🐴 (馬)

Takaaki Umada / 馬田隆明

若い起業家の志は低くなったのか?

「起業を志す若者の志が小さくなった」などと言われこともあるようですが、個人的にはこの10年でそこまで変わってないのでは、と感じています。

むしろ、少し前の時期に特殊な環境が揃っていて、志が高くなくても大きな勝負ができていたのでは、というのが個人的な考えです。

 

2010年代中盤まではソフトウェア領域での起業の先に世界があった

2005年前後、Web 2.0が盛り上がってきた頃、「世界がよりフラットになり、若者や個人が作ったサービスでも世界中の人に使ってもらえる」という純朴な考え方が、今よりも共有されていたような印象があります。その頃、ちょうど Gmail が出てきて、ブログなどで個人も能動的に発信できるようになり、インターネットに対して前向きで明るい考え方が大勢を占めていた時期だったように思います。

同時期にはGoogleの共同創業者の2人やFacebookのザッカーバーグをはじめとした若手の起業家が続々と出てきている頃でした。世界を実際に大きく変えている同年代の実例も見聞きすることができ、「ああなりたい」と思った人も多かったのではないでしょうか。

その後、2010年にはFacebookとザッカーバーグが主役の映画『ソーシャルネットワーク』も公開され、それに影響されたという若者も多かったようです。映画の内容自体はWeb2.0前後の流れの話で、映画の公開当時はWeb 2.0 自体はやや下火になっていたものの、同時期にタイミング良くHTML5やスマートフォンの波も来ていて、映画を見て火がついた人も新しい市場に挑戦することができました(日本ではスマートフォンより先に、ガラケーでのソーシャルゲームが盛り上がっていました)。

当時のこれらの領域は、規制なども少なく、効果的な新しいチャネルも出てき始めており、規模拡大が比較的容易でした。しかもWebプログラミングは比較的始めやすく、しかも年長世代のベテランが少なかったため、若者にとって活躍の機会が多かった時代と領域だったように思います。

 

こうして振り返ってみると、2005年前後から2015年ぐらいまでは、志があろうとなかろうと、ソフトウェアの領域でプロダクト開発を始めたら、その先には世界が待っている、そんな物語をある程度信じられた時代であり、そして実際にそうしたチャンスがあった時代だったのではないでしょうか。

そしてその時代では、個人プロジェクトやスモールビジネスとして始めた事業の延長に、ハイグロース・スタートアップ的なビジネスが地続きであったように思います。

 

環境の変化

ただ、かつてよりもこの領域に興味関心を持つ人たちは激増したため、競争は激しくなりました。安価なチャネルだったSNSも混み始めています。Big Techと呼ばれる巨人たちが、多くの計算資源とチャネルを持っており、独占的な地位を築いています。世界中でスタートアップも増え、普及のためには激しい競争を勝ち抜いていかなければならなくなりました。

混み出したことで「人がほしがるものを作る」のも難しくなり、「ソフトウェアである」というだけではスケールすることが難しくなった今、かつてのような方法論だけではスモールビジネスになってしまう可能性も高まったのではないかと感じています。

そう考えると、若者と世界規模のビジネスが直接つながりやすかった環境が整っていた15年ぐらいの期間が、とても特殊だったとも言えます。だから若者の志が低くなったというわけではなく、志の高低にかかわらず世界を狙える時代がたまたまあった、というのがより実情に近いのではないかと思います。

 

大志を育てることがより大切に

志が低くなっていない、かつてとそこまで変わっていないのであればそれで良かったのか、というとそんなことはありません。

若者の志の大きさが、もし変わっていないのであれば、志を高められなかったその間の教育や支援がうまくいかなかったということであり、あるいは若者を取り巻く環境を変えられなかったということでもあるからです。

そして今、起業という領域で「大きなことを成し遂げる」には、求められる志や知識がかつてよりも相対的に高くなってきている、とも思います。であれば、より大きな志やビジョンを持つ人を増やすために、教育や支援手法にも変化が必要なのだろうと思います。

 

もちろん、全員が全員、大きな志を持つ必要はないと思います。生きていくだけで精一杯な人たちもたくさんいるからです。

一方で、エリート層に辿り着いた人や恵まれた立場にいる人、一度大きな富を築いた人などは、自己利益の最大化ではなく、公や社会への貢献といった高い志を持ってほしいとも思いますし、そうした志を持てるような環境を作ることが大事だろうと思います(一切合切を公のために尽くせとも言いませんが)。

自己利益を最大化した方が個人の人生としては良いかもしれませんし、何もしなければ何も起きず、平穏な人生を送ることもできるかもしれません。でも、個人の利益を超えて正義を求めた志や、科学的発見を生みだそうとする志が人類の今の繁栄につながってきました。

社会を前進させるには、そうした志の高い人たちが一定数必要です。そうした人たちが少しでも多くなるように、あるいは自分自身がそうでないという人たちであっても、志の高い人たちを応援するような環境を作れるように、何かをしていけると良いのかなと個人的には思っていますし、何かしらの模範が見せられるような形にしていければ良いなと思っています。