入り口となるスタートアップの数や、出口の Exit の数・金額はまだ十分には増えていないという状況があるからです*1。特に課題なのは Exit のほうでしょう。

図中のグラフ画像は 【最新版】2023年スタートアップ調達トレンド |INITIAL から

この状況が続くと、VC のファンドに期待されるリターンが出せなくなり、資金が LP に循環せず、その結果、VC が次のファンドを組成できず、スタートアップへの投資にもお金が回らなくなる可能性があると考えます。

 

この状況を避けるためには

  • Exit の数を増やす
  • Exit の単価を増やす

のいずれかが必要です。

Exit は主に IPO か M&A です。IPO の数が劇的に増えることは恐らくないでしょう。グロース市場は上場要件を厳しくする方向になっていますし、監査法人の人手不足を考えると短期的には増えないように思います。

M&A の数を増やして Exit の数を増やす、ということも盛んに言われますし、個人的にもその数が増えると良いと思っています。ただ、日本の産業特性を考えたとき、国内のスタートアップが IT 系中心の状況だと「国内大手企業による、国内のスタートアップの M&A」は劇的には増えないのでは……とも思っています。

もちろん、大手 IT 系の企業やメガベンチャーと呼ばれている企業がスタートアップを買うことはこれからも続いていくと思いますし、増えるでのはと思います。ただ、日本でスタートアップの買い手になってほしいと期待されている企業の多くは、IT サービス系ではないでしょう。

そのとき、たとえば McKinsey はスタートアップを買収するアプローチとして、

  1. 技術や知財の買収
  2. 人材の買収
  3. 製品の拡張
  4. 地域の拡張

の4つに分けていますが、大手"製造業"の企業がIT系スタートアップを"高値で"買うとしたら恐らく「製品の拡張」が主で*2、それは海外のスタートアップも含んで比較検討される領域です。

McKinsey による M&A の戦略の整理: https://www.mckinsey.com/capabilities/mckinsey-digital/our-insights/buy-and-scale-how-incumbents-can-use-m-and-a-to-grow-new-businesses

日本の市場が魅力的であれば、国外の企業が日本市場にエントリーするために日本のスタートアップを買収することはありうるかもしれませんが、その数は限られるように思います。

 

M&A の数が増えるとはいえさほど増えないのであれば、いかに質を伸ばすか、つまり中長期的に大型の Exit を出す方向を考えた方が良いのではないか、と考えます。

これまで政府はスタートアップの目の前にある課題をボトムアップからのヒアリングを通して集め、確実に政策で解決し続けてきて、スタートアップの環境は間違いなく良くなっています。そうであるがゆえに、目の前に見えている課題の多くは解決されている、もしくは解決のめどが立っている状況で、そういう意味でこれからは政府としても、もう一回り大きな政策的挑戦が求められているように思います。

その一つがデカコーン輩出であり、その議論に対してより資源を傾けて議論していくべきではないかと考えます。

 

スタートアップの定義をしっかりとしなければ数を増やすのは危険

一方で、別の動きもあります。スタートアップの数を追う動きです。

スタートアップの数を増やすことは個人的にも賛同していますが、ただそのときに気を付けたいのがスタートアップという言葉の定義です。

少し前までは、「スタートアップ=短期間で急成長する企業」として認識されていたように思います。

ただ、スタートアップに注目が集まるにつれて、「スタートアップ=起業全般」となり、スモールビジネスでの起業も含めた言葉の意味へと、定義が広がりつつあることを懸念しています。

たとえば「スタートアップ=起業全般」の定義では、「受託ソフトウェア開発の開業」「地域の飲食店の開業」「学習塾の開業」「個人コンサルティング会社の開業」も支援対象になってしまいますが、スタートアップ育成五か年計画がそれを目指しているものとは思えません。

補助金の審査等においても、審査員の認識が「スタートアップ=起業」となると、ハイリスク・ハイリターンな案件ではなく、事業としては小さくても、確実性が高いもの(たとえば研究開発が進んでいるものなど)を採択してしまうようになる可能性も十分にあります。

 

言葉の一般的な利用についてはある程度自由で良いと思いますが、一方で政策や支援策を考える上では、その対象を絞ることが重要であり、そのためには言葉の定義を意識する必要があります。

もしこのままスタートアップという言葉の定義がなし崩しに拡大解釈されていくと「スタートアップ=起業全般」になり、その結果「スタートアップ振興」は「新興企業振興」、ひいては「中小企業創出の振興」となり、それ自体には意義があることは強く同意するものの、デカコーンを目指すこととは相反する支援策が実装されることを危惧しています。

 

実際、定義をきちんと定めず、現場に数のゴールだけが落ちてくると、現場では言葉の定義をずらしたり、スタートアップという言葉の拡大解釈が横行することは容易に想像がつきます。

たとえば、私の聞いている範囲でも、「スタートアップ支援」の予算を引っ張ってきたものの、地域ではハイグロース・スタートアップが十分な数見つからず、スモールビジネスをスタートアップとしてカウントする、ということも起きているようです。

それは悪意を持って行われるものというわけではなく、単にスタートアップという言葉の定義があいまいだから、そしてステークホルダーが増えて言葉に関する認識が違う場合が多くなっているから、というところに帰着するようにも思います。

だからこそ、スタートアップという言葉の定義を明確にするべきだと考えます。たとえば、「ハイグロース・スタートアップ」等、別の言葉を用意して、「エクイティ性の資金を入れて、株式の一定のパーセント以上をVC等に渡している、もしくは渡す予定の企業」といった政策面での言葉の定義を(多少の取りこぼしや例外はあるうえで)明確化していく必要があるのではないかと考えています。

 

起業数を増やしてから、スタートアップを増やすルートはあるのか?

現在、様々な環境の変化によって、スモールビジネスのほうが始めやすく、確実に成功しやすい環境になりつつあるため、「起業全般の支援」を推し進めると、スタートアップではなく、スモールビジネスのほうへと向かう引力が働いてしまうように思います。そうなると、スタートアップをしようとしていた人たちがスモールビジネスへと流れます。

「いやいや、それでも起業家の数が増えることで、2回目、3回目の起業のときに別の領域で大きなことに挑む。だから、まずは起業の数を増やす」という意見もありますが、これについてはやや懐疑的に見ています。

たとえば、シリアルアントレプレナーに関する研究を見ると、成功した起業家は挑む業界を変更する可能性が低く、イノベーションインパクトを持つ可能性が低いことが示唆されています(ただ、経済的な成功はするようです)。日本でもある程度の成功を収めたIT 系のシリアルアントレプレナーは、IT 業界に留まることが多いなと思います。

一方、失敗した起業家は業界を変更する可能性が高く、イノベーションインパクトを生む可能性が高まることが示唆されていますが、一方で経済的に成功する可能性は低い、という傾向にあります。

また、米国でも中小企業の起業家の多くは、そもそも規模拡大を目指していないという調査もあります。

創業時に尋ねたところ、ほとんどの経営者は、大きく成長したいという願望はなく、観察可能な次元で革新したいという願望もないと答えた。言い換えれば、配管工と弁護士は、事業を開始する際、予見可能な将来まで小規模であり続けることを予期しており、新製品やサービスを開発することによる革新や、既存の製品やサービスで新しい市場に参入することさえほとんど期待していない。

What Do Small Businesses Do? by Erik Hurst, Benjamin W. Pugsley :: SSRN

ハイグローススタートアップのための機会の探索として、(時間制限をある程度設定して)受託開発をあえてする時期を設けていたスタートアップはいくつかあれど、受託ITソフトウェア開発や人材派遣の事業で成功したからといって、「よし次はハイグロース・スタートアップだ」となっている例はあまり見かけないように思います。あくまでこれは個人の感覚ですが…。

それに一度起業すると、失敗するとしても  5 年ぐらいはその領域で頑張る人がほとんどです。成功すればもっと長い間その領域に留まります。その間、起業家は他のハイグロースな事業領域に手を出しづらくなります。

ここから言えることは、急成長するスタートアップを増やしたいなら、全般的な起業を増やすのではなく、回り道をせずにストレートに急成長するスタートアップに狙いを定めて起業を増やすべきではないか、ということです。

 

まとめ

個々人の幸福につながる起業そのものは、個人の目線で見れば意義のあるものですし、個人の幸福を追い求めることは国として支援する必要がある場合もあると思います。

ただ国全体で産業や雇用を作るといった目的があるのであれば、起業全般をおしなべて支援するのではなく、どういった形の起業を支援するかを明確にしなければならないように思います。特に起業家が希少であればあるほど、その起業家の目をどの領域に向けてもらうかは大事になってきます。

起業やスタートアップに関するステークホルダーが増えてくるにつれて、認識の齟齬も生まれやすくなっています。だからこそ言葉の定義を明確にしておかないと、目的を達成することは徐々に難しくなっているのでは、と考えた次第です。

*1:10年で見るのが正しいのか、という議論もあると思っています。VC ファンドが組成されて3 ~ 5 年で新規投資がなされるとすると、2019 年以降のファンド組成は毎年 5000 億円強で、その間の調達社数はほぼ横ばいでした。であれば短期的にはそこまで逼迫していないのかもしれません。ただ Exit の量と質が10年前と同じなのは、変わらず厳しい状況ではあると考えています。

*2:Acqui-hiring は主にシードが対象で、あまり大きな金額にならないことが多いです