国の政策の方針もあって、「スタートアップ」が注目されており、予算等もついて「スタートアップの数」などが公共団体等での KPI に置かれ始めています。
スタートアップの数を増やすことは個人的にも賛同していますが、ただ、気を付けたいのがスタートアップという言葉の定義です。
何事もそうですが、言葉の定義がぶれると施策もぶれて、予算等も適切に使われなくなります。なので、今一度、「どういった起業を支援するのが目的だったのか」を考え、スタートアップの定義をしっかりとしたほうが良いのでは、と思います。
定義が不安定になってきた背景
少し前までは、「スタートアップ=短期間で急成長する企業」として認識されていたように思います。
ただ、スタートアップに注目が集まるにつれて、「スタートアップ=起業全般」となり、本来異なる意味を持っていた「スモールビジネス」での起業も含めたものへと言葉の用法が広がりつつあるように思います。
「スタートアップ=起業全般」の定義を採用すると、「受託ソフトウェア開発の開業」「地域の飲食店の開業」「学習塾の開業」「個人コンサルティング会社の開業」も含まれます。しかしスタートアップ育成5か年計画などの内容を見ると、これらは特段対象となっていないように見えます。
言葉の一般的な利用についてはある程度自由で良いと思いますが、一方で政策や支援策を考える上では、その対象を絞り、適切に支援をしていくことが重要です。そのためには言葉の定義を意識する必要があります。
定義が曖昧なことによる悪影響
言葉の曖昧さと混乱があると、政策や施策がブレる
現在、政府の出しているスタートアップ育成5か年計画は、ハイリスク・ハイリターン型の急成長する企業を「スタートアップ」だとして想定しながら作られているように思います。
実際、もし「スタートアップ=起業」であれば、中小企業庁が従来の延長線上でやればよいはずですが、そうではないからこそ、様々な省庁が関わりながら進めているのでしょう。
しかしたとえば、補助金の審査や施設の入居審査等において、審査員の認識が「スタートアップ=起業全般」のまま臨んでしまうと、ハイリスク・ハイリターンな案件ではなく、事業としては小さくても、確実性が高いもの(たとえば研究開発が進んでいるものなど)を容易に採択してしまうでしょう。そのほうが成功率は高く、わざわざハイリスクなものを選ぶインセンティブはないからです。
そうなると、本来、国として増やしたかった起業の形態から外れたところに対しての支援が厚くなってしまい、逆にそうでないところに資源が行きません。それどころか、応募のために使った時間の分だけ、ハイリスク型のスタートアップが損をすることにすらなります。
大学発ベンチャーは「スタートアップ」なのか
こうした混乱が起こりうる一例として「大学発ベンチャー」を挙げます。
以前書いた記事にもある通り、大学発ベンチャーと呼ばれる起業のほとんどが1億円の売上に達していない、いわゆる中小企業です。教職員のコンサルティング会社や受託会社なども「大学発ベンチャー」の定義に含まれています。
確かに技術の強さは競合に勝つことに貢献しますが、その技術が勝てる市場が大きいかは別問題です。それを使って大企業の受託をするのであれば下請け会社を作ることにしかなりません。
もちろん「大学の技術の商業化」には意義がありますし、否定する気はまったくありません。しかし今の延長線上で大学発ベンチャーを数多く生み出すことがハイグロース・スタートアップの振興につながるかというと、そうではないだろう、というのが現状です。
しかし、スタートアップ=起業全般という言葉の定義だと、すべての大学発ベンチャーを支援する、そのために予算を付ける、ということになります。
曖昧な定義だと現場は易きに流れる
それだけではありません。定義をきちんと定めず、現場に数のゴールだけが落ちてくると、現場では言葉の定義をずらしたり、スタートアップという言葉の拡大解釈が横行することがしばしば行われます。
たとえば、私の聞いている範囲でも、「スタートアップ支援」の予算を引っ張ってきたものの、地域ではハイグロース・スタートアップが十分な数見つからず、スモールビジネスを支援してスタートアップとしてカウントする、ということも起きているようです。
そうすると、本来スタートアップを生み出すためだったはずの予算や人が別のことに使われることになります。
実際、様々な環境の変化によって、スモールビジネスのほうが始めやすく、確実に成功しやすい環境になりつつあるため、「起業全般の支援」を推し進めると、スタートアップではなく、スモールビジネスでの起業を振興するほうへと向かう引力が働いてしまうように思います。
そうなると、スタートアップをしようとしていた人たちがスモールビジネスへと流れます。それでは本来の政策の目的が達成されなくなってしまうでしょう。
こうした動きは悪意を持って行われるものというわけではなく、単にスタートアップという言葉の定義があいまいだから、そしてステークホルダーが増えて言葉に関する認識が違う場合が多くなっているから、という理由が大きいのではないかと思います。
起業数を増やしてから、スタートアップを増やすルートはあるのか?
「いやいや、それでも起業家の数が増えることで、2回目、3回目の起業のときに別の領域で大きなことに挑む。だから、まずは起業の数を増やす」という意見もあります。ただ、個人的にはこれについてはやや懐疑的に見ています。
スモールビジネス起業家はスタートアップ起業家になりづらい
シリアルアントレプレナーに関する研究を見ると、成功した起業家は挑む業界を変更する可能性が低く、イノベーションインパクトを持つ可能性が低いことが示唆されています。日本でもある程度の成功を収めたIT 系のシリアルアントレプレナーは、IT 業界に留まることが多いなと思います。
また、米国でも中小企業の起業家の多くは、そもそも規模拡大を目指していないという調査もあります。
創業時に尋ねたところ、ほとんどの経営者は、大きく成長したいという願望はなく、観察可能な次元で革新したいという願望もないと答えた。言い換えれば、配管工と弁護士は、事業を開始する際、予見可能な将来まで小規模であり続けることを予期しており、新製品やサービスを開発することによる革新や、既存の製品やサービスで新しい市場に参入することさえほとんど期待していない。
What Do Small Businesses Do? by Erik Hurst, Benjamin W. Pugsley :: SSRN
確定的なことは言えませんが、おそらくスモールビジネスをどれだけ起業の入り口として振興しようと、その次の起業もおそらくは同じ業界で同じような事業をやる傾向が強いため、スタートアップにはなかなかつながらないのではないか、と思います。
とはいえ、ハイグローススタートアップのための機会の探索として、(時間制限をある程度設定して)受託開発をあえてする時期を設けていたスタートアップはいくつかあります。そうした戦略的な意思を持っているところはまだ良いかもしれません。
しかし、受託ITソフトウェア開発や人材派遣の事業をやってから、「よし次はハイグロース・スタートアップだ」となっている例はあまり見かけないように思います。あくまでこれは個人の感覚ですが。
むしろ現状、周りにスモールビジネス志向の人が増えることで、スタートアップに挑戦していた人が「やっぱりスモールビジネスのほうがいい」と思って、ローリスクローリターンの起業へと回帰している動きすら見られていることを危惧しています。
スモールビジネスを経由することの時間的な機会損失も考慮に入れるべき
それに一度起業すると、失敗するとしても 5 年ぐらいはその領域で頑張る人がほとんどです。
さらにいえば、成功すればもっと長い間その領域に留まります。その間、起業家は他のハイグロースな事業領域に手を出しづらくなります。そうした時間的な損失のことも考えると、急成長するスタートアップを増やしたいなら、全般的な起業を増やすのではなく、回り道をせずにストレートに急成長するスタートアップに狙いを定めて起業を増やすべきではないか、ということです。
まとめ
起業やスタートアップに関するステークホルダーが増えてくるにつれて、認識の齟齬も生まれやすくなっています。だからこそ言葉の定義を明確にしておかないと、目的を達成することは徐々に難しくなっていると感じています。
もしこのままスタートアップという言葉の定義がなし崩しに拡大解釈されていくと、「スタートアップ=起業全般」になり、その結果「スタートアップ振興」は「新興企業振興」、ひいては「中小企業創出の振興」となり、それ自体には意義があることは強く同意するものの、デカコーンを目指すこととは相反する支援策が様々な形で実装され、本来使うべきだった予算と時間が別のことに使われることを危惧しています。
なお、個々人の幸福につながる起業そのものは、個人の目線で見れば意義のあるものですし、個人の幸福を追い求めることは国として支援する必要がある場合もあると思います。
一方、国全体で産業や雇用を作るといった目的があるのであれば、起業全般をおしなべて支援するのではなく、どういった形の起業を支援するかを明確にしなければなりません。特に起業家が希少であればあるほど、そうした起業家や起業家の卵に、どの種類の起業に目を向けてもらうかは大事です。
だからこそ改めてスタートアップという言葉の定義を明確にして、資源をきちんと配分するべきだと考えます。
たとえば、「ハイグロース・スタートアップ」等、別の言葉を用意して、「エクイティ性の資金を入れて、株式の一定のパーセント以上をVC等に渡している、もしくは渡す予定の企業」といった政策面での言葉の定義を(多少の取りこぼしや例外はあるうえで)明確化していく必要があるのではないかと考えています。