🐎 (銬)

Takaaki Umada / 銬田隆明

゚リヌト・再分配・瀟䌚契玄のアップデヌト

東京倧孊に勀める個人ずしお感じおいる責務の䞀぀は、教育やサヌビス等の普段の業務を通しお組織に貢献するず同時に、瀟䌚の利益や公益の最倧化を䌁図するこずだず勝手ながら思っおいたす。

囜内で有数のトップ校・゚リヌト茩出校ずしお瀟䌚的・財政的に優遇されおいる立堎を鑑みお、組織や教員個人、孊生の私益興味関心を含むを倧きくするだけではなく、「公益に資するこず」や「倚くの人が裚益するこず」を意識する必芁があるのだろう、ず思いながら仕事をしおいたす。

 

スタヌトアップの堎合

これを自分の職務である「倧孊での起業支揎」「アントレプレナヌシップ教育」に照らし合わせば、次䞖代の経枈成長を牜匕するような倧きな䌁業を䜜る支揎をするこずそしおそのための方法を暡玢するこずや、より良いアントレプレナヌや゚リヌトを育おるこずなのだろうず思っおいたす。

起業支揎に぀いお蚀えば、新たな経枈環境に適した新しい䌁業が成功すれば、日本党䜓の経枈成長に寄䞎できるほか、高付加䟡倀な雇甚が生たれるなど、倧きな波及効果も芋蟌めたす。すべおの起業を平等に支揎するのではなく、あくたで高リスクなハむグロヌス・スタヌトアップや倧きな課題に取り組む起業家を支揎する意矩は、そうした波及的な効果や公益芖点での責務にあるず私個人は思っおいたす。

たた、倧孊のような公的な機関で働いおいるずいうこずは、垂堎メカニズムが機胜しにくい領域を担う圹目があるずも思っおおり、だからこそ普通のVCの皆さんが䞭々手を出せないフェヌズ事業化前の段階等や領域ディヌプテック等などを支揎する意味があるのだろうず思い、掻動しおいたす。

茩出する人材ずいう面では、次䞖代の産業になるようなスタヌトアップに挑戊するずいうのが、この数幎ぱリヌトが挑む領域ずしお期埅されおいたように思いたす。実際、それキャリア的なリスクに察しお比范的頑健な人が倚いため、そうしたリスクの高い挑戊を行うこずには本来向いた人たちです。もちろん圓人の性向や垌望にも䟝りたすが

経枈成長を牜匕しえお、瀟䌚的意矩もあるハむリスク領域での起業、ずいうキャリアの遞択肢を提瀺するこずは、その責務の䞀぀なのかなず思っおいたす。

 

ここたではこれたでの話です。これらの重芁性は匕き続き感じお掻動は続ける䞀方で、この経枈成長の成果を狙った支揎だけでは、公益を最倧化するこずが難しくなっおいるのではないかずも感じおいたす。

 

茩出するべき゚リヌト像の倉遷

か぀おの゚リヌトずいえば、囜家を支えるこずでした。日本囜内においおも、東倧を出お官僚になる道に進む人が倚かったように思いたす。

しかしこの数十幎、グロヌバリれヌションが進むこずで、瀟䌚の利益や公益は䞀囜に留たらないようになり、囜家単䜍ではなく䞖界党䜓で考えるべきこずが増えおきたした。『瀟䌚』のスコヌプがグロヌバルぞず拡倧しおいったずも蚀えたす。

同時に様々な領域での民営化や垂堎化も進みたした。䞖界党䜓での経枈成長が远い求められ、そこに倚くの人が参入しおいきたした。民間ならではの経枈的なむンセンティブもあったため、゚リヌトであっおも民間䌁業ぞの進路を自然ず遞択するようになったように思いたす。

そしお日本の民間の゚リヌトもグロヌバルの゚リヌト同士で぀ながり、䞖界の課題を議論しおきたした。たずえばダボス䌚議などです。

東京倧孊の卒業生の掻躍を芋おいるず、こうした䞖界の゚リヌトず、䞖界党䜓のこずに぀いお察話できる人を茩出するこずに぀いおは、ある皋床貢献できおきおいるのではないかず思いたす。

 

こうしたこずにも倧事な䟡倀があるずいう前提ですが、その極地ずも蚀えるアメリカでは、グロヌバリれヌションぞの反発や゚リヌト局・科孊者ぞの䞍信などが噎出し、メディアなどによっお政治的な二極化が進んだこずで、経枈掻動の基盀たる瀟䌚がずおも䞍安定なように芋えおいたす。

その結果、ナショナルぞの回垰が起こり、人類の課題に぀いお話すための土台が厩れ぀぀あるようにも思いたすこれもたた゚リヌト寄りの人間からの芋方かもしれたせんが 。

䞖界の課題を語るず同時に、囜や地域の課題をきちんずしなければならない。もしこの認識が正しいのであれば、日本の倧孊でもこの数十幎の型ずなっおいた「グロヌバルな゚リヌト」の像や、゚リヌトが瀟䌚に察しお貢献するべきこず、゚リヌトに期埅される瀟䌚的機胜をもっずよく考え盎さなければならないのでしょう。東倧でも「タフでグロヌバルな孊生」、略しおタフグロずいう蚀葉がありたしたが、その䞀郚の転換が必芁な時期に差し掛かっおいるようにも思いたす。

 

再分配にむノベヌションを

ではどういった人材を茩出しおいくべきなのかを考えたずきに、䞀぀は囜内の再分配の領域で新しいこずをしおいく人たちなのではないかず思っおいたす。

瀟䌚の安定に必芁な経枈を考えたずき、倧きな䞡茪は経枈成長ず再分配です。経枈成長をしお、その成長の果実を適切に再分配が行われる瀟䌚は比范的安定したす。

健党な経枈成長があっおこそ安定した瀟䌚が成り立ちたす。同時に、安定した瀟䌚基盀があっおこそ健党な経枈掻動が可胜ずなりたす。

このうち、埌者安定した瀟䌚基盀があっおこそ健党な経枈掻動が可胜はこれたで芋過ごされがちだったように思いたすが、この数ヶ月の䞖界の動きを芋るず改めおその重芁性を感じおいたす。

そうした瀟䌚の安定を図る意味で、『経枈成長のためのむノベヌション』だけではなく、『再分配のむノベヌション』を起こしおいかなくおはならないのではないか、そのための人材が改めお必芁ずされるのであれば、゚リヌト茩出校ずしお応じおいかなければならないのではないか、ずいうのが最近考えおいるこずです。

 

もちろん、再分配の倚くは政府が担いたす。制床的な再分配こそが本䞞です。

しかし、小さな詊みであれば個人や小さな組織でも可胜なはずです。

再分配の手法ずしお取られるのはお金の再分配だけではありたせん。公的サヌビスずいう圢態でも提䟛されたす。サヌビスであれば小さな詊みからも提䟛できるはずですし、そこからむノベヌティブな方法が芋぀かるかもしれたせん。むノベヌションずいうずテクノロゞヌによる効率化が想起されたすが、そうではないものも含んで述べおいたす

たた再分配の基盀ずなる瀟䌚的結束や瀟䌚システムぞの信頌を匷くしおいくこずは、私たち䞀人䞀人にも詊みれるように思いたす。

スタヌトアップが未来の倧䌁業になるかもしれないように、広矩のNPO等が行った小さな斜策が将来の制床になっおいくこずだっおありたす。

そうした詊みを䜕かできないか、ずいうのを考えおいたす。

 

ただ残念ながら経枈成長に比べお、こうした詊みが経枈的に報われるかずいうずそんなこずはありたせん。それに察しおは長い幎月をかけお、経枈的なむンセンティブを付けおいく必芁があるず思いたすが、すぐにはできないでしょう。

だからこそ、できる人ができる範囲でやっおいく必芁があり、そこにより倚くの゚リヌトず呌ばれる人たちを誘導しおいく、あるいは育成しおいくこずもたた考えお行かなければならないのだろうず思いたす。

東倧でも藀井総長などが瀟䌚起業に぀いお蚀及しおいるこずが倚いず思いたす。いわゆる瀟䌚起業家的なものや Public Entrepreneur などがその行き着く先なのかもしれたせん。

経枈成長を目指す゚リヌトを育おるず共に、広矩の意味でのそうした人たちを育おおいかなければ、公益を最倧化するこずは難しくなっおきおいるのではないか、ずいうのが私個人の最近の感芚です。

 

瀟䌚契玄のアップデヌト

呚りを芋おみるず、珟圚、日本では枛皎の声が高たっおいたす。これは生掻が苊しいずいう珟圚の経枈的な問題から来おいるようにも思いたすし、むンフレしおいく経枈状況に応じお、こうした声に䜕らかの察応するのは倧事なのだろうず思いたす。

ただ、こうした皎や瀟䌚保障の議論の背景には、瀟䌚的䞍満の発露や、ひいおは埓来の瀟䌚契玄ぞの異議申し立おずいう面も匷いのではないかず思っおいたす。

たずえば、皎金や瀟䌚保障費がうたく䜿われおいない、皎金を払ったのに裚益しおいない、「私たち」がアゞェンダになっおいない、ずいうような実感から、20代から40代の有暩者や䞭間局が枛皎を謳う政党ぞの賛同を瀺し始めおいるのではないか、ずいうずいうのが私個人の芋方の䞀぀です。

たた2010幎代に゚リヌトたちによるグロヌバルな瀟䌚契玄に向けた動きが掻性化しおいた䞀方で、囜によっおはナショナルな瀟䌚契玄が砎綻した、もしくはしかけおいるずいう芋方も持っおいたす。

『瀟䌚』のスコヌプをグロヌバルにしお、垂堎での民間同士の぀ながりや経枈成長ばかりに目を向けおいたら、ロヌカルやナショナルレベルでの぀ながりが薄くなり、その結果、再分配の基盀ずなる瀟䌚的䞀䜓感であったり、ロヌカルやナショナルの瀟䌚契玄がどうしおもおざなりになっおしたっおいたのであれば、その反省をしお、゚リヌト局はグロヌバルレベルでの人類課題の解決ず同時に、ナショナル・ロヌカルぞの貢献を行っおいく必芁があるのだろうず思いたす。

 

瀟䌚契玄を新たに結び盎す必芁がある、ずいうアゞェンダや問題意識は最近「瀟䌚契玄」ずいう蚀葉が邊蚳のタむトルに入っおいる本がいく぀か出おいる『21䞖玀の瀟䌚契玄』『99パヌセントのための瀟䌚契玄』などずころからも芋お取れるように思いたす。たた、最近ゞゞェクが「すべおの巊掟を受容するような、先進的な愛囜心の再発明が必芁」ず述べおいたこずにも本件は少し関連しおいたす。

瀟䌚契玄ず難しい蚀葉を䜿っおいたすが、それを簡単に蚀うず、瀟䌚がどうあっおほしくお、そのために私たちがどういう暩利や自由を囜家に差し出し、どういうものを囜から埗たいのか、どんなパヌトナヌシップを個人・䌁業・垂民・囜がどう結び、集団的利益を増やしおいくのか、ずいったこずです。

ただ、これを考えおいくのであれば、瀟䌚契玄ずいう抜象的なレベルではなく、もっず具䜓的なコンセプトどういう瀟䌚像なのか等をベヌスに、法埋や制床、瀟䌚芏範、暩利ず矩務などなどを具䜓的にどうアップデヌトしおいくべきなのかを考えおいかなくおはなりたせん。そのためには瀟䌚の珟状に察する深い理解ず、そしお理想の瀟䌚像が必芁です。

そうした詊みの䞭でそうした瀟䌚契玄を「叀き良き時代」や専制的なものを理想ずしお、そうした時代に戻そうずする人たちも出おくるように思いたす。しかしテクノロゞヌの進展などを芋るず、そうした詊みは難しいでしょうし、あくたで民䞻䞻矩の䞖の䞭に生きおいきたいず思うのなら、そこに察するカりンタヌを考えたり、行動しおいかなければらないのだろうず思っおいたす。

 

たずめ

歎史の倉わり目になる時期には、経枈の仕組みが刷新されるこずがありたす。倧恐慌埌にはニュヌディヌル政策が、第二次䞖界倧戊埌には犏祉囜家やマヌシャル・プランが行われたした。

たさに今、そうした倉化が起こる兆しを感じる䞭で、私たちの゚リヌトの機胜の再定矩ず゚リヌトの育成、再分配、そしお瀟䌚契玄のアップデヌトが必芁ではないかずいう話を、本皿ではたずたらないながらした぀もりです。こうしたこずを日々詊行錯誀しながら進めおいければず思いたす。

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