- 個人の学びと同時に、人のつながりを作るための学校という場
- 長い時間を過ごすコミュニティとしての学校
- 研修や生涯学習ではなく、フルタイムのリカレント教育
- 高度な人材育成と高度な産業の育成の両輪を回し始めるためのリカレント教育
Climate Tech のスタートアップを調べていると、ある傾向が見つかります。代表的なものとして、
- 共同創業者の誰かが MBA を取得している率が高い
- 共同創業者の誰かが Ph.D を持っている率が高い
という 2 点があります。
IT 系の起業家とは少し異なり、Climate Tech や Deep Tech に挑戦する起業家は大学卒業後、一度働いた後に学位を取るために大学に戻って、学び直しを行っているようです。アメリカ以外の Climate Tech スタートアップでも同様の傾向があります。
その背景には、専門性が評価される労働市場ができていることもあるのでしょう。学位取得がキャリアアップにつながることで、大学に戻って学ぶインセンティブが高まります。その結果、ビジネス・科学領域で専門性の高い人材が生まれ、Climate Tech のような難しい領域に挑むことができる CTO 人材や CEO 人材が輩出される、あるいはそうしたスタートアップで働く従業員人材も育つような仕組みとなっているのではないかと思います。
個人の学びと同時に、人のつながりを作るための学校という場
ただ、学校に改めて通うことは、単に個人の知識や能力が培われるだけには留まらないようです。共同創業者同士のつながりを見ると、同じ大学に通っていたことがある率がそれなりに高いことが見て取れます。
つまり、学校での学び直しのタイミングで新しい人のつながりも生まれ、起業に対して良い影響を与えているのではないか、と思います。
起業家を生んでいくためには、何かしらのコミュニティが必要です。共同創業者を探したり、アイデアを考えたりするときには、人のつながりが有効だからです。
人のつながりを新たに得ようとすると、普段とは異なるコミュニティに出かけていくことになります。ただ、そうした活動には相当の外向性が求められますし、得意な人はそう多くないのではないかと思います。
たとえば、「共同創業者を探すためのコミュニティ」といったような、ネットワーキングのためのコミュニティを作ったところで、多くの人はやってこないでしょう。やってきたとしても、人材の需給のアンバランスな人の集団になりそうです。
これまでコミュニティに関連する活動に関わってきて感じることは、多くの人はコミュニティに入ること自体をそこまで強く求めているわけではない、ということです。
それは当然といえば当然です。コミュニティを外から見ると、誰がいるのか分からないし、何が得られるのか分からないものです。良い人に出会える確率が低いことも多くの人はこれまでの経験から知っています。また投資する自分の時間やお金に対して、何のリターンが得られるのかというのも明確ではないのがコミュニティです。
だからこそ、能動的にコミュニティに参加する、というのはリスクの高い賭けになりがちであり、避ける人が多いのも頷けることです。
そんなときに求められるのは、「ある程度受動的に参加することができ、かつ能動的に参加もできるような仕組み」があるコミュニティです。また「そこにいると、能動的な誰かに巻き込まれやすい仕組み」があるコミュニティでも良いかもしれません。
それが学校という場のように思います。
学校という場に参加する人たちの主な目的は、あくまで知識や能力、その結果としての学位や証明書です。授業等で受動的に学びの機会が与えられ、定期的に会う人が出てきます。宿題や授業の中で共同作業をすることで、友だちもできるかもしれません。
そこにいれば新しい人たちとのつながりが作れて、しかも毎年人の出入りがあるため、常連のような固定化したコミュニティも生まれづらい傾向にあります。
また、研究という能動的なことも行わなければ卒業はできません。そうした学びの活動の中で、半強制的に人のつながりが生まれるのが学校という場です。そうした学校というコミュニティをうまく活用することで、起業の元となる新しい人のつながりが生まれるのではないかと考えています。
そして学校を経由することで、高度な人材も輩出されるというそもそものメリットもあるでしょう。
長い時間を過ごすコミュニティとしての学校
とはいえ、「新しいつながりを作る」ことや「学ぶ」ことが目的なら、学校でなくても良いのではないか、という話もありうるでしょう。たとえば、1時間ほど場所と時間を共有する程度の勉強会もコミュニティと呼ぶときがありますし、学びの場です。そうしたコミュニティを作れば十分なのではないか、といった議論は十分にありえます。
確かに知り合いを作る程度であれば、短いイベントでも構わないかもしれません。しかし共同創業者やアイデアを交わす仲にするには、それなりに深い関係性を築く必要があります。
たとえば Hall の研究によれば、「ときどき顔を合わせる程度の友だち」と呼ぶには平均75時間、「友だち」と呼べるようになるには112時間ほど一緒に過ごす必要があるようです。
これだけ長い時間を過ごすコミュニティは、ちょっとしたネットワーキングイベントや勉強会を積み重ねるだけでは難しいものです。またそうしたイベントでは、参加者同士の共同作業なども行われません。
実際、どこかに勤めながら受講する研修などは、長い時間をかけて行うことはほとんどなく、研修で出会った人たちが起業した例という話もあまり聞きません。
学校という一連のカリキュラムに参加し、その場で長く過ごすからこそ、こうしたネットワークは生まれるのではないでしょうか。
研修や生涯学習ではなく、フルタイムのリカレント教育
さらに学校という長期的に学びの場に没入して集中することは、大きく視点を変える効果を持つように思います。
こちらの論文の議論がそのまま当てはまるわけではありませんが、「何かを大きく変えようとすれば、研修ではなく養成段階で対処しなければならない」と指摘されています。
実際、新しい物事を学ぶためには、誤概念を修正したり、既存の考えをアンラーンしなければならない場合はそれなりにあります。そのとき、働きながらだと、今のある環境をベースに新しいことを学ぼうとすることになり、人の視点やスキーマといったものは変わりづらいのは容易に想像がつきます。
だからこそ、一時的な研修ではなく、労働から少し離れてリカレント教育を受けることで、視点や考え方を変えるという点では高い効果を見込めるのではないかと思っています。
ただ、日本でのリカレント教育の議論は若干ぶれています。リカレント教育とはそもそも、
「リカレント教育理念は,個人の人生全体を見すえ,労働に集中する時期と,教育を受けることに集中する時期とを,交互に繰り返す回帰的な考え方」
政策としての「リカレント教育」の意義と課題
とされており、一時的な研修でないことが指摘されています。
しかし、日本でのリカレント教育の議論は
「職業から離れて行われるフルタイムの再教育のみならず,職業に就きながら行われるパートタイムの教育も含むものとして日本では議論されてしまいがちであり、生涯学習(ライフロングモデル)との違いも明確ではない」
同上
と、幅広い学習が含まれてしまっていると指摘されています。
新しい視点をきちんと学ぶという観点や、新しい人のつながりを作るという観点から、一時的に労働から離れて、長い期間学びに没入できるという環境、つまり本来的な意味でのリカレント教育ができる環境を作ることが大事なのではないかと思います。*1
高度な人材育成と高度な産業の育成の両輪を回し始めるためのリカレント教育
会社から離れても良いという状況を作るには、社会保障をどうしていくのか、といった議論も必要になってきます。リカレント教育発祥のスウェーデンのように、教育休暇法(教育訓練を受けられる権利を定めた法)なども必要になってくるかもしれません。
学びの場の主役になるであろう大学も、新しい学生を受け入れる準備をしなければなりません(大変ですが、それは日本の大学にとっての新しいビジネス機会ともなるでしょう)。冒頭で話したように、労働市場が専門性を評価するようにならなければ、学び直すインセンティブも発生しません。
産業に近い領域に限る話にはなってしまいますが、「博士号を取れば高給が貰える」というインセンティブを作るためには、そうした博士を活用できる高付加価値産業の育成も必要です。そうした高度な知識を活かすスタートアップを生むような支援、たとえば Deep Tech スタートアップの振興も大事になってくるでしょう。
スタートアップを増やすことが政策として目指されている現状、スタートアップ振興とリカレント教育振興の組み合わせは相性が良いようにも思いますし、成長産業への労働移動を起こすことや、人材の流動性を上げることに寄与しうるのではないかと思っています。
そして、そうしたリカレント教育の中で、アントレプレナーシップ教育なども併せて行うこと、あるいは起業家のためのビジネススクールなどを用意することで、スタートアップが生まれていく仕組みを各地域で作っていけるのではないでしょうか。
*1:ただし、リカレント教育を推進しているスウェーデンでは若者の失業率が高いなど、様々な問題も抱えており、そうした副作用に配慮しつつ推進する必要はあるように思います。