🐴 (馬)

Takaaki Umada / 馬田隆明

ハイグロース・スタートアップ: 起業全般を示すようになった「スタートアップ」から峻別するために

スタートアップという言葉が広まるにつれて、スタートアップという言葉がかつて有していた「テクノロジーを用いながら、急成長を志向する、独特で特殊な起業形態」という意味や文脈が脱色され、「起業」全般の意味で使われるようになってきているように感じています。

これはスタートアップという言葉が一般に広まったという良い面もありますが、一方で適切な支援策や政策を考えたり、議論をする上で少し障害になっていると思っています。そこで「ハイグロース・スタートアップ」等の新しい言葉を用意して議論したほうがよいのではないか、提案の記事となります。

 

「スタートアップ」の言葉の意味

スタートアップという言葉の基になった英語の記事をいくつか見てみましょう。

Wikipedia での Statup Company では、

アントレプレナーシップには、自営業や株式公開を目的としない事業を含むすべての新規事業が含まれるが、スタートアップは、一人の創業者を超えて大きく成長することを意図した新規事業である。

と、いわゆるスモールビジネスとスタートアップを峻別している解説が採用されています。

 

また、同じく Wikipedia の Small Business の項を見てみると、「これら4つの概念は重複しているが、重要な違いがあり、その主な違いをまとめると以下のようになる」と、以下の4つの言葉が分けて考えられています。

  • 自営業:主に創業者に収入を提供するために設立された組織、すなわち個人事業主の運営。
  • アントレプレナーシップ:すべての新しい組織。
  • スタートアップ:成長するために設立された(従業員を持つ)新しい組織。
  • スモールビジネス:(従業員数または売上高が)小規模で、成長する意向があ るかないかを問わない組織。

 

一方で、スタートアップという言葉を英英辞書等で調べると「新興企業」となるので、起業全般を示すときにスタートアップという言葉を使うのも正しく、間違いではありません。

それに研究者等にとってみても「現段階では、その会社がスモールビジネスとして留まるのか、急成長するのかは分からないから、起業後〇年以内の企業をすべてスタートアップとして扱う」というのは、現象の精緻な分析をする際に要求される態度だとも思いますし、政策担当者が税制などを策定する際も明確な線引きが必要になってきます。

 

ただ、海外においてスタートアップという言葉がドットコムバブルとともに広がったのは、これまでの起業とは異なる起業形態を示したかった、という背景があるでしょう。

日本においても、「ベンチャー企業」という言葉が流通していたにも関わらず、「スタートアップ」という言葉が改めて使われ始めたのは、従来の起業とは異なるイメージを持っている、あるいは持たせたいという意図があったはずです。そして政府が改めて「スタートアップ」を振興する背景には、そうした急成長をするスタートアップが生まれてくることが国に資すると考えているからであり、そんな状況の中で、「スタートアップ」という言葉が「起業全般」あるいは「起業後〇年以内の企業」を示す言葉になってしまうと、議論や政策に様々な齟齬が生まれてきてしまうように思います。

スタートアップ=起業全般だと起こる混乱の例

たとえば、政府として急成長するスタートアップを増やして、その地域の一大産業となるような事業を作ってほしくて予算を振り分けたのに、その地域では「スタートアップ」=「起業全般」という理解になると、飲食店やシェアオフィスの開店を支援するような政策になってしまう可能性もあります。

それに、ほとんどの起業にとって、VC に関する政策などは関係なく、「スタートアップ=起業全般」と捉えている人にとっては、「VC に関する政策などはどうでも良いから、融資に関する政策をもっとしてほしい」という反応にもなりかねません。

このようにすべてを「スタートアップ」にしてしまうと、政策目的に沿うものかどうかが曖昧になってしまいます。

 

また「スタートアップ」の定義を起業全般に広げることで、10倍の数のスタートアップを生む目標を達成できるのかもしれませんが、それはそもそもの政策目的に合致したものなのかは疑問です。

実際、スタートアップ支援と言いながら、飲食店の開業の支援などを行っている自治体の例も聞いており、果たしてそれが今求められている「スタートアップ」なのかどうかは改めて考える必要があるように思います。

もちろん、私も現場を受け持つ担当として、その地域の急成長するスタートアップが少ないから、スモールビジネスの開業を支援して、スタートアップとしてカウントし、スコアメイクをするという気持ちも分からないではありません。が、それはスコアを作る現場にとっても、スコアを受け取る側にとっても、お互いにとって不幸でしかなく、であれば言葉をより明確にして、お互いが目指すものを合致させるほうがよいのではないかとも思います。

 

「ハイグロース・スタートアップ」という言葉の提案

そこで従来スタートアップと呼んできたものを、「ハイグロース・スタートアップ」と、元来の「急成長」の意味を明示的に言葉に加えていった方が議論がしやすくなるのではと思っています。

ハイグロースという言葉は、論文等でも High growth firm という言葉がしばしば使われますし、そこまで文脈が逸れた言葉選びではないと思っています。

 

また、どの程度のグロース(成長)が十分に高いと思うかは人それぞれです。そこで、ある程度高さの基準を設けたほうが良いとも思います。

具体的には、「10 年以内に年商 100 億円(長く時間がかかるディープテック等は 15 年で 1000 億円など)を目指す意思と計画があるかどうか」という基準が一つ候補としてありうるのではないかと思います。海外でも 年間 $100M がハイグロースなスタートアップのアイデアの簡単な基準だと言われていますし、年商 100 億円で利益率が 50% だと利益が 50 億円、PER が 20 倍だとすると時価総額が 1,000 億円になります。

事業領域によって年商 100 億円の達成しやすさや利益率、PER は変わるので、おおよそこのように考えておく、という基準でしかありませんが、こうした基準があることで、ハイグロース・スタートアップかどうかの判断はある程度できるようになると思います。

 

ただし、このような基準があっても、ハイグロースなスタートアップであるかどうかを外形的に判断するのは難しいものです。年商100億円を目指しているかどうか企業の意思の問題であり、分析しづらくなるというデメリットなどもあります。意思がなくても、ハイグロースを達成できてしまった、という例外ケースも出てくるでしょう。VC から成長のための資金を得ている等の基準を作ったとしても、外部資金を入れず急成長を達成する企業もありますし、一方で外部資金を得ているからといって、年商100億円になる事業には見えないものもたくさんあります。

ただ、意図しなければ中々こうした急成長する事業は実現できませんし、今話している「スタートアップ」はハイグロース(急成長)を志向したものなのか、起業全般を指しているのかを分けて議論できないほうが、様々な弊害が生まれるのではと思います。逆に、言葉のスコープが定まることで、様々な議論が生産的になるのではないかと思っています。

 

以前『起業の4つの類型』という記事で様々な起業の形があることを紹介しました。

すべての起業が急成長するスタートアップになるべきだとも思いませんし、ハイグロース・スタートアップに向いているのはほんの一部の事業だけです。たくさんの起業が生まれることで、ハイグロース・スタートアップが確率的に生まれてくることもあるでしょう。

しかしもし、ハイグロース・スタートアップがいま日本に必要とされていて、その確率を上げたいのであれば、言葉をきちんと使い分けて、定義を確かめながら議論していくことが改めて必要なのではないかと思います。そうすることで、適切な政策や支援策が生まれ、次世代に残せる産業が育つ確率も上がるのではないでしょうか。

そしてそのとき、やるべきは「スタートアップ」の意味を元に戻すために戦うのではなく、新しい言葉を再び作り出し、より正確な議論に誘導していくことではないかなとも思います。