社会的インパクト、ソーシャルインパクト、あるいはそれらを略してインパクトという言葉がスタートアップの界隈でも取り上げられるようになりました。また「社会課題の解決」と「持続可能な成長」を両立し、ポジティブな影響を社会に与えるスタートアップであるとされる『インパクトスタートアップ』という言葉も出てきています。
ただ、この「インパクト」という言葉が持つ意味は多義的なように見え、かつ「スタートアップ」という言葉も多義的になっている今、それぞれの言葉を少し注意して用いなければ議論が噛み合わなくなってくる場面が増えてくるのではないかと懸念しています。
そこで、「インパクト」と「スタートアップ」の言葉にまつわる意味について、(恐らく関係者の間ではさんざん議論されてきているのだろうとは思いますが、)自分の頭の整理も兼ねて記事にしておきます。
「インパクト」から想起されるもの
「社会的インパクト」という言葉を聞いて、皆さんは何を想起されるでしょうか。教育や医療、環境問題などを思い浮かべる人が多いかもしれません。
インパクトという言葉が示すもの、これはどうやら社会によって異なるようです。
たとえばインパクト投資の実績を見てみると、グローバルでは「エネルギー」「金融」「森林」が上位であり、日本では「健康・医療」「女性活躍推進」「教育・子育て」が上位に入るそうです(必ずしも単純に比較できるものではない、という注釈付きですが)。
同じ単語を使っていても、内実が異なる場合もあります。たとえば「都市の課題」を解決する手段として、「スマートシティ」が注目されています。この「スマートシティ」解決しようとしている課題は、日本では人口減少に起因する交通網の衰退や行政サービス等の社会課題が多い一方で、アジアの「スマートシティ」は交通の混雑解消等の人口増加にまつわる社会課題が多かったりします。「都市の課題」に取り組むといっても、それが意味するものは様々だということです。
インパクトは社会課題の解決から生まれるとも言われますが、国が違えば社会も違い、社会が違えば社会課題も違うので、こうした違いが出てくるのはある意味当然でしょう。
「社会」のサイズによっても変わるインパクト
同様に、「社会」をどの程度のサイズ感で見ていくかによって、求められるインパクトも変わってくるように思います。学術的なものではありませんが、例えば以下のような整理はありうるのではないかと思います。
- 世界を一つの「社会」として見たときの、グローバル・インパクト - 環境問題や絶対的貧困など
- 国(日本)全体を一つの「社会」として見たときの、ナショナル・インパクト - 医療や教育、相対的貧困など
- 地域を一つの「社会」として見たときの、ローカル・インパクト - 地域交通の問題など
どのようなサイズ感で社会を切り取るかで、それぞれの課題は異なるというのは、こちらも当然のように思います。
ローカル・インパクトの積み重ねが、ナショナル・インパクトにつながることもあり、それぞれが全く独立しているというわけではありません。ただ、どのようなサイズ感の「社会」を念頭に考えているかは、議論する際にはお互いが認識しておくべきであろうとは思います。
「スタートアップ」から想起されるもの
ここまでインパクトの話でしたが、ここからは「スタートアップ」という言葉についてです。
以前の記事で、スタートアップとハイグロース・スタートアップを峻別して扱った方が良いのではないか、という記事を書きました。スタートアップという言葉が、徐々に「起業全般」を示すものになりつつあることが、言葉の使い分けを提案する理由です。
インパクトスタートアップにおいても、スタートアップという言葉が指し示すものが、
- 起業全般
- ハイグロース・スタートアップ
のいずれかによって、議論は変わってきます。
さらに社会的インパクトに関わる議論では、
- 営利
- 非営利
の起業の選択肢も入ってきがちで、これらも分けて考える必要のある場面もあるでしょう。
意図と時間軸の問題
さらにインパクトとスタートアップの問題をややこしくするのは、それらが「未実現」であり、「意図」や「意思」であることです。
まずハイグロース・スタートアップです。こうした会社は急成長を目指しますが、それはまだ実現しておらず、本当に急成長するかどうかは現時点では分かりません。スタートアップであるかどうかを見分けるのは、その企業や経営者の意図や意思に依存します。
そしてインパクトです。「通常のビジネスに比較して、社会的インパクトを重視する」というのも意図や意思に依存します(ロジックモデルを用意している等、外形的に判断する手段もあるとは思いますが)。
意図に加えて、時間軸の問題もあります。大企業であれば、すでに事業によって何らかの大きな社会的インパクトを出せているはずなので、あとはどう計測するかが主な焦点になります。しかしインパクトを志向するスタートアップがまだ急成長できていないのであれば、掲げている多くのインパクトはまだ実現されておらず、こちらも「インパクトを出したい」という意図に留まることが多いでしょう。そこで数年後にうまく急成長できれば、大きな社会的インパクトをもたらすかもしれない、という時間軸を加味して、インパクトを持つかどうかの判断が必要になってきます。
ただでさえ社会的インパクトは測りづらいと言われているのに、インパクトを志向するスタートアップの場合は時間軸や意図が加わることで、インパクト評価はより難しくなります。
インパクトとスタートアップの両方の多義性を超えて
「インパクト」と「スタートアップ」の AND を意味するであろう「インパクトスタートアップ」という言葉には、
- インパクトという言葉の多義性
- スタートアップという言葉の多義性
が掛け算になり、そこにさらに意図や時間軸が加わって議論をややこしくしてしまいがちのように思います。
たとえば、上記の整理だけでも、「インパクトスタートアップ」が示すものは 12 パターンぐらいあるようになります。*1
もちろん、「一緒くたに議論してしまえば良い」という意見もあります。「社会的インパクトを持つ起業が大事」というメッセージを出すのであれば、まとめてしまったほうがよいでしょう。定義が緩やかでも良いように思います。
しかし、より具体的で実利のある何か(政策など)を考えるときは少し様相が異なるように思います。たとえばローカル・インパクトを志向する非営利の起業と、グローバル・インパクトを志向する営利目的のハイグロース・スタートアップとでは、必要とされる支援も異なり、政策に対する意見も異なるであろうと思われるため、分けて議論するべきだろうと思います。
そして別の話として、「社会的インパクトを目指している良い企業だから、スタートアップ的な急成長までしないとしても、便宜的に『ハイグロース・スタートアップ』とする」といった、ハイグロース・スタートアップという言葉の定義をずらしたり拡張したりすると、ハイグロース・スタートアップ側の議論が混乱してしまうこともあるでしょう。
またインパクトの指標についても、一律の指標、たとえば IRIS+ のような指標カタログが日本の社会課題に合致しているかといえば、なかなかそうとは限らないというのが実情ではないでしょうか。
このあたりは世界的にも議論が決着しているようには思えず、関係者がより良いものを見つけるための努力と模索をしていく必要があるように思いますが、少なくともどのような意味で「インパクト」「スタートアップ」を議論しているかを事前に認識合わせしておかないと、議論が混乱するように思います。
場合によっては「グローバルインパクト部門」などの部門分けをしたり、「ナショナルインパクトWG」など分科会を設けて議論していくほうが良いのかもしれません。
日本の「インパクト」
日本の「スタートアップ」、特に今求められているハイグロース・スタートアップの領域においては、「社会的インパクト」が指し示すものが、冒頭に示したような日本の文脈に引きずられ過ぎないようにはした方が良いとは思います。なぜなら、「女性活躍推進」「教育・子育て」といった領域は、スタートアップ、特にハイグロース・スタートアップに求められるような急成長が難しい事業が多い領域でもあるからです。
社会課題をすべて民間で解決できるわけではありません。民間や市場任せには向いていない課題もあり、だからこそパブリックセクターやソーシャルセクターがこれまでもあり、これからも必要とされています。これからインパクト投資等が広がるにつれて、民間が創業可能な領域も増えてくると思いますし、そうすることでこれまで解決できていなかった社会課題や、支えられていなかった人達を支えることができるかもしれませんが、すべての事業領域が民間向きだとは限りません。
仮に民間向きの事業領域があったとしても、その領域でハイグロース・スタートアップが可能かどうかは領域や事業次第です。そしてパブリックセクターやソーシャルセクターが事業をしていた領域で、ハイグロース・スタートアップの形態はさほど向いていると思えません。急成長しようとすると、課題とのミスマッチが起こる場合もあるからです。たとえば、衰退する地域交通網の代替を、事業を急成長させながら解決するのは至難の業です。なぜなら、そうした地域は主に人口減少が原因で交通網が衰退したのであり、そこから利益を上げるのは構造的に相当難しいはずだからです。
必ずしもすべての事業がハイグロース・スタートアップを目指すべきとは限りません。スタートアップではなく、ゼブラ企業といった選択肢もありますし、スモールビジネスとして留まる道もあります。そのほうが社会課題や、そこで困っている人に寄り添えることもあるでしょう。なのに、「スタートアップ」だからと VC からの資金調達などを行ってしまえば、目指していた社会的インパクトの実現から遠のいてしまう可能性も十分にあります。
一方、もし特定のインパクトスタートアップが目指すものが、ハイグロース・スタートアップなのであれば、日本の「インパクト」の言葉が想起させる領域だけではなく、グローバル・インパクトを強めに議論していかなければ、将来の日本の産業を牽引していく企業を支援するという形にはなりづらいでしょう。
もちろん、人口が縮小していく日本において、これから多くの社会課題が出てくることや、その課題を解決する民間企業が求められるのは間違いありませんが、それらを解決する企業が次世代の外貨を稼ぐ産業を作ることにつながるかといえば、若干遠いように思います。
(1) ~ (12) のそれぞれの領域でやるべきことはたくさんあり、それぞれの事業が重要な役目を持っていると思いますが、ある程度区別して議論しないと噛み合わなかったり、政策目的が叶わなかったりするように思うので、議論の土台として言葉の整理をしたうえで臨むべきではないかと思います。
まとめ
ロジックモデルを作り自社の事業の社会的インパクトを可視化したり、スタートアップとしてインパクトレポートを発行するなどの活動は、スタートアップに限らず、多くの企業が行うと良いと個人的には思っています。そのあたりは『未来を実装する』という本にもまとめています。
また、社会起業が増えることは良いことだと思いますし、大小さまざまな形の「起業」が増えること自体、個人的には前向きに捉えています。理想的には、社会的インパクトのある企業がきちんと儲かるような、そんな市場設計ができることを願っています*2。
ただ、インパクトにも色々なインパクトがあり、それぞれの計測と管理も難しいうえ、必要な支援の在り方も違います。「インパクト」や「スタートアップ」という言葉が市民権を得たあとは、それをより細分化して、それぞれのインパクトにあった議論を積み重ねていく必要があるように思い、整理のために記事として残しておきます。
(※ちなみに本稿は「インパクトスタートアップ」についての議論ではなく、あくまでインパクトとスタートアップというそれぞれの言葉の議論になります。)