🐴 (馬)

Takaaki Umada / 馬田隆明

『社会的インパクト』の試練と新たな挑戦の時代

この数年、ビジネスや投資の世界で勢いを増してきた「社会的インパクト」という概念が、いま一つの転換点を迎えようとしているのではないかと感じています。

国際秩序の再編、価値観の多様化、そして社会の分断(という言葉は使いたくないのですがあまり良い言葉が見つからず……)という現実が、私たちに「社会的インパクト」の再考を迫っているように思うからです。

 

国際秩序の変容と「社会」のスコープの縮小、価値基準の変化

昨今の国際政治状況を見ると、アメリカのUSAID(米国国際開発庁)の活動停止に象徴されるように、先進国が従来担ってきた国際社会への貢献の形が大きく変わりつつあります。

また、EUにおける新たな政治勢力の台頭、各国でのナショナリズムの高まりは、かつて先進国間で共有されてきた価値観の基盤が揺らいでいることを示しています。

こうした状況は、ある国が他国を「自らが属し貢献する社会」とは見做さなくなる傾向を意味しているように思います。言い換えれば、各国が「社会」と見なす範囲、つまり社会のスコープが変わりつつあるとも言えます。

これは『自分から遠い』ニュースの問題ではなく、社会的な事業やビジネスに直結する問題でもあるように思います。

 

社会的インパクトへの具体的影響

まずグローバルな「社会」のスコープの縮小は、「グローバル市場」を小さくします。これまで1つの市場だと思われていたグローバル市場は、対立する国々の連合でいくつかに分断、あるいは完全な分断でなくとも、国をまたぐことの摩擦は、関税などによって大きくなってきています。これは海外での売上が多くを占める企業に大きな影響を与えます。

社会的インパクトを掲げるビジネスにも直接的な影響をもたらします。例えば、発展途上国でのマラリア撲滅事業を行うスタートアップは、先進国からの資金流入が減少すれば、財務的リターンの見通しも悪化します。そうすると、投資家からの投資も受けづらくなり、事業の立ち上げも難しくなっていくでしょう。

国際的な話だけでもなく、国内でも「あいつらは社会の一員ではない」という分断が高まれば、そこに流れるお金は減っていきます。

スコープだけではありません。ある程度合意が取れていた価値基準も変わりつつあります。

例えば、「脱炭素は優先的に進めるべきアジェンダである」というコンセンサスが弱まりつつある、環境技術への投資も影響を受け始めています。

 

社会的インパクトの測定は、その社会において何が高い価値を持つかという、(ぼんやりと)共有されている価値基準に依存します。社会を構成する人々が「それは社会的に良いことだ」と認める活動が高く評価され、そこに資金が流れるからです。

しかし「社会」の価値基準が変わり、スコープが縮小すれば、従来の社会的インパクトにかかわるビジネスの市場も狭まり、流通する資金も減少します。

こうなると「社会的インパクトが儲かるから」という動機で参入した投資家は、状況変化に敏感に反応し、資金を引き上げていくでしょう。利益をもたらしうる大きな社会と大きな市場を感じづらくなるからです。

これまで社会的インパクトと資本市場を関連付けることで、大きな資本を呼び込んできた面があると思いますが、これが逆回転する可能性も十分にありうるシナリオだと思います。

 

暗黙の前提の揺らぎと、新しい社会像の提案の機会

これまで社会的インパクトを語る上で暗黙の前提とされてきたのは、グローバリゼーションの進展と自由民主主義的価値観の共有でした。社会的インパクトの多くが依拠する「社会的な良さ」というものも、これらを前提としたものが多かったように思います。しかし、この前提に見直しが迫られているということなのでしょう。

これまでは「社会」の定義を深く問わずとも機能していたところから、今やそこから問い直し、そのうえで社会的インパクトを構築していかなければならない、ということです。

 

これは社会的インパクトを掲げる事業を辞めた方が良い、ということではありません。

むしろ、「社会」を融和させたり、再構築していく試みがこれまで以上に(より難しくはなるものの)より重要になってくるのだろうということです。

そして、それはより良い「社会」像を提案できる機会でもあると思います。

より良い社会的インパクトを実現するためには、「社会」をどうすればより広く包摂的にできるかを改めて考え、多様な人々を包摂する「社会」を実際に構築していく必要があります。たとえばグローバルな社会的なインパクトを訴えるのであれば、ローカルな社会的インパクトを生み出せる基盤があってこそ、などです。

この社会の拡大に成功すれば、より大きな事業機会も生まれます。逆に、社会の分断が進めば、社会的インパクトビジネスの市場自体が縮小してしまいます。

その変化の始まりの地点に、私たちは立っているのではないかと思います。

 

「社会的インパクト」概念が試練の時代を迎えている今こそ、改めて社会とインパクトの両方を考えることや、新たな社会像や思想、あるいは多くの人が幸せになるような仕組みを構築する試みの重要性は増しています。(と同時に、それを国際世論に訴えられるだけの力やポジションも必要であろうと思います…残念ながら)

それを実現するのはとても難しいとは思いますが……でも、改めてそこを考えることが、私たちが社会的インパクトを語るうえでの新しい困難と挑戦なのだろうと思います。